#998 エマニュエル・パユ SOLO
text by Masahiko Yuh 悠雅彦
2017年11月28日 19:00 東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ・メモリアル
エマニュエル・パユ Emmanuel Pahud(flute)
1.声(ヴォイス)~武満徹 (1971)
2.スペインのフォリア~マラン・マレ (1701)
3.ビヨンド Beyond ( a system of passing )~ピンチャー (2013)
4.3つの小品~フェルー (1921~22)
5.小組曲~ヴィトマン (2016)
6.無伴奏フルート・ソナタイ短調 Wq. 132 ~C.P.E. バッハ (1747)
7.エア~武満徹 (1995)
Enc. 1.密度21.5(エドガー・ヴァレーズ)
2.シランクス(ドビュッシー)
パユの単独コンサートは故・武満徹の「声(ヴォイス)」ではじまった。
単独演奏会といったって、フルート奏者でマグナムトリオを率いて人気を集めている多久潤一郎に言わせると、フルートには200から300もの異質な音を出す奏法があるそうだし、パユもそれにヒケを取らぬ多彩な奏法と音の玉手箱を持つフルート界屈指の名手なので久しぶりに聴く彼の妙演を楽しむべく聴衆の1人となって期待をつのらせた。それにしても単独フルートのコンサートに1632席の大半が埋まるほど観客が詰めかけるとは。さすがフルート希代の名手エマニュエル・パユのコンサートというべきか。武満徹作品で幕を開けたコンサートの最後も武満徹の「エア」。パユが故人の音楽に敬意を表したのか、あるいは東京オペラシティの大ホールが<タケミツ メモリアル>と命名されていることへのパユの敬意の現れか。どちらも正鵠を得ているような気がするのも、彼が日本で行われたフルート・コンクール(1989年 神戸国際フルート・コンクール)で第1位に輝いて以来、幾度も来演を重ねたほか、テレビの「徹子の部屋」への出演(2002年)やNHKの大河ドラマ「功名が辻」で演奏(2006年)するなど、日本への彼の特別な愛情が奇しくも武満徹と結びついて、離れがたい縁となっているように強く感じられたからでもある。
冒頭の「声(ヴォイス)」。聴く耳を激しくとらえて居合の殺気すら覚えさせる、激しい息遣いの音。剣豪の太刀の斬れ味とおぼしき、フルートからほとばしる殺気みなぎった音が空間を切り裂く瞬間では、初来日公演(1990年11月)以来27年の歳月を重ねても、あの聴く者の居ずまいを正させる気合いのこもった切っ先鋭い奏法は20数年を経てもさほど変化していないことにあるときは驚き、一方で安堵する。ところが、2曲目のフランス・ルイ王朝時代の花形ヴィオール奏者マラン・マレの「スペインのフォリア」になると、武満作品で強く印象づけた空間との激烈な対峙は影を潜め、あたかも童謡を口ずさむかのような、柔和で優しい表情に変わった。といって、不自然さは微塵もない。「ヴォイス」で表現した、魂を揺り動かす剣豪の太刀の鋭さや、見えない精神の果てを射抜くような眼光の鋭さは、いったいどこへ消えてしまったのか。この2曲だけで私はパユの魔術に完全に翻弄されたようだった。だが、いざ振り返ると、翻弄されたことを思い返す瞬間の気持よさが脳髄を突き抜けた。
この日のコンサートには通常の休憩時間がなかった。パユは1曲吹き終わるごとに足下に置いた水を口に含んでは、ほとんど大した間をおかずに、プログラム通りの曲目を演奏した。彼の頭の中で構成された演奏地図通りに、イメージした回路を通って醸成されたイマジネーションの美を空間のキャンバスに描き続けたのだ。第3曲が現代ドイツの指揮者にして作曲家のピンチャーが2013年につくった「ビヨンド」。冒頭で触れた多久潤一郎の言う、異質な音をさまざまな奏法で編み出して組立てて行くパユならではのフルート技法が華やかに開花する。それに立ち会う妙味に酔う。次がプーランクとは仲のいい間柄だったというフェルーの「3つの小品」。”恋にとらわれた羊飼い”、”翡翠(ひすい)”、”端陽(端午の節句)”。パユはフルートで歌う。古いシャンソンの趣きが忍び寄ってくる。
ところが次の「小組曲」が現代ドイツの作曲家ヴィトマンの2016年作品。白石美雪さんの解説には来たる1月、<無伴奏のリサイタルと読売日響での自作協奏曲の演奏を予定している>とあり、大きな注目を集めそうだ。これに続いて演奏したのが、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハの「無伴奏フルートソナタ」。多くのフルート奏者に愛奏されてきたソロ曲だが、パユが吹くとごく自然に格調の高さと人なつっこい親近感とが、デリケートな音色と決して何にも媚びないスケール豊かな表現のそこここに横溢する。全3楽章を聴き終えて、思わず我に帰った瞬間の至福とは、こういう一瞬を言うのだろうか。
そして、武満徹の「エア」。故人がオーレル・ニコレの誕生祝いに書いたというこの作品の何とも言えぬ静かな温かさを、パユは在りし日を思い浮かべるかのように柔らかな表情で吹く。同じスイス人の偉大な先輩と相まみえた在りし日だったか、それとも武満徹の描くスピリチュアルな世界に共鳴した在りし日だったか、それは分からない。だが、パユが深淵の底から立ち上ってくるような殺気すら覚える「ヴォイス」で蓋を開け、最後のページを故人の柔らかな笑顔を彷彿とさせる「エア」で静かに閉じたパユの日本への思いすらもが私たちの胸に去来するとき、彼の人間的な優しさの一滴が私たちの心を和ませる一夜の幸せをしみじみと振り返らずにはいられなかった。
アンコール曲は、ヴァレーズの「密度21.5」とドビュッシーの「シランクス」。ふと「バッハ、ブーレーズ、ドビュッシーを並べてこの3者にどんな共通点があるかを考える面白さ」に言及したパユの言葉が耳もとに甦った。
武満徹、エマニュエル・パユ