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Concerts/Live ShowsNo. 340

#1424 コルトレーン・ナイト

text by Shuhei Hosokawa  細川周平

2026年7月14日 @京都 Rag

出演:
高橋知己 (ts)
竹内直 (ts, bcl)
喜屋武弥 (p)
畠山令 (b)
石田博嗣 (ds)

コルトレーンナイトはドラムスの石田博嗣が1992年より始めているトリビュート・コンボで、高橋知己、竹内直の2テナーをレギュラーとし、ピアノとベースは数年ごとに入れ替えてきた。7、80年代にエルヴィン・ジョーンズとジョン・コルトレーンに感化を受けたドラムスとテナーのベテラン3人と、その後のスタイルに拠る若いピアノとベース2人の対面クインテットで、かつて大学のモダンジャズ研でさえ聴かれたあの四角四面のインパルスもどきの再現ではなく、きっちりいまどきの展開を果たしている。今年は喜屋武弥(ピアノ)と畠山令(ベース)が呼び出された。コルトレーン(1926~1967)の生誕百周年と60回忌が重なり、京都の本拠地RagではミスターJ.C.の命日(7月17日)にちなんで日程が組まれ、特別気合が入っていたように思う。聴く側も気合が入り、曲目をメモしてみた。ほとんどは既知の曲と分かっていて、リーダーの志向を教えてくれるのはもちろんだし、昔のジャズ記憶、コルトレーン熱を思い出す楽しみにも通じると考えたからだ。元の曲を思い出すのはトリビュート・バンドならではの楽しみで、それなしには存在理由も見当たらない。昔の再現、焼き直しにつとめるだけではない。

一曲目は「ミスター・P.C.」、ポール・チェンバースに捧げられたブルース・フォーマットの曲で、コルトレーン流ハードバップのウォーミングアップとして、このコンボのオープニングによく選ばれる。よし、このノリで行きましょうとメンバー、客をひとつにまとめる。初演収録のアトランチック盤『ジャイアント・ステップス』は革新的なタイトル曲ばかりでなく、それ以外の新曲にも創意がみなぎって聴き通して飽きさせない。多くのヴァージョンが録音されていて、ウェイン・ショーターとエルヴィン・ジョーンズの合流したライブや、ジョン・スコフィールドとジャック・デジョネットの共演というのも今回初めて知った。インパルス時代のカルテットに記憶が突出しがちだが、コルトレーンはそれまでにマイルスのプレスティジ・クインテットを離れ、革新的なハードバッパーとして、シーンのリーダーシップを執っていた。

続いて同じアルバムに初録音され、コルトレーンのオリジナルのなかでもっとも有名なうちの一曲「ナイーマ」に、竹内直はバス・クラリネットを持ち込んだ。この一曲のために毎年横浜から楽器を担いでくると、石田のトークが笑わせる。ぼくがコルトレーンの衝撃を受けた70年代半ばには、コルトレーン&ドルフィーのクインテットの60年代前半ヨーロッパツアー録音が大きな発見で、ファンはジャズ喫茶の爆音オーディオで、今日はベルリン明日はオスロと録音でツアーのお伴をして舞い上がったものだが、竹内直はきっちりドルフィーの楽器を選んで、レーベルのオフィシャル盤の外へコルトレーンナイトを導いてくれる。このお伴がいると高橋知己のテナーはますますコルトレーン寄りに聞こえる。続くはタッド・ダメロンがコルトレーンをゲストに招いたプレスティジ盤『鳥のさえずり』から「ニッド」。この軽いスウィングは今では気持ちよいが、重厚好みの当時は無視していた。ゲストのピアノ、ベースがやっと場を得て本領発揮と聴こえた。

コルトレーンは「マイ・フェイヴァリット・シングス」でソプラノ・サックスを発見して、表現域を拡げ、信者を増やしフリーにも向かうのだが、石田のバンドはテナーに限定し、50年代の、モード奏法以前の曲を中心に選曲し、エルヴィン流で叩き直して敬意を示し、作曲家としてのJ.C.の卓越ぶりに意識を向ける。第一部の最後はソプラノの定番「アフロブルー」で、2テナーに置き換えたうえ、ドラムス・ソロがぐっと出て石田の見せ場をつくる。曲の流れにからだを任せて出番をまっとうする。

第二部の始まりは「モーメント・ノーティス」と「クレッセント」が選ばれた。曲名を言われるとアルバム・ジャケットが浮かび上がってくる妙な回路は、LPをありがたがっていた青春の名残で、コルトレーンナイトはふらふらっとノスタルジックだ。本当に望まれる観客ではないかもしれない。

終盤にかけてテナーを独りずつ立てるカルテット編成コーナーがあり、竹内はブルーノート盤『ソウル・トレイン』より「アーニーのテーマ」、高橋はインパルス時代の『エリントン&コルトレーン』より「インナ・センチメンタル・ムード」を選んできた。有名な『バラード』のほかにも、コルトレーンは歌ものが素晴らしく、テーマだけで曲を完璧に仕上げてしまう。小細工がない。爆走ばかりがコルトレーンではない。二人は敬意を込めて吹く。バラード特集のコルトレーンナイトがあってもよい(ドラムスの見せ場はなくなってしまうのだが)。

プログラムの最後は恒例の「至上の愛 第二部決意」で、元のアルバムは深いメッセージとともに大学生に愛聴され、両面30分を一気に聴きとおすのが暗黙の了解で、この部分はA面後半の山場だった。4部構成コンセプトアルバムの一部だけを選んで演奏するのは、当時はありえない選択だったと思う。二人のテナー奏者はインパルス時代の曲もそれ以前も、原曲のコード枠を超えフリーに向かうのを常とするが、晩年のコルトレーンとそれ以降を連想するというより、サックスを吹き始めたころの無垢を蘇らせているようだ。アンコールは「ブルートレイン」で旋律がとっつきやすいため、日本のアマチュア連もよく演奏していた。そのうえで最後の最後の時間を使って、『マイ・フェイヴァリット・シングス』から「エヴリタイム・ウィー・セイ・グッバイ」のテーマだけを演奏して客を追い出した。

今年は生誕百周年にちなんだトリビュート企画が日米欧各地で催されているだろうが、コルトレーンナイトはそれとは別種、筋金入りの崇拝が込められている。1966年の来日と翌年の逝去、それから神格化が始まり、レコードを拠り所に演奏者と評論家と熱烈な聴き手がジャズ喫茶のヒーローに祀り上げ、世界でも独特のコルトレーン共同体を作り上げたと思う。エルヴィン・ジョーンズが長期滞日して、石田博嗣のような純真なドラマーを生み出したことは驚くべきことで、コルトレーンナイトとは一種のエルヴィンナイトでもある。未発表テイクや映像がいくら公開されてもこの感慨には程遠く、ライブ演奏でのみ達しうる敬意の境地である。気持ちがぐっときて、かつてのヒーローの記念Tシャツを買って5人にサインしてもらった。着ると頭のなかはニューポート?バードランド?じゃない、キョート!

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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