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Concerts/Live ShowsNo. 259

#1104 80歳記念 ハインツ・ホリガーと仲間たち

text by Yoshiaki onnyk Kinno 金野onnyk吉晃

2019年10月4日 盛岡市民文化ホール(小ホール)

ハインツ・ホリガー(オーボエ、作曲)
マリー=リーゼ・シュプバッハ(オーボエ、イングッシュホルン)
ディエゴ・ケンナ(ファゴット)
エディクソン・ルイース(コントラバス)
桒形亜樹子(チェンバロ)

ゼレンカ トリオ・ソナタ第1番 へ長調 ZWV181
ホリガー コントラバス・ソロのための前奏曲とフーガ
J.S.バッハ トリオ・ソナタ変ホ長調 BWV525
細川俊夫《結び—ハインツ・ホリガーの80歳の誕生日を祝して—》(2019) オーボエとイングッリシュホルンのための
テレマン「忠実な音楽の師より」ソナタ へ短調TWV 41:f1
ゼレンカ トリオ・ソナタ第5番 へ長調 ZWV181


録音ではずっと聴いていたが、生演奏に接した事の無い巨匠、ハインツ・ホリガーが日本公演をしていた。齢八十に達するのだから、この機会に聴いておかねばと勇んで出かけた。 愛聴していたのはECM new seriesの一枚、86年録音、トマス・デメンガ名義の一枚だ。これはホリガーと、J.S.バッハの曲集であるが、ホリガー3曲、バッハは「無伴奏チェロ組曲第4番変ホ短調BWV1010」のみである。デメンガがチェロで、カトリン・デメンガがヴァイオリンを奏している。 ここでホリガーの提供したのは「ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲」「オーボエ独奏のための種々の響きの研究」「チェロ独奏のためのトレーマ」というまことにバランスのとれた選曲だが、とくにこのオーボエのソロが素晴しかった。私はそれから彼の録音を漁り始めた次第である。 その曲でホリガーは多重音でノンブレスを自在に用い、エヴァン・パーカーも真っ青というプレイを展開する。ダブルリードの楽器はコントロールが難しい反面、微妙な表現を得られる。オーボエがオーケストラの中で調律において重要な事も知られているし、オーボエのための協奏曲は多い。 音色がクリアで無機的な印象のためか、それともリードが高価なせいかジャズ、ロック界ではあまり活躍する事もない楽器だが、ローランド・カーク、ケン・マッキンタイアらは割に使っていた。私には英国のジャズロック・バンド「ニュークリアス」、「ソフトマシーン」に在籍したカール・ジェンキンス(キーボード、バリトンサックスも)の演奏が古い記憶だ。またドイツや日本のロック史を書いたジュリアン・コープが自らのアルバムで、アレンジにうまく使っていたのを思い出す。FMPでもブルクハルト・グレツナーというポーランド出身のオーボエ奏者の優れたアルバム『Kompositionen Fuer Oboe』がある。 まあそんなことはどうでもいいのだ。ホリガーの素晴しい演奏は多々ある。現代曲好みの私としては、日本で録音された『現代オーボエの領域』(1974)というアルバムは外せない(どうも日本人はこの「領域」という言葉を好む。特に現代音楽系では。これはブーレーズの影響だろうか。それとも愛好者の少ない現音系関係者の心情を映すのであろうか)。ここではエレクトリック・フルートも吹いている。 また、ベリオが多種の楽器毎のための「セクエンツィア」を書いたが、ホリガーを念頭にしてオーボエのための第7番がある。というよりもまさにホリガーが居たからこそ現代の作曲家たちはオーボエのための曲を書いた。いやホリガーのための、というべきだろうか。だが私が特筆しておきたいのはトロンボニスト、作曲家、即興演奏家として知られる、ヴィンコ・グロボカールの「ディスクールⅢ」という曲である。これは5つのオーボエのために書かれたが、ホリガーは多重録音でこれをこなし、おそらく作曲者の想像以上の「領域」を獲得している。 といった具合にまだまだ彼の名演を挙げるのは容易だが、その印象は本当に、鋭利で硬質で、ある意味、他を寄せ付けないかのような美がある。
私はそれを期待してコンサートに向かったような気がする。 しかしいきなりその妙な期待は裏切られた。一曲目のゼレンカ(17〜18世紀の作曲家)の「トリオ・ソナタ」第一番で五人の奏者が融合した響きは実に柔和なものだった。この「トリオ・ソナタ」はホリガーが1972年に発掘し演奏した事で有名になった。ホリガーの音は完全に彫琢された大理石のような美しさだった。まさに完璧の「領域」に達している。もう一人のオーボエ奏者リーゼ・シュプバッハとのバランスも見事。 そして名人芸を堪能した次のプログラム。コントラバス奏者が一人、ステージに立つ。その演奏の凄まじさ!巧みさ!表現力の幅の広さ!...脱帽である。まるで「即興演奏」の如く、その弓捌きはダイナミックで自在。冒頭は旋律がフラジオレットでのみ奏され、その高音のパッセージがまるでチェロを聴いているようなのだが、時に4弦のみを指で弾き、その低音を認識させる。これはコントラバスなのだぞといわんばかり。その他、プリペアド以外の特殊奏法を総まくりして、最後はコマの向こう側のテールピース自体を弓弾きして4弦全てを鳴らしながら左手だけでピツィカート、タッピング等用いて別のサウンドを出す。その特殊さに目を奪われがちだが、全体を通した厳しい構築感が、これが即興ではなく「作曲」されたものであることに再び気づく。これはホリガー作曲の「コントラバス・ソロのための前奏曲とフーガ」。 ホリガーが前記ECM盤では「ヴァイオリンとチェロのための」とか「チェロ独奏のための」曲を提供しているように、決してオーボエのためだけの音楽ではなく広く弦楽器の曲を追求している。
演奏曲について彼自身の詳しいノートが、コンサート・パンフレットに掲載されている。それによれば、この曲はコントラバス奏者エディクソン・ルイースに献呈されたとある。なるほどこの難曲をこれほど鮮やかに奏しきる若者はこの「領域」にどれだけいるだろうか。 最後のサウンドが消えた、その次の瞬間、私は真っ先に拍手を開始したと思う。そして約300人はいたと思われる聴衆も一斉に、(手垢の着いた表現で恐縮だが)割れんばかりの拍手を送った。ブラボーの声もあった。私も思わず「ツーガーベ!」と叫びそうだった。老若男女問わず、その感動は共有できたものとみえる。先日同じ会場でパイプオルガンのアルフィート・ガストが、クラスターを奏しながら送風を切るという荒技をやってのけた際にも、こうした怒濤の拍手がきた。どうやら盛岡の聴衆はひとつの「領域」らしい。 さて、この興奮の後に大バッハの「トリオ・ソナタ」をもってくるとは、実に心憎い。 休憩を挟み、ホリガーの八十歳を言祝いで作曲された細川俊夫の「結び」で第二部の幕開け。正直言ってこの「オーボエとイングリッシュホルンのための」曲は、あまり訴えるものがなかった。どちらかといえば、静かな印象、このマイスターの悟達への捧げものであろうか。 そして安心して聴けるテレマンの作品。前半ではどうも音が響かなかったチェンバロもようやく聞こえてくる。まだそれでも物足りなかったくらいであるが。そして最後は、再びゼレンカの「トリオ・ソナタ」第五番。 ここで再び私は驚く事になる。それまでは安定したアンサンブルの要素だったファゴット奏者が、この曲では独奏部分が拡大された構造のせいで、大いに活躍するのである。そのファゴットのノリといったら無い!こんなにファゴットを振り回して演奏するのを見た事が無いし、またその音は安定しつつも会場内に振りまかれるかのように、噴出する。それがアンサンブルと交互に現れるものだから、聴く方はさあ、次は何時来るかと楽しみになってしまう。ディエゴ・ケンナの面目躍如である。 まずはこのディエゴとエディクソンを発見しただけでも、ある意味、生でホリガーを聴いた以上の甲斐があったというものだ。しかし彼らの魅力を十分引き出す選曲をしたホリガーの「領域」に見事にはまってしまったのかもしれないが。 期待以上の何かがある、あるいは期待を裏切られる、これがライブの魅力である。 聴衆の拍手に応え、五人は三度のカーテンコールに登場。アンコールは無かったが満足感は十二分だった。 帰宅後、改めて手持ちのCD群を聴く。そこには若き日のホリガーがいた。どこまでも鋭く、一人行く求道者としてのホリガー。しかし私が盛岡で出会ったのは、名伯楽として若手を牽引し、音楽の追求においては古典も現代も無く、そこで「領域」を生成する導師としてのホリガーだった。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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