#1076 Talibam! with 今西紅雪
Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by m.yoshihisa
2019年4月12日(金) 千葉県市川市・cooljojo
Talibam!:
Matt Mottel (keytar)
Kevin Shea (ds)
Kohsetsu Imanishi 今西紅雪 (箏)
タリバム!のマット・モッテルから、日本の伝統楽器と共演したいとの相談があった。筆者が思い出した演奏家は、箏の今西紅雪である。「Jazz Artせんがわ2018」において、笙の石川高とともにピーター・エヴァンス(トランペット)と共演したステージは、エヴァンスの極めて高い技術による抑制とふたりの和楽器の美学とが重なり、刮目すべき静かな鮮やかさを生み出していた。
だが美学ということで言えば、タリバム!のそれは、エネルギーの放出であり、大暴れであり、哄笑や皮肉であり、ダダイスティックな騒乱であるに違いない。来日初公演となった幡ヶ谷・forestlimitでのパフォーマンス(2019/4/5)は、まさにそれを体感させてくれるものだった。彼らは、1時間にわたり集中力を切らさずに陶然とさせるドローンやノイズを放ち、最後には銅鑼を蹴飛ばし、観客を痙攣せしめたのだった。今西もこれを目撃した。明らかにエヴァンスらとの抑制の美学とは対極にあるサウンドだ。
どのような邂逅となるだろう。タリバム!にとってもはじめての和楽器との顔合わせなのである。
はじめは模索的にみえた。
マット・モッテルが使う「キーター」は手持ちのシンセサイザーであり、ギターのようでもあるからその名が付けられている(ヤン・ハマーやハービー・ハンコックが使っている姿を思い出す者も多いだろう)。彼はさらに2本の弦を張った手製の楽器をガムテープで装着しており、名の無い「ダブル・キーター」としている。DIYの独創精神が、既にここにあらわれている。
マットはそのキーターの鍵盤と弦により、箏の音に近づき、また邦楽的にも感じられる不穏なフレーズの繰り返しにより、3人の活動領域を担保した。ケヴィン・シェイは、はじめは擦りも利用して周辺音からサウンドを形成しようと試み、やがて、ガジェットも含めあらゆる音を公平に扱い、ドラミングの中に権力関係を作らないという彼の特徴を発散しはじめてきた。そして今西は、速い両手の動きで十三絃の上から下までを往還し、煌びやかな星々を撒いてゆく。
マットが弓でキーターの弦を擦りつつ電子音を出せば、今西も弦を横に擦り箏をシンセサイザー化してそれに応じる。また、マットの低音の繰り返しにはまた別様に呼応する。キーターがドローン的な成分を増やしてくると、箏の弦の間に挟んだ小片をいくつも振動させ、さらに複層性を増した。一方のケヴィンもまた、リアルタイムの実験精神を決して手放さない。3人の動きが噛み合い、ダークでもドープでもあるサウンドが形作られてきた。
セカンドセットはややリラックスしたようにはじまった。ケヴィンがさらに自由闊達になっている。面白いことに、今西が弓で弦を弾き、マットが鍵盤で琴の音を掻き鳴らしている。もはや互いに入れ替わることができるほどに交感したわけである。
そして、ここから30分強の間、見事な化学反応が起きた。既に3人は互いの間合いをつかんでいる。各々が臆することなく自身の実験を行い、相互に入れ替わり、あるいはまるで両手の指を次々に絡ませるようにして、音風景を変貌させ続けた。ケヴィンの遊び心が花開き(最後はもふもふの猫ちゃんとともに暴れた)、マットのシンセとエフェクターが1980年代のアート・アンサンブル・オブ・シカゴを想起させるコミュニティ的な電子サウンドを創出し、今西は華美さと絢爛さをまたさらに増した。
この邂逅が、また次の何かを誘発するだろうか。
(文中敬称略)