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Concerts/Live ShowsNo. 218R.I.P. ナナ・ヴァスコンセロス

#890 エグベルト・ジスモンチ・ソロ〜ナナ・ヴァスコンセロス追悼コンサート〜

text by 平井康嗣  Yasushi Hirai
photo by Sho Kikuchi

 

4月20日、エグベルト・ジスモンチ達との再会

今年の2月、エグベルト・ジスモンチとナナ・ヴァスコンセロスが、4月20日に来日すると言う情報を見た。この機会を逃すと、もうこの二人の共演は日本で観る事はないだろうと、思い早々にチケットを手配した。実はジスモンチは昔、ダッド・ガーフィンクルの招聘のもとで岡山の県立美術館ホールでソロ・コンサートをしたことがある。最初のジスモンチの来日の時であった。私が学生の時、エグベルト・ジスモンチとナナ・ヴァスコンセロスのECM盤『輝く水(Danca Das Cabezas)』を聴いた時の衝撃は、その後の私の音楽観に大きな影響を与えた。そして、ジスモンチのブラジル盤を求めて、京都のレコード屋にいったことがある。まだ、LPコーナーに勤める前の話だ。ブラジル盤を聴いて益々ジスモンチの音楽性の広さに戸惑ったものだ。
そんな思いもあって、今回の東京公演は私には格別なものだった。然し、3月のナナ・ヴァスコンセロスの悲報を知って、私の中の二人への思いはセピア色へと変わっていった。それでも、ナナの追悼コンサートと言う事で、ジスモンチの中のナナへの思いを聴こうと奮い立った。当日は、岡山でのブラジル・中南米音楽の振興に尽力されている嶋岡さんと上京した。夕方の開演だったので早めに岡山を出て、2年近く前に亡くなられた副島さんのお宅にお邪魔して副島さんの遺影の前で手を合わせた。奥さんから色々と副島さんの話を伺った。ふと、初老に近い未亡人の喋り口がどことなく副島さんの喋り口と似てるように思えた。長年連れ添った夫婦は、お互い性格も似て来るという。副島さんの声が聞こえたような昼下がりであった。
日が暮れた練馬文化センターには、東京のミュージシャンやら業界人が沢山集まっていた。東京というより、日本全国からその手の人が集まっていたのだろう。私も、岡山出身のサックス奏者の橋爪亮督さんに出会った。「聴きにこなけりゃ、駄目でしょう。」と、橋爪さん。ナナ・ヴァスコンセロスの追悼コーナーが設けられていて、生前のライヴ映像が流れていた。結構な人だかりなのでゆっくりとは見えなかった。そうこうしてるうちに開演時間とあいなった。席は前から5列目の左より。ジスモンチのピアノの鍵盤も見えるラッキーな席だった。
演奏は、ジスモンチが和楽器の笙(しょう)をおもむろに吹きながら始まった。「輝く水」の冒頭の部分に入っていた音は、笙だったのだ。そして、12弦ギターでDanca Das Cabezasを弾きだすとフラッシュバックの感動がこみ上げてきた。確かに昔のシャープな音とは違うが、それは30年以上の時間の中で成熟した音でもあった。次に24弦ギターを弾きだした。昔の岡山公演では、エレベーターで手を挟んで24弦ギターは弾かなかったので、初めて目にした演奏だった。パーカッシヴな弦の響きと、ギターのメロディーが交差しながらまるで2人で演奏しているようなギターソロを目の当たりにして、今更にジスモンチの凄さに驚いてしまった。確かに、そのパーカッシヴな響きは、ジスモンチが言っていたように、ナナのビリンバウのような音を出していた。
2部はピアノ演奏から始まった。ブラジルの息吹がピアノからうねりながらながら、激しく、時にゆったりと流れ出る。素晴らしいテクニックなどというレベルではない。ジスモンチの中にあるブラジルのネイティヴな魂、アマゾンの風の匂い、ジャングルの木漏れ陽、暑さを飲み込む濁流の流れ、そんな大自然の命の営みが、押さえきれないグルーヴとなってピアノの音に載って溢れでているのだ。それは音楽が生まれ出る瞬間の演奏といってもいい。まさに神様の音楽だ。ジスモンチは、それを表現する為の技術をギターとピアノで身に付けたのだ。目を閉じて音楽に聴き入ると、ジスモンチの演奏にナナ・ヴァスコンセロスのビートも聴こえてくる。ジスモンチはナナを意識しながら演奏をしている。すると、演奏が静かになった時、ピアノ以外の音が聴こえてきたような気がした。ジスモンチもピアノの向こうに身を乗り出して何か捜すように演奏をしていたが、いつしか会場の拍手の音にその気配は消されてしまった。アンコールは、もおもむろにピアノソロから静かな曲想で始まっていった。暫くすると、舞台の右半ばに銀幕が降りてきてナナ・ヴァスコンセロスのプライベートなソロ演奏の映像と音楽が流れ出した。なかなか洒落た演出に思えた。本来ならジスモンチはその映像と共演する筈だったのだろうが、彼は映像に演奏を重ねることもなくコンサートは終了した。ステージを去る時、ジスモンチは手を振りながら「もう疲れたから、ホテルに帰って寝るよ。」と言って袖幕に消えていった。
終演後、私は今回のチケット手配に便宜を図って頂いたタムラさんに、一言お礼をしようと思って捜してみたが、10時閉館のカンパケでスタッフの方々もバタバタとしておられたので、お会いできなかった。私と嶋岡氏もコンサートの興奮もさることながら、久しぶりの上京に疲れたので、夜遊びもせずそそくさとホテルに帰って寝る事にした。何処にも行かずホテルに帰った方が、コンサートの余韻も大切にできるというものだ。然し、あの会場で聴いたナナ・ヴァスコンセロスの気配は、私の思い過ごしだったのだろうか。それとも…。私はホテルで、その日出会った副島さんとナナ・ヴァスコンセロスの感触を思い出しながら、冥界に誘われるかのように寝入ってしまった。(2016.5.11)

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平井康嗣

平井康嗣 Yasushi Hirai 1954年 岡山に生まれる。 学生時代からジャズが好きで、常連客だったジャズ喫茶「シャイン」でアルバイトをするようになり、ついには「シャイン」のオーナーであり自身が"音楽の師"と仰ぐ乗金健郎(のりかねたけお)氏の紹介でジャズ、ロック、ソウルを中心のレコードショップ「LPコーナー岡山支店」店長となる。同時に、ジャズ・フォーラム岡山、フリー・インプロヴィゼイション・クラブ、表町生活向上委員会等の団体を主催して、ライブの企画を手がけ、数多くのミュージシャンを岡山に招聘する。 また、平成元年のスポーツ公園での「音楽三昧公園まつり」には上々颱風、梅津和時、古澤良治郎を迎えて、音楽愛好家達による手作りの音楽イベントにも着手。その後、後楽園の河川敷では日ソ友好の「公園まつり」で、ソ連からアルハンゲリスク、沖縄のネーネーズを披露した。西川公園での渋谷オーケストラをゲストに迎えた「音楽楽市」の協力、築城400年祭のおかあさんと子供の為の「ヴォイセス・フォー・チルドレン」では、モンゴルの不思議な歌声ホーメイのサインホを紹介。音楽の原点に立ち返る石門別神社での「いわとわけ音楽祭」、そして2002年からスタートした「岡山ジャズフェスティバル」では、ゲイリー・バートンと小曽根真のデュオを実現。音楽による岡山の地域おこしの市民活動にも尽力した。 今は引退して、岡山出身のミュージシャン達、コジマサナエ、橋爪亮督、及部恭子、鳥越啓介、Mika(森 美佳)などを応援するかたわら、様々な音楽を一音楽ファンとして純粋に楽しんでいる。 招聘した音楽家は、 エルビン・ジョーンズ、エヴァン・パーカー、ペーター・ブロッツマン、エグベルト・ジスモンチ、レイ・ブライアント、ドン・フリードマン、姜泰煥、デレク・ベイリー、リッチー・バイラーク、ジョージ・ムラーツ、ゲイリー・バートン、リチャード・デイビス、ジミー・スコット、エリック・アレキサンダー、スティーブ・キューン、シーラ・ジョーダン、ピエール・バルー、マーク・マーフィー、デヴィッド・マレー、リー・コニッツ、サインホー・ナムチャラック、ネッド・ローゼンバーグ、デューク・ジョーダン、マイク・スターン、ヒューストン・パーソン、エタ・ジョーンズ、レス・マッキャン、マリーナ・ショウ、スコット・ハミルトン、ダニエル・ユメール、ポール・モチアン、ビル・フリーゼル、ジョー・ロバーノ、ジャネット・サイデル、ゲイリー・ピーコック、グレッグ・オズビー、ホッド・オブライエン、アルハンゲリスク、AMM、ジョン・ローズ、トム・コラ、トーマス・チェイピン、マイラ・メルフォード、梅津和時、加古隆、中村善郎、宮野弘紀、ヤヒロトモヒロ、橋本一子、山本剛、菊地雅章、小曽根真、おおたか静流、内橋和久、上々颱風、ネーネーズ、坂田明、峰厚介、藤原清登、佐藤允彦、早坂紗知、大友良英、木住野佳子、川嶋哲郎、廣木光一、鬼怒無月、ティポグラフィカ(菊地成孔)、巻上公一、酒井俊、程農化、渋さ知らズ、山崎ハコ、与世山澄子、フェダイン、灰野敬二、黒田京子、ガイアクアトロ、片山広明、タイロン橋本・・・・・等々。 副島輝人、白石かずこ、若松孝二

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