#903 齋藤徹の世界〜還暦記念コントラバスソロリサイタル〜
2016年7月8日 ソノリウム(東京・杉並)
text by Hideaki Kondo 近藤秀秋
photos by Hideto Maezawa 前澤秀人
出演: 齋藤徹(コントラバス)
プログラム
第1部:
・月の壺(齋藤徹)
・王女メディアのテーマ〜トルコマーチ風(齋藤徹)
・コントラバヘアンド (Astor Piazzolla-Anibal Troilo)
・HAITIAN FIGHT SONG ~ Goodbye Pork Pie Hat (Charles Mingus)
・無伴奏チェロ組曲 第一番より アルマンド (J.S.Bach)
第2部:
・組曲ストーン・アウトより序章〜とんび〜終曲(齋藤徹)
・Naquele Tiempo (ピシンギーニャ)
・浸水の森より「夜」(齋藤徹)
・西覚寺〜invitation (齋藤徹)
・無伴奏チェロ組曲 第6番より プレリュード(抜粋)(J.S.Bach)
・Improvisation(齋藤徹)
・(アンコール )霧の中の風景(齋藤徹)
リサイタル前から、主催者側からこのコンサートのレビューを依頼されていたのだが、色好い返事を差し上げる事が出来なかった。齋藤は私に先立つ存在であり、扱う音楽領域も重なる所が多く(より正確に言えば、齋藤を含む先達らの作ってきた文化から、私は音楽やそれが扱う領域を学び知った)、更に演奏という局面において、私は齋藤がアプローチできているだろう領域に届いていない。後輩プレイヤーが優れた大先輩のプレイヤーの批評を行う事は、道義的にも能力的にも難しい。しかし、リサイタルの内容があまりにも素晴らしかった。前述した理由から、常識的なジャーナリズムに法るレビューは放棄せざるを得ないが、後進で音楽を志すひとりという立場からであれば、伝える事が赦されるかもしれないと考えた。アマチュアからプロまで数多いる楽器演奏者が、達するどころか気づく事すら難しい演奏の領域の存在。そしてそこに届いた演奏者が現実に存在するという事。これを伝えるだけでも益ある事かも知れないと考え直し、立場違いかつ役不足と知りながら筆を取らせていただく事を、どうかご容赦ください。
今回のリサイタルに於いて、音楽よりも先に心を打たれた出来事があった。コントラバス奏者/作曲家の齋藤徹の還暦を記念したソロ・リサイタルは、彼を慕うミュージシャンらの結成した実行委員会によって制作された。会場は予約だけで全席が埋まる状況となり、リサイタル冒頭、万雷の拍手で迎え入れられた齋藤は、少し照れたようだった。それでも拍手は鳴りやまず、会場は相当長い時間、拍手で埋め尽くされていた。この状況は、私なりに感慨深いものがあった。これまでの齋藤のアーティストとしての振る舞いや活動歴に対し、私なりの印象があるからだった。
プロとしての齋藤のキャリアのスタートはジャズであり、フリーインプロヴィゼーションである。日本ではポピュラリティを獲得したジャズですら、齋藤が関わったのは井野信義の紹介で加入した高柳昌行グループや富樫雅彦グループへの参加であって、どちらも先鋭であり、音楽面における高評価とは裏腹に「売れない」音楽だった。私自身が高柳に深く入れ込んだ頃があるのだが、その時に批評家の故・副島輝人に言われた事がある。「近藤君、僕も自分でレーベルを作って何作も世に紹介してきた。近藤君が大好きな高柳のレコードだって出した事がある。でも、高柳のレコードですら、100枚や200枚程度しか聴いて貰えないんだよ。私もフリージャズに身を捧げてきた人間のひとりだが、フリージャズを志すなら覚悟した方がいい。」日本のフリージャズの状況に関しては、私に作品発表の機会を与えてくれたP.S.F.レコードのオーナーも似たような事を言っていた。P.S.Fは、自ら音楽誌を刊行して積極的にこれらの音楽を紹介し、ファンを開拓した。海外における日本フリージャズにたいする眼差しに至っては、P.S.F. がひとつの軸となった感すらある。それでも日本の音楽状況だけはどうにもならなかったと感じたそうだ。齋藤のキャリアは、こうした「社会的には極度にアンダーグラウンド」な音楽シーンから始まった。そして、デビューからしばらくの齋藤も、彼の先達と変わることなく(音楽も言動も)挑戦的に振る舞っていたように見える。デビューから90年代半ばあたりまでに齋藤が発表した録音作で、齋藤はセルフライナーを書く事が多かったが、そこからは真摯な音楽探求のほか、外連味、苛立ち、そして強いプレイヤー気質などを読み取る事が出来る。怒りや攻撃が初動にあったのではないかとすら感じる。だから、私個人としては齋藤とその音楽を尊敬しながら、このコンサートのように多くの人に温かく迎え入れられるとは予想していなかった。真理よりも協調を優先する社会構造下では、本質を鋭く問う人はアウトサイダーとなりやすい。しかし齋藤のような振る舞いをしてきた文化人の仕事を理解し、その価値を共有し、そこに拍手を送る人が、実際にはこれだけいたのだった。齋藤がこのリサイタルの為に綴った言葉から引用すれば、「1に経済、2に経済、3にも経済と自信たっぷりに連呼する首相の居る我が国では、認めがたい」もの、ここに意味を感じ共有する文化が、実際には存在していたという事に、私は感動したのかも知れない。
さて、実際の音楽について。前述のとおり、私にはこのコンサートに対するジャーナリズム的な意味での批評が出来ない立場にある。ただ、もし齋藤徹という一人間の奏でる音楽に触れた事のない方々に、言葉で何らかの有益な情報を伝えるのであれば、まずは齋藤の演奏のあり方が真っ先に伝えられるべきではないか。だから、コンサートレビューというよりも、齋藤の演奏と音楽に話を若干シフトして私なりの感想を伝えてみたい。
齋藤は、音楽の根本に、音それそのものの直接的な感触が内包している強烈な説得力に惹かれている音楽家であると感じる。強烈なアルコなど、齋藤のファンの多くは、音楽以前に、その音のあり方に圧倒されているのではないだろうか。音楽とは、本来は音響に直接向うもので、そうであれば音響の最善を探求したものであるほど価値が高まるのが理屈だ。ところが、職業化した音楽という現状においては、この当たり前を果たす事が容易ではない。ブッキングされた期日までに楽譜を演奏出来るようにし、解釈を考え、曲を体に入れ、数回のリハーサルのうちにアンサンブルの不具合を潰す。この繰り返しの中で、発音の強靭な表現は後回しにされるどころか、既に忘れ去られているようにすら見える。こうした状況の中で、齋藤は、もっと根本的な「音そのもの」から音楽を立ち上げているように感じる。裸ガット、フレンチ持ち、両手ともに発音源に直接接触し且つ西洋音楽が排除してきた筈のノイズが多く組み込まれたコントラバスという楽器の選択…今回、齋藤のリサイタルを観て最初に感じたこれらの特徴は、すべて発音にフォーカスされた事項である。
そして、齋藤において、楽器と音楽は不可分の関係にある。楽器というものは、大概において何らかの作曲システムに合致して作られている。ピアノであれば、オクターブ12分割かつ7音音階を想定した白鍵と黒鍵の配置が施されている。ところが、音楽を形成する音響は、そういう何らかのシステムに還元しえるものではない。ほとんどすべてのアコースティック楽器は、打つ、叩く、擦るといった発音を行うことが出来、それらの音は音楽的に組織化できるもので、少なくともサウンドパレットが飛躍的に増すというメリットがある。ところで、ピアノの鍵盤奏だけで、これらを果たす事は出来るだろうか。もし音楽システムから音を立ち上げるのではなく、音から音楽システムを立ち上げようと構想したら、何が起きるか。恐らく、自分が扱うことになる楽器そのものの発音の可能性をすべて調べ、それを演奏システムに纏め上げる事から始める事になるだろう。そして、キャリアのどこかの段階で齋藤はそれを行った。弓を2本使えれば、ソロにおける対位法の可能性が開ける。弓奏時に左手でピチカート出来れば、バス声部を含む音楽の可能性が開ける。駒を挟めれば、フラジオの発生箇所を倍にする事が出来、更にそこに弓の2本使いが出来れば…ボディを打てれば…ある楽器という前提を突きつめた先に、その楽器が決定づける所の最上の表現枠と、それを前提とした音楽が立ち上がる。今回のリサイタルにおいても、通常のクラシックやジャズやタンゴを聴いているだけではおよそ出てくる事のない「楽器と一体化された音楽」が鳴り響き続けた。バッハやミンガスやピアソラの楽曲を演奏する時ですら、そうであった。それは飛び道具ではなく、探求された発音と、楽器の可能性から導かれるアンサンブルの交点に生まれた必然として鳴っていた。
そしてこのような立ち上がりを見せた音楽が、見事に身体化されている。私が齋藤について書く資格がないと言ったのは、特にこの点において「批評」出来る立場にないという事なので、ここで多くを語る事は出来ない。しかしプレイヤーの立場から一言だけ言うと、演奏のうち非宣言記憶として組み込まれた部分の身体化レベルは敬服に値するもので、演奏者としてはこの点に最も惹かれる。
齋藤の音楽的なパースペクティヴについて。齋藤(あるいは齋藤のような音楽家)がポピュラリティを持ちえないのは、その音楽レベルが低いからでもエキセントリックであるからでもなく(現実はその逆だ)、その音楽を理解するにはある程度以上の知識と帰納/演繹能力が必要となるからではないかと思う。単純な例をあげれば、齋藤が対象としている音楽の範囲の広さをどのようなフレームから理解して良いか分からない人はいるだろうし、それは音楽ライターですら例外ではないのではなかろうか。音楽に対するパースペクティヴにおいても、齋藤は演奏と同じような観点から音楽を追っているように思える。「ジャンル音楽」ではなく、「音楽」を追うからそうなるのだと思う。そしてそれぞれの音楽に対する探求に、音楽に対する敬意を感じ、そこに独りよがりの印象がない。齋藤がこの日のMCで語った「私にはジャズの4ビートの感覚がない」という発言なども、深い歴史を持つそれぞれのジャンル音楽に対する敬意、誠実さ、あるいは畏怖のあらわれのひとつだろう。そして、この誠実さがもっと具体的にあらわれていたのは、言葉以上に音であったように思う。今回のリサイタルは、音楽人としての齋藤の自己音楽史を振り返るようなプログラムで、インプロヴィゼーション、ジャズ、東アジア音楽、タンゴ、ショーロ、バッハ、舞台作品のために書かれたオリジナル曲などが奏でられた。これら様々な地域音楽における音には歴史があって、マイナーコードをひとつ奏でるのであっても、音の出し方が違う。その背景に膨大な歴史と背景があるためである。音階などにも同様な事が言えて、そこには地域の情緒や価値基準などが染みこんでいて、実はどのように演奏しても鳴るわけではない。それを「あのように」鳴らす事が最善であるかどうかはまた別の話だが、しかしまずそこに身を持ってアクセス出来なければ、その音楽が伝えている所のものなど到底理解できないのではないか。この点において謙虚なのであり、謙虚かつ真摯であるからこれほどの境地に至っているのだと思う。だから、現状の日本の音楽文化では異端と言われてもおかしくない位置にいる齋藤の奏でる音楽は、音楽という歴史の中ではこれ以上ないほどの正統さで響く。多文化の衝突するこの時代に、歴史的な積み重ねの果てに洗練を極めた音楽を選別して分け入る。コンテキストからC音を使い分けるレベル(本当はそれ以上なのかも知れない)にある音楽家を、ライターの腹ひとつで決まる比喩的な文学的表現で崇めたり乏したりする事は出来ない。現実として具体的に、そういうレベルにある音楽家なのである。それは即興演奏ですらそうで、即興における齋藤の共演者がバール・フィリップスやレ・カン・ニンらであった事は、偶然ではないだろう。彼らと同じステージに上がる資格のあるプレイヤーが、今の日本にどれぐらいいるだろうか。
今回のリサイタルに関しては、これを音楽史上に照らし合わせて位置を与える所まで行わないと、コンサートレポートとしては片手落ちだ。しかしそのためには批評を行わなければならず、それが私には許されていない。しかしこれだけの見事なコンサートであれば、恐らく音楽ライターの誰かがその役割を果たすであろうから、私の仕事はここまでとさせていただきたい。到底及ばぬ後輩のひとりとして、これだけの演奏の高みに身を持って達した先輩がいる事に、率直に感動した。
最後に。フォルムやサウンドイメージだけをフォーカスしがちな録音物という形態では、齋藤のような音楽のあり方の魅力は見えにくい。齋藤のようなスタンスの音楽家の場合、音楽だけでなく、なぜそうするのかという芸術家という生き方自体も、観る人に重要な示唆を与えるかも知れない。そして、齋藤だけが演奏家の宿命から逃れられるわけもなく、齋藤自身が納得できるパフォーマンスを出来る時間は、いつまでも残されているわけではない。私には、触れようと思えば触れられたにも拘らず、神懸りの境地にいた頃のジュリアン・ブリームの演奏に触れる機会を逃した後悔がある。特筆に値する演奏者というものは、ある時代ある文化に、それほど多くいるわけではない。一度、直接に齋藤の演奏に触れる事を薦めたい。 (近藤秀秋 2016年7月9日)