#1069 3/3 喜多直毅クァルテット二日連続公演『詩篇』ー沈黙と咆哮の音楽ドラマー』

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2019年3月3日(日)東京渋谷・公園通りクラシックス
Reported by Kayo Fushiya 伏谷佳代
Photos by Etsuko Yamamoto 山本悦子

<出演>
喜多直毅クァルテット/Naoki Kita Quartette
 喜多直毅/Naoki Kita(Music and Violin)
 北村聡/Satoshi Kitamura (Bandneon)
 田辺和弘/Kazuhiro Tanabe(Contrabass)
 三枝伸太郎/Shintaro Mieda(Piano)

<プログラム>
1. 月と星のシンフォニー
2. さすらい人
3. 詩篇(初演)
4. 轍
5. 厳父


研ぎ澄まされた演奏であった。毎回の公演にはタイトルがあり新曲として披露されるが、今回は『詩篇』。自身もカトリック教徒である喜多が、日常生活から掬いとったテンションが濃厚に反映されている。この日は前々回のタイトル曲でもあった「厳父」も奏された。技巧・楽曲構造・感情の発露の全面にわたり、大きな振れ幅をもつのが魅力のユニットであるが、同等な存在感をみせつけるのは、音楽の増幅の狭間から覗く現実感たっぷりのざらついたテクスチュアである。楽器と肉体との接合の在り様か。「いぶし銀」という単語も近くて遠い。ノイズとも異なる。プリペアド奏法やそれらが生む掠れや軋みや沈黙、さまざまな様式の諸要素をはらみつつ、感情面では喜怒哀楽が同期する。苦悩や贖罪意識、希望がないまぜに膨れ上がる。ハードなドライヴ感ではあるが、何かに突き動かされて前進せずにはおれないような逼迫感に貫かれる。宗教的な特性と安易に結びつけるべきではないが、その厳しさや直線的で刃のような立ち昇り、切り返しの激しさに、仏教的なループの緩やかさはない。各人のソロの連結にもそれは顕著で、互いに調和しながらも、個々の音楽が険しさを内包し、完結したシーンを成す。奇抜な奏法や音のヴォリュームと素直な鳴らしの間には、断絶はなくスムースである。しかしながら瞬間の充実が生の実感を突きつける。クァルテットとしての楽曲も増え、喜多の通奏低音を成すような世界観がほの見えるようになってきた。微音が空気に侵入するとき、音楽がうまれる不穏な期待感が満ちる。一角しか姿を現わさない氷山のように、底に沈む底知れぬ影を予感させる。(*文中敬称略)



<関連リンク>

https://www.naoki-kita.com/
http://kitamura.a.la9.jp/
https://synthax.jp/RPR/mieda/esperanza.html
https://www.facebook.com/kazuhiro.tanabe.33?ref=br_rs

伏谷佳代

伏谷佳代

伏谷佳代 (Kayo Fushiya) 1975年仙台市出身。早稲田大学卒業。幼少時よりクラシック音楽に親しみ、欧州滞在時 (ポルトガル・ドイツ・イタリア) に各地の音楽シーンに通暁。欧州ジャズとクラシックを中心にジャンルを超えて新譜・コンサート/ライヴ評、演奏会プログラムの執筆、翻訳などを手がける。

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