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Concerts/Live ShowsNo. 338

# 1413 エグベルト・ジスモンチ&ダニエル・ムハイ ジャパン・ツアー2026、青森コンサート

text: Yoshiaki Onnyk Kinno 金野 Onnyk 吉晃

5/24(日)八戸市公民館
主催:エグベルト・ジスモンチ来日公演実行委員会
八戸公演企画 : FRUE AOMORI

エグベルト・ジスモンチ:10弦ギター ピアノ
ダニエル・ムハイ :6弦ギター

「ジスモンチの八戸公演を通して考えた事」

0. なぜ八戸

10年ぶりとなるジスモンチ来日ツアーは、東北の北端、青森県は太平洋に面した港湾都市の八戸に始まった。ここで初日というのには意味がある。それは後で述べよう。

1. テラ・コグニタ

ジスモンチの経歴は、或る意味ピアソラに似ているかもしれない。
地元の音楽を吸収した後にフランス留学。かのナディア・ブーランジェに師事して「故郷に帰り、そこで仕事をしなさい」と示唆された。
彼らは南米人としてのルーツを基盤に新境地を開拓した。これがラディカルということだ。
ピアソラはバンドネオンの名手であるだけでなく、タンゴを前衛的にして、ダンス音楽から飛躍させた。その演奏と作曲は世界中の演奏家に注目された。
ジスモンチもまたそうだ。ピアノとギターの才に恵まれた。ショーロ、サンバ、ボサノバ、そして地方的な舞踊や部族音楽を取り入れ、それを譜面、総譜として書き、自らのヴィルトゥオジティを凝らして演奏した。ハイブリッドなブラジル音楽が生まれた。それは誰も聴いた事の無いサウンドだった。

南米には、西欧が失った、いや西欧が簒奪しきれなかった血と地がある。それは音楽だけで言うのではなく、あらゆる芸術、文化、そして政治の状況にも反映されてはいないか。
私は、チリ人監督レオン&コシーニャの驚嘆すべき映画「オオカミの家」(2018)を見てそれを強く感じた。この映画の根底にも西欧の負の歴史との関わりが色濃い。

また、私はブラジルのアサド兄弟にも思いを馳せる。スペインのセゴビア派のクラシカルなギタリスト達である。彼らはエルメート・パスコアール、ジスモンチの曲のみならず、頻繁にピアソラを演奏している。
ジスモンチは今回のツアーに全幅の信頼を寄せるダニエル・ムハイをギター・デュオの相棒として選んだ。
このデュオには、アサド兄弟より緩やかなコラボレーションを感じる。それは二人が対等ではなく、親子ほどの歳の差があり、弟子としてのムハイは決して積極的に前に出るようではなかったからだ。
また、彼らは使用したギターが違っていた。ジスモンチは多種の多弦ギターを使う。2008年ライブでは12弦であったが、今回はナイロン弦の10弦ギターを専ら用いた。その響きは枯淡の味があった。対してムハイは6弦である。
彼らはセットリストなどおかまい無しにその場で次の曲を決めていた。休憩無しの90分。だから曲調でライティングが変るような演出は一切無かった。私はその方が好きだ。ステージの演出は最小限でこそ良い。

2. 耳が起ちあがる

ジスモンチはまた、弦をスラップ、タッピングしてパーカッシブに使う。撥弦楽器の特性は擦弦楽器と違い、厳密にはアタックとサウンドの複合音となる。生ギターはピック弾きなどすれば余計にそれを感じる。音価が短いとアタック、サウンドは聞き分けられない。
エレキギターならばアタックとサウンドが同時に起こり、サスティナー使用や歪み系エフェクターのサウンドでは区別が無くなる。
またタッピングやスラップではアタックだけでピッチを聴かせる。エレキベースにおいては、クロスオーバー以降の傾向として、ベーシストがフロントに出て、フレーズ、パッセージの高速化、高音化を進めた。これがスラッピング、タッピングを普及させた。
以後タッピングはジャンルを超えて普及しているが、生ギターでのタッピングで自在に演奏するのは、故ハンス・ライヘルとジスモンチくらいしか思い浮かばない。ジスモンチのタッピングは、旋律だけでなく、グィロをスクレーパーで擦ったような、あるいはビリンバウのような効果もだす
また彼はギターのボディを叩くことで、カホンが加わったような効果を聴かせる。フラメンコでもよく見る技法だ。

2008年、東京フィルハーモニーとの共演リハーサルで、リズムが走るオケに「このリズムでこのように演奏してほしい」と、右手でボディを打ちながら、左手のタッピングだけで旋律を聴かせるソロを披露。団員は思わず拍手喝采。

八戸ライブの半分はピアノ演奏だった。ソロあり、デュオあり。
これもまた実に流麗ではあるが、一言で言えばフランス印象派的だ。フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルの前奏曲を思い出す。正直、多少マンネリ的ではあったが、これが達人の円熟の境地なのだろう。
アンコールに、ノルウェーで子供からもらったオモチャの笛を吹く。
鴨の声を模倣するのだという。指穴の無い笛を巧みに使い、足のリズムで会場全体を巻き込んで行く。

3. 私とジスモンチとECM

1980年、アル・パチーノ主演、ダークでバイオレントなハードゲイ映画「クルージング」を見たとき、あるシーンのバックに流れる無調なサンバに驚いた。
後年偶然に、あの衝撃のサンバは「輝く水」(1976)中の一曲と分かる。
それ以来「輝く水」は愛聴盤であり、私のジスモンチのイメージを決定づけてしまった。
このアルバムでは、8弦ギターもピアノも現在に比べてかなり野性味がある。笛もメロディカも力強い。全体にかなり濃い。ブラジルの土と血の匂いがしてくる。ナナ・ヴァスコンセロスが共演しているせいもあるだろうか。ギターの響きにフェイザーがかかっている箇所もあるが、それも若さだ。なにしろ50年前、29歳の演奏だ。
(ちなみにアルバム原題は「ダンサ・ダス・カベサス=頭のダンス」であり、トラック3がそのタイトル・チューンだ。「輝く水」はその次の曲である)。

だから2008年(61歳)の東フィルとの共演映像を見て、その洗練の度合いに驚いてしまった。私にとってのジスモンチは、もっと荒々しく恐ろしいイメージだったのだ。人は丸くなる。悲しい事に私の記憶だけが昔のままだ。

レバノン人の父とイタリア人の母、クラシックとブラジル音楽と、もしかしたらアラブ音楽の影響もあっただろう。長じてはストラビンスキーも確実に。
彼はインタビューで言う。ブラジルは完全な混血国家だと。西欧移民、アフリカ黒人、南米原住民、夫々の伝統が、文化が、芸術が彼の中に流れ込む。民衆の娯楽、部族の祭礼は彼の栄養だった。
ヴィラ=ロボス、ジョビンという先達もいた。カオスと洗練の、西欧と土着のブラジルという坩堝。そこから鋳型に流し込まれた溶融物は、ジスモンチという「輝く器」になった。その器を一番愛でたのは誰か。十数枚のアルバムをプロデュースしたマンフレート・アイヒャーかもしれない。

4. オーガニック・ラディカリズム

そしてジスモンチの今回の来日を企画したのは、シャララ・カンパニー、FRUE AOMORI、旧八女郡役所音楽の会、となっている。
シャララは東京の、メジャーな音楽制作会社だ。
旧八女郡役所音楽の会は福岡公演を引き受けているが、FRUEの主宰者の出身地にちなむ。旧八女郡役所は古い建造物で、現在はリユースされてその中に店がありジャンルを問わない音楽イベントが毎月開催されている。
FRUE AOMORIは、FRUE という組織のブランチである。
FRUEについて書き出すとかなり紙幅を割いてしまうが、初日が八戸であった事に関連が強い。
八戸の公演は、「6かく珈琲」店が中心となり、熱意ある呼びかけで(そう、宣伝というより「呼びかけ」なのだ)東北一円、さらに遠方からも集客した。
2023年のパスコアール招聘時、ファイナルは八戸だった。彼のツアーもFRUEが企画した。主宰者はアニ(山口彰悟、1977年熊本生)だが、FRUE AOMORIは青森出身の二人、ヤス(吉島康貴)とミハル(松橋美晴)が立ちあげた。
歴史的事情から、青森県は、県庁所在地青森市と、津軽藩の中心弘前市、そして旧南部藩の八戸市と、三つの文化圏がある。それぞれの市に個性的美術館があり、歴史的に芸能、文学、演劇、スポーツなどが、各自の強いプライドをもって競合している。そしてヤスとミハルは八戸文化圏に根っこがあると自覚している。これも一種のラディカリズムだ。
ヤスは「6かく珈琲」店主であり、徹底して自家焙煎にこだわっている。それも木炭を用いて。このオーガニックであることがキーとなる。
ミハルはアマゾン(ベソスのではない)から食材を輸入する会社をやっている。現地語に堪能でブラジル音楽を愛する。
この二人が、オーガニック・グルーヴ(定義が難しい)とジャム・バンド・ムーヴメントを柱とするFRUEに合流するのは当然だろう。
パスコアールと懇意だったミハルが八戸に彼を呼び、さらにジスモンチへと繋がる事にも疑問は無い。

今回の八戸ライブ、若い陽気な客層が目立った。男女とも個性的なファッション、ナチュラル系といえばいいのか。それは主催者の意識の反映と見えた。中央志向ではない、大都会の模倣ではない、音楽プロパーではない人々の祭り。コンサート会場前の広場には、開演前には20を超える出店があり、DJが音楽を流す。
こうした祭りのカタチは珍しくはない。大事なのはそれが地域社会に浸透し、家族で来場できるオープンな場として機能している事だ。
ブティック、クラフト制作・販売や飲食店のネットワーク、生き方としてのオーガニック志向。それは都会的ヒップ・ホップ・カルチャー、ストリート・カルチャーとはベクトルが違うし、夜行性のクラブ・カルチャーとも違う。

ジスモンチ、ブラジル音楽に惚れ込んでいた人達が、初体験の人達を巻き込んで新たなコミュニティを形成する。このイベントを通じて知り合う市民達が、音楽を通じて新たな社会認識を共有する。
それは、最も搾取され、環境が激変していく地域の一つとしてのアマゾンへ向かう。ブラジルはまさに未来世紀の暗雲をかこつ。
地球の反対側に、搾取する側の、対岸の火事的な罪悪感を有する消費者たちがいる。生産地に暮らす人々の生活と経済と環境を守りたいという贖罪意識は、運動と組織と企業をたちあげる。

「革命には音楽が必要だ」というなら、パスコアールやジスモンチは、彼らの世代の革命歌になるだろうか。
いや、しかしそこには詩がない。歌がない。ビクトル・ハラやキラパジュンのようなコトバが。本心の歌は危険だから。愛の歌は安全だから。
そして我々の歌うのはポルトガル語ではないだろう。誰がコトバを紡ぐ?
塵ひとつない会場の、指定席で、存在を感じないようなPAで、整然と一曲毎に拍手と喝采を送る。そこには音楽しか無い。紛争や暴動や気候変動を、差別と分断と対立を、そこにいる間だけは忘れるパリピとなる権利を買う。
我々は無い物ねだりの逆、飽食という飢餓にある。
南米は、かつての日本人にとってパライソ、ニライカナイであり、渡った人達はそこに根を下ろした。今は逆の現象が起きている。

ジスモンチやパスコアールはマレビト=来訪神である。
南米から来た神たちは、歓迎され、もてなされた後、帰っていただく。それが祭礼だ。
時代の不幸をまとわされ、流される依り代。それはミュージシャンの宿命なのか。
(取材に協力してくださったミャンマー音楽研究家の村上巨樹、DJでミュ―ジシャン山崎孝の両氏に感謝致します。)

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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