#895 Cooljojo Open記念Live~HIT(廣木光一トリオ)
2016年5月8日(日) 本八幡 Cooljojo
Report and photo by 齊藤聡 Akira Saito
HIT:
廣木光一 (g)
飯田雅春 (b)
ヤヒロトモヒロ (perc)
1st set
1. アルボラーダ(カルトーラ)
2. 人生は風車(カルトーラ)
3. Otaru Shibuya Yokohama(廣木)
4. 白と黒の肖像(ジョビン)
5. マラカトゥ(飯田)
2nd set
1. クール・ジョジョ(廣木)
2. ロブノール(廣木)
3. ファランド・ジ・アモール(ジョビン)
4. フレネシー(廣木)
5. 私の声、私の人生(ヴェローゾ)
6. (アンコール)ガル(廣木)
この2016年5月、千葉県市川市・本八幡に「cooljojo jazz+art」という空間がオープンした。東京の東側から千葉にかけては、ジャズや即興音楽を聴くことができる場所はさほど多くない。その意味でも嬉しいニュースである。また、かつて同じ市川市に「りぶる」というライヴハウスがあったことが思い出される。筆者は、開店記念ライヴの2日目に足を運んだ。
店名は、伝説的なギタリストの故・高柳昌行が1979年に吹き込んだアルバム『COOL JOJO』から取られている。店のロゴマークには、高柳夫人・道子さんの絵と字が使われており、また、高柳の蔵書が店内の書棚に並べられている。まさに、高柳の磁場たる空間である。そして、この日に演奏したのは、高柳に師事したギタリスト・廣木光一。
廣木はガットギターを用いて、オリジナル曲の他に、ジョビン、カルトーラ、ヴェローゾと南米の音楽家たちの曲も演奏した。飯田雅春のベース・ソロはカラフルだ。ヤヒロトモヒロがブラシでシンバルやカホンを叩く音も、手で鳴らす鼓の音も、また右足にくくりつけたいくつもの缶飲料製のパーカッションを振らせる音も、花火のように鮮やかなリズムを発散させた。それらの散りばめられた音の中で廣木が弾くギターは、不思議なことに、まるで静寂を自身の身にまとっているように、音の粒を際立たせて静かに響いた。また、『COOL JOJO』に録音された、レニー・トリスターノからリー・コニッツに連なっていくコンセプトを受け継いだ高柳のプレイを想起させてくれる瞬間もあった。
演奏の合間に、廣木光一が語った。18歳のときから17年もの間、高柳が亡くなるまで師事したが、もし彼がまだ存命ならば今でも毎週教えを受けているだろうね、と。このヴェテランをしてそこまで言わしめる高柳昌行とは、一体どれほどの存在だったのか。
1986年10月に、「高柳昌行の世界」と題された名古屋ヤマハ・ジャズ・クラブのイヴェントにおいて、高柳+渋谷毅によるオーケストラが企画された。ところが高柳の体調不良により、急遽代役を務めたギタリストが、この廣木光一なのだった。現在も続く長寿バンド・渋谷毅オーケストラのはじまりである(翌11月にメンバーの少々の変更があり、はじめての演奏が新宿ピットインでなされた)。なお、10月の演奏のときには、ベースが齋藤徹、ドラムスが山崎弘(現・山崎比呂志)であり、編曲には渋谷毅に加えて佐藤允彦が参加し、ビックス・バイダーベックやカーラ・ブレイの曲も演奏したという。渋谷毅オーケストラ前史としてとても興味深いところだ。
また、ヤヒロトモヒロも、笑いながら、高柳の思い出話を語った。既に山下洋輔とも共演し、血気盛んな若い頃。上記のベーシスト・齋藤徹の紹介で、高柳に、来日していたオズバルド・レケーナ、ダニエル・ビネリらタンゴの音楽家たちのところに呼び出された(バブル期のこと、彼らは京王プラザホテルで演奏していた)。意気揚々とパーカッションを持って出かけて行ったところ、任せられたのはスペイン語の通訳だけだった。しかし、学んだことはとても多かった、と。高柳は、レケーナらからタンゴやフォルクローレのレッスンを受けようとする貪欲さまでも、持っていたのである。
苛烈な即興演奏を展開している今井和雄も、『コンボ・ラキアスの音楽帖』という素晴らしく詩的な作品を残した飯島晃も、もちろん廣木光一も、高柳の弟子筋にあたるギタリストである。今井和雄と齋藤徹とは、高柳が入院中の病院で偶然知り合い、その後の再会をきっかけに、今も共演し、即興音楽の新たな地平を開き続けている。まさに、想像以上に、高柳昌行という存在が、日本のジャズ・即興音楽の源流であったことが実感される。
さて、今後、この「cooljojo」において、どのような音楽が展開されていくのだろうか。
(文中敬称略)