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Concerts/Live ShowsNo. 340

#1420 権代敦彦 オペラ《ZEN》

text by Tomoko Yazawa 矢沢朋子
photo ©K.Miura

調布国際音楽祭2026
2026年6月26日(金)19:00開演  調布市文化会館たづくり くすのきホール

オペラ≪ZEN≫(世界初演)

作曲:権代敦彦
脚本:堤春恵
演出:田尾下哲
指揮:鈴木優人

鈴木大拙:加耒徹(バリトン)
西田幾多郎:与那城敬(バリトン)
木村和夫:櫻田亮(テノール)
鷹野清:加藤宏隆(バスバリトン)
木村正子:村松稔之(カウンターテナー)
看守:渡辺祐介(バス)

尺八:黒田鈴尊

管弦楽・男声合唱:バッハ・コレギウム・ジャパン
テノール:近野桂介、谷口洋介、中嶋克彦、水越啓
バス:大井哲也、小池優介、氷見健一郎、渡辺祐介
リコーダー:譜久島彰
フラウトトラヴェルソ:菅きよみ
ヴァイオリン:原田陽
ヴィオラ:高岸卓人
チェロ:山本徹
バロックハープ:伊藤美恵
チェンバロ:辛川太一
オルガン:石丸由佳
バロックティンパニ:菅原淳

照明:稲葉直人
美術:杉浦充
ヘアメイク:原美沙紀

https://chofumusicfestival.com/ja/program/e4SkbHmS


構想から10年!
台本は出来たものの、一度は崩壊。
その後、世界で唯一人、オペラ実現に向けて手を挙げてくれた
鈴木優人氏によっていよいよ音に・・・・・。
しかし、物語に縛られ、言葉に管理され・・・・・
「時間芸術」たる「音楽」の入り込む余地無き作曲。
これら多くの困難ーーそれは恰も(禅)の修行の如くーーを経て、
物語を置き去りにし、言葉を踏み台として、
言語世界を抜けた「音世界」を目指すオペラが完成。
終章で、読経と尺八の印象的な音に集約されるその「音世界」こそ、
まさにZEN(禅)が目指す境地でもあろう。ーーーーー権代敦彦
(フライヤーより)


権代敦彦の新作オペラ《ZEN》を観る。

まず、ホールが実に良い。響きもいいし大箱すぎずクラシック音楽に相応しい品格がある。休憩時のバーカウンターがないのが公共ホールらしいが、酒類メーカーのスポンサーが現物支給(ワインとか)という形で支援すると音楽祭感が高まるとは思ったが、そこは「禅」なのでストイックに鑑賞するのが筋ではある。

作曲家本人の言葉がそのまま曲の構造を語っており、クオリティも保証されている。間違いない。ソールドアウトになるわけである。調布という開催地を考えて1日公演だったのか、音楽祭のスケジュールのせいか。公演日が2日でも集客は楽勝だったのではないか。一期一会とはいえ1日とは勿体無い。

素敵なホールで素晴らしい演奏家と歌手による巨匠の作品を堪能した。バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)はやはりBCJで素晴らしく、オペラ歌手も上手い。合唱も権代作品の「鳴り」を底上げして観客を陶酔に導く音作りに貢献した。尺八奏者も場面転換を担ったように空気を変えた。全て予定調和と言っても差し支えないほどの完成度だった。流石であった。権代氏が新たに挑戦しようとしたことが達成されたかはともかく、皆にとって幸せな一晩だった。

権代氏は演奏家によって自作が化学反応を起こすことを前提としている作曲家だと私は思っている。例えば、メシアン、ライヒの作品が分かりやすいので例えにするが、彼らの曲はきちんと上手に弾くか、下手に弾くか、というような2択しかないような印象を私は受ける。それが悪いという訳ではない。上手に弾ければ精神的なカタルシスも得られ演奏家冥利にも尽きる。そういう意味ではラヴェルのピアノ作品に近い。ちゃんと弾ければ曲として鑑賞に耐えうる構造になっている。

《ZEN》の初演を聴き、その圧倒的な終盤の陶酔感に浸りながらも私は「この曲は再演ではまた違う表情を見せて大化けする可能性がある」と感じた。高い完成度の演奏という芳醇なる大地の中に仕込まれた作曲家の新たな試みの種がある気がするのだ。

「物語に縛られ、言葉に管理され」と作曲家本人が書いている通り、オープニングは「禅」をテーマにしているのに、日本語のテキストが多すぎると感じた。禅本来の「不立文字(文字に頼らない)」「言葉を超えた体験」は終章の尺八、合唱とアンサンブルで音量(デシベル)が劇的に上がったことも含め禅の境地に達した感を味わった。だが、そこに至るまでの過程において、なぜ「禅」なのに出演者はスーツ姿でクールビズっぽい着こなしだったり、しかもベルカントでアンサンブルが古楽器なのか?という違和感があったのは否めない。ベルカントは本来、言葉を歌として美しく流す技法だが、《ZEN》の冒頭は長いテキストをほとんど切らずに歌わせる場面が続く。結果として、ベルカント的な滑らかな歌唱、日本語の長い文章、禅的な反復が重なり、「説法」や「読経」のような印象になり、作品のテーマには合ってはいるが推進力に欠けた感があるのだ。権代氏はもっとラップのようにやりたかったのではないだろうかと邪推しながら聴いていた。

「言葉を踏み台にして」作曲したと権代氏はサラッと書いている。権代氏の1作目のオペラはリトアニア語の脚本に作曲した「桜の記憶」で、リトアニア語と3年格闘したという記述を見た。楽譜を見ていないので断定は出来ないが、今回も日本語の抑揚や韻律をかなり意識して葛藤したのではないだろうか。歌手が「オペラ歌手として完璧なベルカント歌唱法を作品に提供する」ほど、作品の意図から離れた可能性があるのではないかと思ったのだ。

ここでいうラップは、ヒップホップのスタイルという意味ではなく、言葉のリズムを優先、アクセントが重要で韻律やフレージングで推進力を生むという意味で、「日本語のプロソディ(言葉の自然なリズム)」をもっと前面に出すと印象がまるで違ったのではないかということだ。現代の作曲家は権代氏に限らず、ジャズ、ロック、テクノ、ラップ、民族音楽いろんなものを無意識に吸収しているはずなのだ。それがそのまま引用されなくても、時間感覚やリズムの設計として作品の中に潜んでいる。作曲家本人は「ラップを書いた」と思っていなくても、身体のどこかにその感覚が入っていることは珍しくないと思う。だから歌手が「私はクラシックの発声で忠実に歌いました」だけだと、その身体性を拾えない。

その点で木村正子役のカウンターテナー、村松稔之氏の日本語が生きていると感じた。この人はヒップホップのラップもイケるのではないかと思わせる推進力が言葉のリズムにあった。作品のテキストに合わせて身体をチューニングしたのではないか。オペラのメジャー言語ではない他の言語のオペラをイタリア・オペラ風に歌われると、作曲家の意図とは離れてしまうことがあるのを分かっているのだろう。《ZEN》も「オペラ歌手なら歌える」という作品ではなく、日本語の言葉を音楽としてどう生かすかという別の能力が求められたのではないかと思っている。ただ美しく歌えばいいわけではないところが難しい。美しく歌うことだって相当に難しいのだから。

ここに私はクラシックの教育の問題も少し感じる。クラシックは、「正しく歌う/弾く」ことは徹底的に教えるが「作品によって自分をチューニングする」ことは、教えない。でも現代作品ではそこが問われる。現代音楽は未来のクラシック音楽であり全てのクラシック作品はかつての現代音楽だったのだ。

初演に携わるということは、まだ存在しないものを立ち上げる行為だから演奏家は「再現者」ではなく「創作者」でもある。未来の音楽に共同作業として参加する姿勢が要る。演奏家は決して過去の技術を守るだけが使命ではない。もし再現と自分の様式を作品に適用するだけならAI歌手があと何年もしないうちに人間を超えてしまうかもしれない。

ベルカントが気になったのは第1幕の小編成での古楽アンサンブルということもある。古楽器でしかも小編成だから当然ではあるのだが、音量が足りない。フルオーケストラで歌う前提のベルカントに対してボリュームが低いのだ。もちろん、BCJだからこそ得られた透明感や細部の明晰さというのは小さい音でも伝わってはくるが、作品全体のスケール感と微妙に一致しておらず、前半だけでも軽くPAをかけた方がいいのではないか?現代音楽なんだしという気はした。権代敦彦はもともと大きな時間軸で音を積み上げて、音響の厚みを設計し、クライマックスを構築することに長けている作曲家だ。その資質を考えると、「古楽器アンサンブル」という制約が、かえって本来の長所を抑えてしまったのではないか、フルオーケストラならどう響くだろうという発想を持ってしまうのが自然な気持ちではある。

公開リハーサルでは観客もいなくて音も響いてバランスも良かったのかもしれない。それが満員の聴衆にアンサンブルの音が吸われてバランスが崩れたという可能性もあるし、もし《ZEN》が本質的にもっと圧倒的な音響、身体を包み込むような響き、劇場を満たす音圧を必要とする作品だったとしたら、BCJの方向性とは少し違っていたのではないかという気もするが、私は単にアンサンブルにPAをかけて再演を聴いてみたいと思っている。本作の小編成の楽器パートも緻密に作られているはずだ。チェンバロにPAをかけるとそれはそれはカッコよくなるのだ。まるでパンク。ぜひそれでアンサンブルでも聴いてみたい。衣装もスーツはやめて、最後の舞台挨拶での作曲家と脚本家が同じ色のシャツで衣装合わせをしてたようにコーディネートしてほしい。コンサート形式とはいえテキストのイメージとのギャップが気になった。作曲家と脚本家は木下正子役に次いで派手で素敵だったなぁ。尺八奏者もまんまZENぽくて衣装も所作も素晴らしい。

余談だが、現代音楽のオペラに限らずオーケストラ作品や小規模な編成、ソロ器楽曲などであっても「難解」「1度聞いただけでは理解できない」というようなことが書かれている記事を目にする。音楽であれ今回のような哲学的なテキストの扱いについてであれ、分からないものを「分からなかった」と書くのは随分勇気があるなと思う。創作者にとっては最大の営業妨害の言葉でもあるからだ。それに1度聞いて分からないものを何度か聞けば分かるのか?とも思う。このような記事は分からないながらも理解しようとして挫折したという善意の心理の吐露なのかと創作者に誤解させがちだ。その結果、ついサービス精神で「分かる」作品を作りたい気持ちにさせてしまうことになりかねず、商業的にはともかく音楽の未来のためにはならない。

権代氏は十分に権代敦彦ブランドへの期待に応えた。観客は最後に、「さすが権代」と私も含めて歓喜。ただ途中までの新しい試みがその「権代らしさ」に吸収されてしまったようにも私には思えた。ぜひ前半アンサンブルにPAをかけて確認してみたい(しつこいけど。絶対おすすめ)。


矢沢朋子 Tomoko Yazawa  ピアニスト/ DJ / プロデューサー
東京出身。フランス近代、現代音楽の演奏で特に定評のあるピアニスト。多くの有名作曲家が曲を献呈。桐朋学園大学、パリ・エコール・ノルマル高等演奏家資格取得。第16回中島健蔵音楽賞受賞。2001年よりマルチメディア・プロジェクト、エレクトロ・アコースティック・プロジェクト「Absolute-MIX」をプロデュース。CDをAmazon、iTune、Spotifyなどで40カ国以上に配信、販売するGeisha Farmも主宰。

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