#1170 アンリ・バルダ ピアノリサイタル
2021年7月15日(木)東京・紀尾井ホール
Reported by Kayo Fushiya 伏谷佳代
出演;
アンリ・バルダ(Henri Barda、ピアノ)
プログラム;
モーツァルト:ピアノソナタ第8番イ短調K.310
ロンドイ短調K.511
ベルク:ピアノソナタロ短調op.1
フォーレ:ノクターン第13番ロ短調op. 119
―休憩―
ドビュッシー:『版画』
塔(パゴダ)グラナダの夕べ 雨の庭
ラヴェル:『クープランの墓』
プレリュード フーガ フォルラーヌ リゴドン メヌエット トッカータ
*アンコール
ショパン:即興曲第1番変イ長調op.29~ワルツ第12番ヘ短調op.70-2
一音一音が自由にダンスするかのような演奏。珠玉のシーンが連綿と続く。究極の魅力はその音色美に還元される。
モーツァルトから近現代へ連なる通好みのプログラムは、なるほどヴェテランらしい「己を知ったる」選曲だ。陰影を多分に含む色彩感溢れる音色、沈黙も雄弁、いかなる瞬間にも音楽が鳴り止むことはない。そのピアニズムが最良に反映されるフォーレ、ラヴェル、ドビュッシーはもちろん、限定されたモチーフが変転を繰り返してゆくベルクのソナタ。しかしながら、傘寿を迎えたからといってそこに「いぶし銀」や枯れた味わいを期待しようものなら冷水を浴びせられる。長いキャリアによって崇高なまでに高められているのは、解釈という名の我欲とは真逆の、ひたすらピュアに音楽と向き合う無私の徹底である。だから彼の音楽はミクロからマクロに至るまで自由で、エッジィで、強い。その新鮮さは不滅である。
バルダの音楽は天然かつナイーヴだからこそ、楽器のコンディションやホール環境の影響をもろに被るともいえる。この日もモーツァルトの演奏が終了した途端にピアノが変更された。どうも細部のニュアンスに至るまで音が拾われすぎ、リヴァーブが効きすぎてしまう。音質が安定してきたと思ったのはプログラムが佳境に入ってから。ストレートな打鍵は瑞々しい反面、ときに柔和さを欠くのだが、ドビュッシーやラヴェルでは逆にその唐突さがどぎつい乱反射となってインパクト絶大。低音から高音まで、ビロードを敷き詰めるかのように馥郁たる香気が充満する。とりわけ『クープランの墓』では、各曲のエンディングで大胆に放置されるリヴァーブが相互にかぶさり各曲が連結されてゆく。「フーガ」のあたりから響きに清明さと、虹のような層が増してくる。「フォルラーヌ」以降のバネのようなしなやかな伸縮は、バルダの真骨頂。痛快な身体捌き(指と足)と深浅のヴァラエティ豊かなタッチに導かれる、むせ返るほどのロマンティシズム。アンコールにおけるメドレーでは、エイジレスに蘇るグランド・スタイルに酔いしれたのである。
(*文中敬称略)
関連リンク;
http://www.concert.co.jp/artist/henri_barda/
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