#951 邦楽4選コンサート評
text by Masahiko Yuh 悠雅彦
思わぬ展開にびっくりしたり、考えさせられたり、共鳴したりと、久々に感慨深く聴いた4つの邦楽コンサートをめぐって
い)平家物語の世界~語りの伝統を次代に(平家語り研究会成果発表)
平成29年4月4日 火曜日 18時30分/紀尾井小ホール
(旬組)
1.生食《いけずき》より 日吉章吾
2.横笛《よこぶえ》より 田中奈央一
……………………………………
3.那須与一《なすのよいち》より 菊央雄司
吾身栄花《わがみのえいか》「桜の中音」 日吉章吾、田中奈央一、菊央雄司
木岡史明、友常昆山、長谷川慎
解説と進行 薦田治子
ろ)亀山香能 箏曲リサイタル~江戸のヒットメーカー山田検校を聴く2
平成29年4月2日 日曜日 午後2時開演/北とぴあさくらホール
1.江の島曲
2.千里の梅曲
3.住吉 //
4.八重垣
5.那須野 //
6.四季の段
7.桜狩
亀山香能(筝、三絃)ほか、山登松和、藤原道山、善養寺恵介、田辺頌山、福原徹、福原百之助、中彩香能、山下名緒野、山木七重、井口法能、上村和香能、樋口千清代、設楽千聰代、ほか多数
は)安藤政輝リサイタル~宮城道雄全作品連続演奏会<17>
(平成29年4月25日 火曜日 19時開演/紀尾井小ホール)
1.夢殿
2.希望の朝
3.夏の小曲
4.村の春 //
5.銃後の女性
6.数え唄変奏曲
7.祝典筝協奏曲
安藤政輝(筝、十七絃)ほか、清水紗登美、山水美樹、水澤泰助、大田原紗蘭、山崎忍、板橋美希、藤岡歩、黒須里美、石井まなみ、野澤波留美、安藤珠希、田嶋謙一、川村葵山、東野珠実、大家一将、北川森央 ~「祝典筝協奏曲」の
演奏者
に)出雲蓉の会~海底にきく魂のさけび
平成29年3月21日 火曜日 19時開演/千駄ヶ谷・国立能楽堂
1.一調一管~花重蘭曲
2.地唄~珠取り
3.一管~能「八島」より
4.狂言語り~奈須余市語
5.地唄~八島
梶谷英樹/太鼓、一噌庸二/笛~1 出雲蓉/舞、藤井泰和/唄・三絃、
川瀬露秋~2 一噌庸二/笛~3 野村万作(人間国宝)~4
出雲蓉/舞、藤井泰和/唄・三絃、一噌庸二/笛~5
何はともあれ、びっくりした話から。過ぐる4月のことだが、邦楽の演奏会で目を丸くしたことがあった。開門と同時に聴衆が続々と入場し(と書くと、いかにもサッカー・スタジアムか武道館コンサートの光景みたいだが、実は定員250人の小ホールでの話)、開演間近のころには空席がなくなった。少なくとも私にとって満席の邦楽演奏会は初体験の出来事であった。何でも当日、日本経済新聞にこのコンサートの紹介記事が載ったとたんチケットの申し込みが殺到し、新聞が出回って数時間も経たないうちにチケットが完売したのだとか。
そのコンサートが(い)の「平家物語」。おかげで熱気がホール内に充満するという、ふだん滅多に体験しない邦楽演奏会とはなった。平家語り研究会を主宰する薦田治子(武蔵野音楽大学教授)が奔走して実現したこの演奏会は、中世以来日本の伝統音楽の中心的役割を果たしてきた平家物語を、琵琶演奏を通して語る「平家」(平曲)に焦点を当てながら、今後の発展の希望の星となるまさに才能豊かな若い演奏家の芸で堪能してもらおうという、薦田さんはもとより私たち愛好家にも嬉しい催し。薦田さんの話と表情からは、この平家語りに献身する才能ある若い音楽家を得て、彼女自身が断絶の危機に瀕していると現状を憂う切羽詰まった危機感を打破して「平家」の再興に新たな希望を見出しつつある姿が伝わってきた。その若手演奏家は3人。平家語り研究会で研鑽中の地歌・奏曲演奏家、菊央雄司、田中奈央一、日吉章吾の面々。いずれもこの世界では数々の受賞歴を誇り、地歌・箏曲の演奏家として注目を浴びつつある俊英たちで、約10年に及ぶ平家語りの鍛錬の成果を堂々と披露した。琵琶に代えて三味線で平家を語るようになった琵琶法師たちが江戸時代に入って地歌や箏曲を手がけるようになった歴史が、山田検校や生田検校らに代表される邦楽の黄金時代を生んだことに思いを馳せるとき、今回の聴き比べや後半『那須与一』の語り比べなどを通して当時の琵琶法師たちの平家語りにかけた入魂の芸と足跡に思いをいたす貴重な機会ともなった。
びっくりついでにもうひとつ。それが(ろ)の亀山香能リサイタル。何と邦楽としては異例ともいうべき2度の休憩を含む、3時間半を超える長尺のコンサート。2014年に続く<江戸のヒットメーカー山田検校を聴く(2)と銘打ったこのリサイタルで、亀山は今回、山田検校の<中七曲>(なかななきょく)を全曲演奏した。一昨年演奏した「桜狩」を含めて、「那須野」や「八重垣」など山田検校の詩情が豊かに香るかのような7曲。驚いたのは、亀山香能がこれら全曲に演奏者として名を連ね、実際に誰よりも溌剌とした演奏で観客の目を奪ったことだ。いったい亀山さんはお幾つになられたのかしら。芸大卒業後プロの三弦奏者として活躍する中彩香能という愛娘がおられることを邦楽愛好家なら誰しもご存知だろう。またこのリサイタルが第20回であることからいっても、彼女が邦楽界の今や大御所の名に値する演奏家であることを私は疑わない。私自身にとっても流祖曲の<中七曲>を一度に聴くのは初体験だったが、演奏はむろん声や息の乱れもまったくないことにはただただ感心しきりとしかいいようがないほど。1曲か2曲は一息入れるために演奏を休んだっていいはずなのにと思ったくらい。ところが、彼女はどこ吹く風といった態で、まさに長丁場を一気に、いや悠々と演奏し、観客の喝采を浴びた。このホールは1300人収容の、邦楽としてはやや大きめのサイズだが、7割を超える聴衆が中座することなく、この長丁場の舞台を熱心に楽しんでいた姿に触れて、北区文化振興財団がこの演奏会を後押し(後援)する謎が解けたような気がした。タイトル通り、<江戸のヒットメーカー>の名にふさわしい山田検校の作品の、江戸のシューベルトともいいたいくらいの旋律美を堪能したコンサートであった。
安藤政輝が故・宮城道雄の全作品を踏破する<連続演奏会>(は)が、とうとう第17回を迎えたというのも、実は驚き以外の何ものでもない。この連続演奏会が1990年に始まったと言い換えれば、恐らくは誰しも感慨深きを覚えるのではないか。第1回以来212曲を演奏し終えたと知っただけでも、私などは気が遠くなるくらいの気分を覚える。今回、安藤が演奏した宮城道雄の作品は、宮城が1940年(昭和15年)と41年(同16年)に作曲した7曲。
昭和15年といえば日中戦争が泥沼化し、米国との対立がもはや避けられぬ事態へと進みつつあったころだ。それが現実となったのが昭和16年12月8日の日本によるハワイ・真珠湾攻撃で、この太平洋戦争が勃発したころでも創作意欲が衰えることのなかった宮城の作曲家としての力量と魅力を当時の幾つかの作品に窺い知ることが出来る。変奏曲を好んで書いた宮城作品の中でも「数え唄変奏曲」は「さくら変奏曲」と並ぶ親近感横溢する作品だった。だが、この日の私の秘かなお目当ては、最後の「祝典筝協奏曲」だった。昭和15年が神武天皇即位の年から2600年に当たるということで、軍部は生活の窮乏や不満から国民の目をそらせる目的もあって国内外の作曲家に奉祝曲を依頼した。その中ではブリテンやリヒヤルト・シュトラウスの作品が知られており、イベールの「祝典序曲」を時おり耳にすることもある。ブリテンの「鎮魂交響曲」なども演奏される機会に恵まれてもいい作品だ(ネットで検索すると、1956年にブリテンがN響を指揮した演奏が初演だったとあった)。日本の作曲家では山田耕筰、橋本国彦、早坂文雄、伊福部昭等々20人を超える作曲家が祝典曲を発表しているが、邦楽では宮城道雄以外には思い浮かばない。安藤政輝の演奏で初めて聴いた宮城道雄の「祝典筝協奏曲」は活きいきとしたリズムが全体をリードし、和の感覚と西洋のコンチェルトの流麗感がマッチし合った親しみやすい祝典曲と聴いた。終盤におかれたカデンツァでの安藤の巧みな指さばきと確かなテクニックを思う存分楽しんだ。ぜひ、もう一度聴きたいものだ。2群れの筝群に、宮城が発案した十七絃、胡弓、尺八、フルート(宮城は極めてフルートがお好きだったようだが、彼の西洋楽器への理解は戦時中、ルネ・シュメーが演奏した「春の海」を聴いて感激すると同時に納得したことを改めて思った)、それに笙と打物(打楽器)を加えた、まさに筝コンチェルトと呼んでも何ら違和感のない作品だった。
当夜、司会をつとめたのはプログラム・ノートに一文を寄せた野川美穂子氏だが、昭和15年と16年の当時のさまざまな資料を引用して解説したトークが、当時の世相や時代状況を的確に、特に当時を知らない世代の観客にも分かりやすく伝えていたことに、あらためて拍手を贈りたい。
出雲蓉の地歌舞にはえも言われぬ、むしろ不思議なといいたいくらいの魅力がある。最後はひとつ、私の好きな蓉さんの地歌舞で締めくくることにしよう。しかも今回は、記念すべき50回記念の<出雲蓉の会>(に)。私が忘れられないのは、いつのことだったか正確な日にちは思い出せないが、国立小劇場で舞った「雪」。この日と同じ藤井泰和の三絃と唄で舞った彼女の情熱を内に隠した舞の繊細美、そこに情念の雫が落ちるかのような独特の味わいに、私は強く惹き付けられたのだ。その後、彼女の地歌舞を何度となく拝見して、ハッと気がついたことがある。彼女の地歌舞からは時おりヨーロッパのパントマイムの仕草や、ユーモア感覚の表現性が出雲蓉ならではの独特の表現美をまとって輝く瞬間があることだ。
この日は50回記念とあって、一噌流笛方、一噌庸二と太鼓の梶谷英樹とのデュエットによる祝福曲で始まり、とりわけ野村万作の狂言語り、特に那須与一、源義経、後藤兵衛実基の3人を語り分ける、まさに人間国宝の至芸を目の当たりにできた観客はまさに幸運だった。
出雲蓉の舞は地唄の「珠取り」と「八島」の2曲。いずれも藤井泰和が唄と三絃を担当。「珠取り」では川瀬露秋が筝を、過去に何度か拝見したことがある「八島」では一噌庸二が笛を演奏して舞台を守り立てた。龍神との死闘の末に凄絶な最期を遂げる1人の海女の思い(情念)を、出雲は抑えた情念を内に秘めた表現で舞った。一方、何度か上演している十八番の「八島」では、何と彼女は師匠の故・神崎ひでが生前の昭和40年に新橋演舞場で舞ったときに着装した着物を纏って現れた。田中英機氏が書いたプログラム原稿の最後を引用させていただく。「(それは)伊東深水デザイン『八島のために』と銘した衣装であった。出雲蓉は師匠の形見としてこの着物を頂戴し、この日はこれを身にまとい、師の心を心として今日を舞う」。そして、出雲蓉は晴れ晴れと舞った。私はといえば、引き込まれるように師匠の魂が宿った衣装と、心が宙に飛んでいるかのような彼女の舞とを、ただ夢見心地で眺めていた。(2017年5月5日記)