#1368 田中泯+大友良英 於「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展
Text by Shuhei Hosokawa 細川周平
「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展、京都 二条城
スペシャルイベント
2025年4月28日
田中泯(ダンス)+ 大友良英(音)
2025年4月29日
田中泯/石原淋(ダンス)+ 大友良英(音)
この二人がソロから大集団まで大小いろいろなフォーマットで演じるのを見て聴いてきたが、デュオ(ないしトリオ)には別格に引き込まれる。大きな編成になると決め事があるか、複数の同演者にまとめて向かうか相手を変えて進めるか、聴く側見る側の注意にもまだらができる。デュオでは途切れずに、よく知り合う(感じ合う)最小のやりとりがあって、こちらは特別な二人芸を見て聴くようで心地よい。

この二人組(プラスアルファ)を30年以上見て聴いてきたが、今回呼び出された場所は二条城内の砂利庭だった。キーファー展の野外展示で、エジプト神の翼めがけて、蛇がとぐろを巻いて上っていこうという垂直作品「ラー」が置かれている。田中泯は数年前、彼の南仏のアトリエで踊って肝胆相照らす仲となり、誕生日が二日違いの兄弟分と呼び合ったそうだ。キーファーがナチス壊滅一ヵ月前に生まれたことを語れば、田中泯は東京大空襲の日に生まれたことを語った。ナチス式の視覚表現で、見かけきれいな戦後ドイツに反発してきたキーファーに対して、田中泯は「戦後日本は大きなかさに守られてきた」と考える。原爆とも日米安保体制とも受け取れる。
初日は小雨が降りだしてもおかしくないどんより夕暮れ時。後で聞けば大友は感電を懼れて、屋根つきスペースで演奏した。天気同様抑え気味だったと翌日、快晴に合わせたような音量、弾きぶりの演奏の後に話していた。田中泯は作業着に太なわを持って中庭に現われた。神社のしめ縄にも寺の鐘のつり縄にも、作品の蛇の仲間にも見えてくる。からだに巻きつけたり放りだしたりで、実作業の動作が踊りの身振りに昇華されていく。単なる小道具ではない。なわは生命感の端的な表現だ。ギターもそれにぴたり受け答えしている。踊り手が砂利を踏んで音を立てるとギターが反応するような絶妙は、安心の境地に達している。
自分は踊りを踊らず、踊りが踊っているという哲学を田中泯は持っている。振付を踊るのではなく、場を踊ると言い続けている。「場踊り」とわかりやすく名前をつけてくれた。場の成りようは音の鳴りように通じ、ふたりが身振りと音で反応し合うのに客は居合わせる。ずいぶん昔、二人が知り合った、そしてぼくが二人を知った東京の独立スペースPlan-Bも、今日の二条城も変わらない。
今回、その場をキーファー作品が占め、その存在が語りかけてくることに存在で返すと、田中泯はパフォーマンスの後に語っていた。ナチズムの重さを記憶する作品を発表して物議をかもしたキーファーに対して、田中泯の師匠、土方巽の暗黒舞踏は60年代、原爆被爆者を連想させる泥化粧を裸体に塗ってモダンダンス界から拒まれた。田中泯はその暗黒表現の原点を今も別のかたちで伝えているのだろう。その場とのやりとりを大友が大音響とその反対の沈黙、音の原点に立ち還って増幅した。
二日目は国の祝日、こんな俳句を知り妙に感心した。泯さん、どう思う?
生者よ死者の親しき昭和の日 橋本榮治
【編集部注】
ドイツを代表する現代美術作家アンゼルム・キーファーのアジアでは最大規模の展覧会『アンゼルム・キーファー:ソラリス』が 京都二条城で現在開催中。⼆の丸御殿台所、御清所とその周辺の庭に新作を含む33 点の絵画と彫刻が展示されている。6月22日まで。
https://kieferinkyoto.com/
Installation views of Anselm Kiefer: SOLARISat Nijo Castle, Kyoto, 2025.
Photo: Ufer! Art Documentary; Courtesy of Fergus McCaffrey.