#1417 さがゆき&八木のぶお/中村八大氏34回忌・特別企画
text: Sachi Nishimura 西村紗知
photo: Akira Oshima 大島 彰
【中村八大氏34回忌・特別企画】
6/7(日) 横浜反町・ギャラリーカオル
15:00開演
さがゆき Vo,G
八木のぶお Harp
ハーモニカの、ノンビブラートのメロディーラインがすうっと伸びる。……ファ、ラソ、ファレミド……そこにギターも加わって、ゆったりと誘うのは「夢」の世界。
本当に夢のようである。それも、めいめい思い思いの夢ではないような気がする。心地よさを通り過ぎて不安げにさえなったところに歌が入ってくる……ゆめであいましょう……それは、裏声や頭声に言葉を逃がすことなく、一つ一つ噛み締めるように歌い上げ、すると時折拍節から言葉が外れることもある。さながら歌い手が、夢の入り口に立って、立ち止まって振り返るように。歌は、夢と現実の境目にある。1963年、「上を向いて歩こう」(SUKIYAKI)が米ビルボード誌上で3週連続1位に輝き、戦後日本を代表する作曲家の一人となった中村八大。命日である6月10日を間近に控えたこの日、さがゆきと八木のぶおによるデュオ・コンサートが開かれた。歌手のさがゆきは、中村八大最後の専属歌手である。1980年に北村英治グループでプロデビューし、中村八大グループの専属歌手として坂本九の後継を務め始めたのはその4年後。2009年には高橋悠治作品の初演を務め、ジャズ、歌謡曲、現代音楽、それから即興と、幅広い歌唱技法を誇る歌手だ。ハーモニカ奏者・八木のぶおの活動も幅広い。フュージョン界でプロデビューを果たしたのち、『北の国から』『探偵物語』といったテレビドラマのテーマ音楽やニューオリンズ・ヘリテッジ・ジャズ・フェスティバルへの出演等海外での音楽活動、それから武満徹関連の仕事などを通じて、数々の錚々たるアーティストと共演してきた。
さがはこれまでにも中村の命日にライヴを開催している。2005年には大友良英プロデュースで、『SEE YOU IN A DREAM』という中村八大トリビュートアルバムが制作された。さが・八木コンビでは2023年に『中村八大楽曲集』をリリースしている。後述するが、今日はこのアルバムに収録されなかった曲も披露された。
ちなみにこのアルバムのブックレットには、水原弘とギタリストの高柳昌行が一緒に活動していたことや、坂本九とサックス奏者の阿部薫が親戚だったという、興味深い事実に触れられている。ポップスとフリージャズとの人的交流という点では、まさに大友良英が携わるよりほかないだろう。実際にアルバムを聴いても、大衆的なものとインディペンデントなものの垣根を再検討する内容に思える。
会場は、横浜は反町駅近くにあるギャラリーカオル。ガラス作家が手掛けた仮面が、壁に展示されている。梅雨入りしたばかりであいにくの天気だったが、店内は満席であった。
オープニングの「夢で逢いましょう」に続くは「黄昏のビギン」。自然な揺れが心地よい。言葉で情景ができあがっていく。「芽生えてそして」は、菅原洋一版に比べて休符でしっかりポーズを決めているところが印象的で、シリアスな仕上がり。間奏のハーモニカの強音が心に響く。
「風に歌おう」。オリジナルは1962年の水原弘による歌唱だが、さがはこの曲を初老のカップルの恋の歌に読み代えた。さがが看護師に、八木が老人に扮したユーモラスな寸劇もあり、サビのユニゾン歌唱も楽しく、会場は和やかな雰囲気に包まれた。
カップルの恋の歌に続いて、「ウェディングドレス」は嫁ぐ日の歌。そして前半最後は「パラランパン」。ヴォイシングと早口言葉が駆け巡る冒頭、ハーモニカのパッセージがこれに素早く応答して、二人の軽妙なやり取りが繰り広げられる。可愛らしく、かつ軽やかな演奏だった。
後半は、中村の初めてのヒット作と言える「黒い花びら」から。オリジナルは水原弘で、ピアノの三連符の刻みが特徴的なロッカバラードだったが、今日の演奏を聴いて、サウダージという言葉が脳裏をよぎった。作品がショービズのきらめきを脱ぎ去り、憂鬱さを湛えている。
「遠くへいきたい」のオリジナルはジュリー藤尾。個人的にはデューク・エイセスのヴァージョンで頭の中に流れるため、折り目正しい男声合唱のイメージがどうしても強いのだったが、身体の奥から沸き上がってくる、寂しくも熱のこもった、「男唄」であった。うらさみしい海辺の叙情がある、と個人的には思った。「ねむの木」は、さがの声のハスキーさが曲とうまく嚙み合って、オリジナルのフランク永井版とまったく異なる自然な風合いが醸し出されている。そして、『中村八大楽曲集』に収録されなかった「ぼくの手袋破れてる」。オリジナルは初代ジャニーズだ。天真爛漫で可愛らしい曲で、女性ボーカルのほうが似つかわしい曲なのかもしれないと素直に感じた。
北島三郎の「帰ろかな」は、ブルース的に解釈し直した演奏だと理解した。演歌の編曲から外し、北島御大のさりげないが名人芸的な節回しからも取り外すと、素直でシンプルな曲の輪郭が露になっていく。
「明日があるさ」は会場全員で賑やかに歌い、「さよならさよなら」で終演。マイク真木による実にシンプルな詞が沁みる。
アンコールは「どこかで」。永六輔の詞による本作は、ミュージカル用に書かれたものだという。中村八大のピアノソロ演奏によるセルフカヴァーアルバム『夢で逢いましょう』で、「踊り明かそう」を彷彿とさせるような軽快で華やかな演奏を聴くことができる。『SEE YOU IN A DREAM』ではさがの伸びやかな歌唱の後ろに、ストリングスと、さがが彼女の母親とポルトガルを旅行した際に採録した環境音が敷いてある。
「どこかであなたが生きている」。この曲はさがにとって、亡き母親との絆とも言える、とりわけ思い入れの強い曲であろう。「あなた」が生きていた記憶とともに、切々と歌い上げる名曲なのだった。
「夢で逢いましょう」の「夢」、それは何かこの世ならざる感じがする。
「上を向いて歩こう」は、戦後日本の、高度経済成長期を生きる人々の夢そのものだっただろうか。地名や商品名などの固有名詞を詞に含まない当時の歌謡曲は、まさにそのことでもって日本全域の人々の夢の投影先となっていただろう。その、歌と人々をつなぐものは、音楽制作に今より仔細にマーケティングのフィードバックがなされていなかった時代なのだから、およそ今現在流布している共感という言葉で片付くものでもないはずである。その点「夢」もまた歴史的に幾分古びているのであって、今現在を生きる私たちが中村八大の作品から聞き取れるものは、減っていっていることだろう。
それでも私は、八大楽曲を聴くといくらか空恐ろしい。「遠くへ行きたい」の「遠く」も、「帰ろかな」の「故郷(くに)」も、聴いていると、私たちが同じところから生まれ、同じところへ帰っていくのだ、という気になってくる。それは、各々が、いつかはそれぞれの「夢」なり「故郷」なりに帰り着き、「遠くへ行きたい」と思うものだ、という普遍性ではない。「夢」「故郷」「遠く」というのが、それ自体普遍的な場所としてある、というような感じがする。中村八大の歌の世界には、時代を越えて、集合無意識的なものが開けている。「いま―ここ」以外の桃源郷、とでも言うのか。そんな気がする。
けれども、そうやって「いま―ここ」以外のことで頭がいっぱいで、ふっとどこかへ行ってしまいそうな音楽を、さがの歌は、しっかりと地面に括りつけるかのような感じがある。確実な歌唱技術により、作品の機微の微細なところまで寄り添い、作品がちゃんと息を吹き返している。原曲にはしばしばストリングスが入っていたりして、バックのオーケストラが豪奢な輝きを放っているが、ギター一本で、ハーモニカの旋律とともに、さがの歌は作品の実存を引き立てていた。
そうして音楽が自ずから語り出す。何かこの世ならざる、空恐ろしいほどの根源的な寂しさがあると、吐露するのだったが、作品はひとりぼっちではない。こうして数々の才能あるミュージシャンによって度々再演されてきたのだし、聴いている人々も側に居続けている。その時私たちに桃源郷は必要ない。「夢」でなくったって、「いま―ここ」に響く中村八大の作品のうちで、私たちは恐らく何度でも出会うことができるはずである。
今度は八大先生の誕生日にやろうか、とさがは最後に言った。そのほうが華やかで、楽しくって八大先生にとってもいいでしょう、今日も、一番前のそこの席に八大先生来ていらっしゃるわ、と。
西村紗知 にしむら さち
1990年鳥取県生まれ。批評家。音楽批評ウェブマガジン『メルキュール・デザール』同人。すばるクリティーク賞受賞作「椎名林檎における母性の問題」。受賞第一作「グレン・グールドに一番近い場所」。ちえうみPLUSにて「新しい典礼」を隔月連載中。
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