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Concerts/Live ShowsR.I.P. ゲイリー・ピーコックNo. 270

#1145(アーカイヴ)ゲイリー・ピーコック|ポール・モチアン|ポール・ブレイ

text by Nobu Suto 須藤伸義
photo by Hirohiko Koyama 神山博彦

2007年8月25日 @ バードランド(NYC)

ゲイリー・ピーコック(b)
ポール・モチアン(ds)
ポール・ブレイ(p)

取材協力:Birdland NY/ECM USA

バルチモアの自宅をニューヨークに向けて出かけたのは、蒸し暑かった8月25日(土)の昼ごろ。その3日前からバードランドに出演している ピーコック/モチアン/ブレイの取材及びインタビューのためだった。毎回この3人を(誰か1人でも)見る時は期待が募るけれど、今回は自身が担当する始めてのインタビューが入っていたので、興奮しつつ緊張していた。それも“1番好きなベーシスト” ゲイリー・ピーコックとの。

バルチモアからニューヨークまでは、アメリカ東海岸を横断している高速95号線を北へ約320km。空いていれば2時間半で着くけど、この日は、混んでいたのとニュージャージー州にある日本食料品店に立ち寄ったので、クラブがあるタイムズ・スクウェア周辺に着いたのは5時半過ぎ。

車でニューヨークに行くといつも苦労するのは、パーキング探し。ニューヨークの相場は東京などと比べてもかなり高め。だからストリート・パーキングを探すのだが、これがかなり大変な作業となる。しかし、使える技はいくつかあって、そのひとつは駐車自由時間を把握すること。たとえばバードランド周辺は午後6時以降はパーキング自由。しかし場所取り競争が激しいので、その少し前に行って時間まで待つ方法がいちばん確実だ。この日も6時まで20分くらい車の中で待っていた。

コンサートは8時半からなので時間はあったけど、良い席が取りたかったのでそのままクラブに直行。ちなみに、ニューヨークのクラブでは最前列の (僕にとっての?) 特等席は大抵2人用なので、それ以上のグループの場合 (例えば4人組) も2人組として入場するのがお勧めだ。

今回はバルチモアから同行した神山博彦さん夫妻と一緒だったので、最前列より通路を挟んだテーブルに案内された。神山さんは、僕と同レベルの(つまり、かなりの)音楽・ジャズマニアでジョンズ・ホプキンス大学研究留学中の順天堂大の外科医。今回はインタビューの録音・写真撮影を担当願った。

ゲイリーは6時半過ぎに、ポール・モチアンは7時前にそれぞれ手ぶらでクラブに到着。でもすぐに楽屋に引き込んでしまった。ふとバーの方を見るとポール・ブレイがバッド・プラスのイーサン・アイバーソンpと熱心に話しこんでいる。

7時半頃までには結構混んできて、観客は皆ディナーやドリンクを楽しんでいる様子。他のニューヨークの有名クラブでもそうだけど、自分を含め観客のうち3分の1は日本人と思しき人種。あとヤッピー系が3分の1ぐらい。

他のミュージシャンとしては、最近僕がレコーディングをプロデュースした時に誘ったボラー・バーグマンpとレイ・セイジdsも予定どうり姿を見せた。あと、ゲイリー、モチアン、ブレイそれぞれと演奏・録音経験が豊富なペリー・ロビンソンclもくる予定なのだが、8時半になってもまだ見つからない。まあ、ペリーはいつも遅れてくるから。

8時半過ぎにイントロダクションがありゲイリー、モチアン、ブレイの順でステージに登場。ゲイリーのコンディションはかなりいい感じ。でもモチアンは疲れている様子だったし、ブレイは杖を突きながらの入場だったので少し心配になった。

オープニング曲は、ゲイリーの切れの良いソロからまずスタートし、モチアン/ブレイも加わり、ドラムをバリー・アルトシュルが担当した70年代の名作『ジャパン・スイート』(IAI)を少し思わせる展開に。しかし、全体の緊張感・緊密度は今ひとつ。でも誰でも(?)ウオームアップは必要だから、少し様子を見てみよう。

1曲目はフリー・インプロビゼーションだった思うけど、そこからはブレイが導入・選曲の主導を握りスタンダード中心で進行。でも、ゲイリーのもうひとつのトリオ、キース・ジャッレットとジャック・ディジョネットとの通称「スタンダーズ・トリオ」とは違い、アドリブの構造はかなりフリーより。

2曲目は、オーネット・コールマン作のブルース<ターン・アランド>、3曲目はバラード<アイ・キャント・ゲット・スターテッド>。この曲の演奏までくると緊張感・緊密度ともかなりこなれてきて、入場の時感じた不安が消えつつあった矢先、何と非常サイレンが突如鳴り響いた。幸いこれは3曲目終了後の拍手の最中だった。間もなく場内アナウンスが入り、演奏はしばし中断することが伝えられた。

ゲイリーとモチアンはステージに残っていたが、ブレイはイーサン・アイバーソンや奥さんのキャロル・ゴスがいるバーの席へ。5分位してまた場内アナウンスが入り、どうも同じビルにある隣のオフィスの非常サイレンの誤作動が原因らしいという情報が入った。でも、可能な限りすぐに演奏を再開させるので席に座ったまま待っていて欲しいとのこと。

演奏再開のアナウンスはそれからまた5分位して。最初と同じくゲイリー、モチアン、ブレイの順でステージに登場。ブレイがセロニアス・モンクの<ウェル・ユー・ニードント>を始めると、阿吽の呼吸でゲイリーとモチアンも演奏に参加。予期せぬ休憩の前よりノリのいい演奏でひとまず安心。

続いてトリオは5曲目<ベスト・シングス・イン・ライフ>を10分以上にわたって演奏。テーマは結構原曲のメロディー・コード進行に忠実だが、ソロに入るとかなりフリーな解釈。テレパシーで繋がっているのでは、というような密度の濃いインター・プレイも時折り出て、やはりこの人たちはスゴイと感心。

観客の満足した(しだした?)拍手の後ブレイのラテン (ルンバ?) 調の左手に導かれ、6曲目<オール・ザ・シングス・ユー・アー>が始まった。この日ブレイのタッチは普段より弱いなと感じさせたが、この曲ではかなりアグレッシブに攻めて、ベストの状態に近いのではないかなと思わせた。この日3人の中ではいちばん調子がいいゲイリーのプレイは相変わらずカッコ良かったし、モチアンも彼にしかできない独特の間合いでイマジネーションを広げていった。

イイゾと思っていた矢先、なんとまた非常サイレンが突如鳴り響いた。まずブレイが怒った顔をして演奏を中断。ゲイリーとモチアンもそれに続いた。おかげで、この日の最高の出来だと思った<オール・ザ・シングス・ユー・アー>最後のテーマ表示が中途半端になってしまった。

ブレイは奥さんと一緒にクラブの外にさっさと出て行ってしまった。ゲイリーとモチアンはバーの方でしばらく待っていたが、「まことにすみませんが第1セットはこれにて終了」とのアナウンスが入り、観客も諦めた様子になった。

そんな状況を見ながら、1セット終了後にインタビューのアポを取ってあるゲイリーに自己紹介に行く機会を伺っていた僕に、ペリー・ロビンソンが寄ってきた。ペリーは演奏直前に来店したらしい。

ペリーはゲイリーとモチアンとも知り合いだから、紹介してもらおうと神山さんと一緒にバーの方へ。しかし、モチアンと早速興奮気味に話出して神山さんと僕はさっさと蚊帳の外に置かれてしまった(紹介はしてくれたけれど)。仕方がないので勇気を出して(?)ゲイリーの方に自己紹介に行った。ゲイリーはすごくフレンドリーですぐに楽屋に案内してしてくれた。インタビュー中、菊地雅章pさんの突然の訪問という嬉しいオマケもあった。

じつはこのトリオをバードランドで観るのは2回目で、1回目の印象がもの凄く鮮烈だったので自分の期待度はかなり高かった。最初に観たのはまだシカゴに住んでいた6-7年前、車を12時間ぐらい運転して観に行った時だった。

長時間運転の疲労感の中で観た1回目のコンサートには本当に耳を開かされた。3人ともフリー(ランダム)に音を発しているように見えるのに、その発せられた音はどれも必然性をもってひとつの音楽として統合されていた。音それ自体は、言葉本来の意味のノイズで、有機的に構築されて初めて音楽として成立し得るということを悟らされた。また、ノイズ(フリーに弾き出された音も含む)も条件を満たせば音楽となり得ることを “知っていた”レベルを卒業して “理解”することができた。それまでも前衛系の音楽・ジャズに耳を通してはいたが、活字的に頭で聴いていたのだと思う。要するに、理由付けをして“フリー”ということを分かったふりをしていたわけだ。

そんな強い衝撃を与えてくれた1回目とは違い、今回のコンサートは期待を100%満足させてくれたとは、残念ながら決して言えない。しかし憧れのゲイリーにインタビュー出来て色々興味深いことも聞けたし、僕としては、コンサートの全体的な物足りなさ・ハプニングを入れても満足する日になった。

インタビュー後、第2セットも観たかったがバルチモアまで帰らなければならなかったので、クラブを後にした。外に出るとペリーが菊地さんと談笑していた。モチアンから、自分のファースト『ファンク・ダンプリング』(SAVOY)〔隠れた名作だと思う〕時のクァルテット復活・参加への承諾を得たと嬉しそうだった。ちなみにこのクァルテットはペリー、モチアンの他、ケニー・バロンp(承諾済みらしい)と近年劇的な復活を遂げたヘンリー・グライムスb。メンバーを聞いただけでも大いに期待させられる。

帰りは混んでいなかった+ノンストップでの運転だったので2時間半ほどで自宅に着いた。やはり興奮していたのか、なかなか寝付けなかった。(2007年9月12日、バルチモアにて)

追記:稲岡編集長より追悼特集のため、このインタビューを再掲載したいとの申し出があった。この時(2007年8月)以外にゲイリーをライブ体験したのは、1999年9月に同じトリオ+場所で、キース・ジャレットpとジャック・ディジョネットdsとのトリオで6−7回、リー・コニッツas/ビル・フリーゼルg/マット・ウィルソンdsとのクァルテットで一回だったと思う。コニッツ達とのライブには、ジャズ好きで有名なアイリッシュ・ロッカー=エルビス・コステロも一緒に出演予定だったのだが、ゲイリーの反対で不参加になったらしい。そんなエピソードからも、ゲイリーの芸術家肌とした信念が伝わってくる。因みに、コステロの奥さんは、ジャズシンガー兼ピアニストのダイアナ・クラルで、彼自身もチェット・ベイカーtp/vo入りの録音あり。

記したように筆者はペリー・ロビンソンと仲が良かった。ポール・モチアンが約束してくれたと言うケニー・バロン/ヘンリー・グライムスとのクァルテット是非聴きたかった。ペリーと菊池さんとの演奏も是非実現して欲しかった。ポール・ブレイも含め、バロン以外、みんな旅立ってしまった。でも残された録音を聴く時、彼らはずっと傍に居てくれる。大切にしていきたいと思う。

須藤伸義

須藤伸義 Nobuyoshi Suto ピアニスト/心理学博士。群馬県前橋市出身。ピアニストとして、Soul Note(イタリア)/ICTUS (イタリア)/Konnex(ドイツ)の各レーベルより、リーダー作品を発表。ペーリー・ロビンソンcl、アンドレア・チェンタッツォcomp/per、アレックス・クラインdrs、バダル・ロイtabla他と共演。学者としての専門は、脳神経学。現在スクリプス研究所(米サンディエゴ)助教授で、研究室を主宰。薬物中毒を主とするトピックで、研究活動を行なっている。

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