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Concerts/Live ShowsNo. 260

#1114 今・ここ・私。ドイツ×日本 2019/即興パフォーマンス in いずるば

2019年11月4日(月) 大田区・いずるば

Text by 齊藤聡 Akira Saito
Photos by turbo and 齊藤聡 Akira Saito

矢萩竜太郎 Ryotaro Yahagi (dance)
川島誠 Makoto Kawashima (as)
鈴木ちほ Chiho Suzuki (bandoneon)
マクイーン時田深山 Miyama McQueen-Tokita (箏)
ヤシャ・フィーシュテート Jascha Viehstädt (dance)
ハナ・クレブス Hannah Krebs (dance)
カール・ルンメル Karl Rummel (dance)
皆藤千香子 Chikako Kaido (企画、構成、dance)

コンセプト:齋藤徹
照明:中牟田裕基
フライヤー写真:前澤秀登
フライヤーデザイン:濱脇奏
公演協力:いずるば
助成:デュッセルドルフ地方政府/Bezirksregierung Düsseldorf

カールに続き踊りはじめたハナは風に煽られ、揺れ、地を這う。鈴木のバンドネオンの蛇腹がその風であり、深山の箏のグリッサンドとともに、物語を一旦閉じる切片にもなる。ヤシャは関節の軋みとともに参入するが、矢萩と組んで上半身を中心として輪のフォルムを形成するように動くと、ふたりの人生が絡み合ったようにみえた。それは直接的な生であり、死に抗い、深いところを抉る。ここで中央に踊り出た皆藤の激しい動きは、活動を停止しそうになる生を懸命に掬い上げているようだ。そして川島のサックスから超自然的な不可抗力であるかのような奔流が放たれた。

休みを挟まず後半に入った。おそらくはそれまでの流れを解き放ちたくはないという、皆藤の判断だった。

深山の絃は流麗でありながら、音のひとつひとつが微妙に逸脱し、低音部は意図的なのか非常に柔らかく、ノイズを魅力的に含み持っている。この日は十七絃を使わなかったが音の力は大きい。龍尾近くの弦を押して弾き、あるいは、弦を弾いたあとに擦り、さらに不思議な感覚を創り出しもする。

ハナが跳躍し、衝突する。だが生命力の発露ははかなく、ハナは倒れてしまう。ハナを蘇生させる矢萩は崇高な雰囲気さえも放っている。語り部は、不吉な音をもって並走していた鈴木から深山へと移った。驚いたことに、当初は他と音楽的に異質にみえた川島がサックスを吹き始め、深山の唸りとともに新たな扉を開いた。鈴木はバンドネオンのキーをはじき、サックスは再び狂の領域へと歩みを進めた。

それとシンクロしてなのか、ヤシャとカールが立ち上がれなくなった。無駄な足掻きは悪い夢のようだ。再び前に出てきた皆藤は、自らを犠牲にして生命を与える者のようにみえる。苦しみがあり、祈りがある。それを受けて、ハナが、矢萩が、壁に向かって走る。何かに向けて穴が開いた。そして鈴木と川島がバイブレーションを、深山が光を与えた。

本公演のコンセプトは、今年他界した齋藤徹(コントラバス)が皆藤に提示したものだ。それは、日本とドイツのアーティスト、ダウン症ダンサーの矢萩竜太郎とともに、「今、ここ、私」を考えながら即興をする、というものであった。齋藤の参加は叶わなかったが、皆藤が声をかけたミュージシャンたちは、それぞれ異なる形で齋藤との関わりを大事にしつつ、独自の活動を通じて個性を発揮している。

鈴木は齋藤の音楽を大きな宿題として受け止め、人の手仕事や息遣いが感じられる音楽の創出を模索している。齋藤との共演やワークショップを経て、齋藤の没後に、彼のアウラが残るバーバー富士において行った即興は見事だった(北田学とのデュオ、2019年8月)。

川島のブロウからは、自身の内奥との往還を音にしていた以前のあり方から、それを昇華して別のステージに移ったように思える。変化の契機は、ヴァルネラブルな場に身を置かなくても音を出すことができた、齋藤とのデュオではなかったか(2018年4月、やはりバーバー富士において)。

深山は、沢井一恵を中心とした箏奏者たちと長く共演した齋藤が、最後にフィーチャーしようとしたひとりである。今回の公演でそのユニークさは誰の目にも明らかだった。『私の城~Mein Schloss~』は、ジャン・サスポータス(ダンス)と齋藤が中心となり、自閉症の人びとに着想を得てドイツで実現されてきたプロジェクトだが、2016年4月の初演から数えて4回目となる2020年春のポツダム・ベルリンでの公演に、齋藤は、渡航できないことを悟り自分に代わる者として深山を指定した。

そして、やはり皆藤も齋藤の薫陶を受けた者だった。従って、別の音楽家とのコラボレーションに積極的になれないでいたのは無理もないことだっただろう。だが彼女は何かを求めて動いた。今回の一度限りの即興はその成果である。それは、確実に次の何かにつながるものだったに違いない。

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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