#1415 映画『1975年のケルン・コンサート』
text: Kohki Yazawa 矢澤孝樹
『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒット以降、伝説的ミュージシャンを主人公としたいわば「没入型」音楽映画が続々と制作されているが、ジャズに関してはまだこれからのようだ。遡れば1986年、クリント・イーストウッド監督がチャーリー・パーカーを主人公に撮った傑作『バード』があるのだが。
『1975年のケルン・コンサート』(監督:イド・フルーク)は説明するまでもなく、キース・ジャレットが残した伝説的なソロ・ピアノ・ライヴアルバム『ザ・ケルン・コンサート』の元となった1975年1月24日のコンサートを描く映画である。キースが極度の体調不良と問題あるピアノという悪条件の中でこの奇跡のようなパフォーマンスを繰り広げたことはジャズ・ファンなら周知の事実であり、当然その点に焦点が当たる「没入型」音楽映画が期待されるだろう。
だが、この映画の主人公はキースではない。このコンサートは当時17歳(映画では18歳)の女子高生プロモーター、ヴェラ・ブランディスによって実現された。あまり知られてこなかったこの事実に映画はフォーカスしており、主人公はヴェラなのだ。
ゆえにこの映画は基本、彼女の視点から描かれており、保守的な父親や開催場所のケルン歌劇場の不条理と闘った彼女を再評価する物語なのだ。キースのソロ・ピアノに魅せられた彼女のコンサート実現に向けての努力は、無償の熱意ゆえに無茶であり、しかし無茶だからこそ実現できた。これは、かつて制作側にいた私としては何かその原点を見つめ直させられるようで、彼女の行動に問題が多いとはいえ心が揺さぶられる。調律師二人の存在も大きい。これは「裏方」の映画なのだ。
描かれた「事実」から、当時の社会状況についても色々と考えさせられる。ケルン歌劇場はなぜあのようなピアノ(キースが希望したベーゼンドルファー・インペリアルではなく、不具合のある練習用のベビーグランド)を用意していたのか。ただの行き違いか、あるいは当時のクラシック音楽界のジャズへの偏見か、それともヴェラという女子高生への嫌がらせだったのか。キースのコンサートの前に上演されていたのはアルバン・ベルクのオペラ《ルル》で、これはファム・ファタール(魔性の女)の物語だ。行動する女性ヴェラが当時のマスコミに一種ファム・ファタール的に扱われていたことを考えると、偶然の一致が過ぎるほどだ。また家父長制をむき出しにする父親の背景には戦争の惨禍の記憶があるが、世代を超えた理解に至ることは基本、ない。
一方、キース側の描写は、当人たちの協力が得られなかったためにヴェラ・サイドの情報と伝記的事実から再構築した推測のドラマたらざるを得ない。そもそもキース役の見かけはあまり似ていない!が、商業主義との闘い、孤独なソロ・パフォーマンスの苦闘など、彼の内面の葛藤はよく描かれていると思う(弟のスコット・ジャレットは「兄の言いそうなことだ」と感想を述べているそうだ)。マンフレート・アイヒャー(こちらは結構似ている気がする)が演奏地まで小型車を夜通し運転してキースを連れてゆく過酷なツアーの再現など、キース・ファンとしては感慨深いものがある。同乗したという設定になっているジャズ評論家に、早朝の休息時に牧場でひとり周囲の静けさと自然や家畜の立てる物音に聴き入りながらぽつりと独白するキースの姿は、彼とマンフレート・アイヒャーのECMレーベルの美学を体現した、映画における白眉のシーンだと思う。
父権性と闘い行動するヴェラと内面に沈潜するキース。対照的な両者がそれぞれの闘いの過程で一瞬だけ人生が交錯しほんの数時間連帯した(ヴェラの父親さえも)。その結実があのアルバムなのだ。
そして、キース側からの証言が得られなかったこと、音源も使えなかったことは残念すぎるが、結果としてドラマとメタフィクショナルな仕掛け(登場人物たちが我々観客に時々語りかける)が混在し、何としても「あの瞬間」を映画にしようという制作者側の熱意がまさしくヴェラのコンサート実現への努力と二重写しになるのが、この映画の稀有な点だ。不測の事態が重なりつつ。結果的に「没入型」とはまた異なる音楽映画が現前してしまう。そんなプロセスもどこか『ケルン・コンサート』的ではないか。
その後、ヴェラとキースが会うことは2度となかったという。キースはヴェラとの再会を拒否したそうだ。病気のこともあるのだろうけれど、会ってほしかった、と思う。しかし彼のSNSに、この映画は特にコメントはないものの、紹介されていたらしい。キースにとって『ケルン・コンサート』は呪縛であり何度も触れられたくないのだろうが、それでも映画の中でヴェラに向かって放たれた「君のためだからな」というキースの声が、ふたたび聴こえてくるようだ。
映画は終わった。さあ、『ザ・ケルン・コンサート』を聴こう。脳内で再現できるほど聴き込んだあのアルバムが、未知の顔を見せてくれることを期待しつつ。
*本稿のオリジナルは日立市のタウン誌『スペース・マガジン』連載「シネマ多元中継」第341回(2026年5月号掲載)です。筆者本人のFacebook転載の際に加筆し、さらに本誌掲載にあたり大幅改稿しました。;;
矢澤孝樹 Takaki Yazawa
1969年山梨県塩山市(現・甲州市)生。慶應義塾大学文学部卒。水戸芸術館音楽部門主任学芸員を経て現在ニューロン製菓(株)及び(株)アンデ代表取締役社長。甲府市食品団地理事長。『レコード芸術ONLINE』『音楽の友』『モーストリー・クラシック』『ぶらあぼ』『CDジャーナル』『intoxicate』、朝日新聞『クラシック試聴室』へのレギュラー執筆、また演奏会・CD解説などの音楽執筆活動を行う。著書に『マタイ受難曲』(音楽之友社)ほか共著多数。
