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Concerts/Live ShowsNo. 281

#1173 久保田成子展

text by Shuhei Hosokawa  細川周平

久保田成子(1937-2015)の名は、60年代前衛展で見たりナム・ジュン・パイク夫人として見覚えがある程度だった。訃報も記憶にない。つまり生きていたこともほとんど忘れていた。『Viva Video! 久保田成子展』(於大阪国立国際美術館)は彼女の30年ぶりの個展、没後初の回顧展で、これまでパイク(や小野洋子)の陰に隠れがちだったアーティストの復活が意図されている。良い監修を受けたというのが見終わって最初の一言だった。ハイレッド・センターやハプニング運動に加わった60年代前半、ニューヨークに渡りフルクサスに加わった60年代後半、ビデオ機器を持った70年代前半、モニターを造形物に組み込むビデオ彫刻を始めた70年代後半、より大規模なインスタレーションに発展した80年代以降、パイクを介護する90年代後半、晩年の名声。頭に入りやすい構成で「芸術と人生」(副題)の絡み合いを知ることができた。

久保田成子は新潟県の教育と芸術の家系に育ち、高校時代に東京の展覧会に出品する美術少女だった。東京に出てからは叔母の舞踊家、邦千谷ちや周辺の前衛アーティスト集団と近づき、60年代初頭、有名な草月アートセンターのイベントや読売アンデパンダン展の刺激を受けた。その興奮を小野洋子展で知り合った瀧口修造へ送った個展招待状に綴っている。「生きることへの復讐を作品の中にたたき込みました。束縛されたくない心のレジスタンスです」。回顧すれば、この二十代の一本気がユーモアと闘争心を加え、復讐とレジスタンスの矛先とかたちを変えて、晩年まで貫かれたと思える。同じ勢いで翌年にはジョージ・マチューナスに手紙を送り、飛び込むかたちでフルクサスと接触を始めた。こうした積極的な気性は時には人とぶつかることもあったが(小杉武久は「台風」と呼んだ)、彼女の人生を魅力的にしている。

70年代初めにビデオ・カメラを手にして以来、彼女は日常映像を途切れ途切れの日記として作品化していたが、「私のお父さん」(1975)には特別な感動を覚えた。私たちは彼女が美術へ進む道を小さい頃から支援してきた父親のことを最初の部屋で知っているが、アーティスト生活を紹介する次の部屋からは忘れていた。「私のお父さん」は父の訃報を受けた日、前の年の暮、病床に就きながら「紅白歌合戦」を見る父との最後の面会を収めた映像を見る自分を映している。スクリーンを手でさすり臆面もなく泣き崩れている。帰国便のチケットを買ったその日に訃報を受けたと文字メッセージでいうから、「間に合わなかった」悔悟は特に強かっただろう。ハレーションを起こしているテレビ映像からは、ザ・ピーナッツの「ウナセラディ東京」が流れ、このごろの歌はわからんという父親と娘の会話も聞こえる。

父がジュースを飲む映像の合間に、父はグレープフルーツ・ジュースが好きだったという文字を読める。文章は映像を描写するだけだが、どうでもよい日々の営みが切り取られ、反復されると特別な感覚をもたらす。これは日記シリーズの特徴だが、「私のお父さん」では感情的な重みが違う。番組フィナーレの「蛍の光」はまるで父を送り出しているかのようだ(「ゆく年くる年」の除夜の鐘まで連想される)。母親から「良い葬式だった」という手紙をもらったという文が挿入される。作品は葬儀に欠席した娘としての葬送の仕事だった。私的な感情をアーティストとして作品化することで、悔悟に決着をつけた。年譜によると、同じ年、彼女は流産の経験を “Hospital year”という作品にしている。これもまたおそらく私的な悲嘆にけりをつける重い日記だっただろう。

喪の仕事としてつながるのは『韓国の墓』(1993)で、パイクの34年ぶりの帰国に妻として同行し、親戚と再会し墓参した映像作品を、盛り土型の墳墓に見立てた半球体の造形物に埋め込んだ複数のモニターから流している。墓もどきと墓参の映像が入れ子になっている。里帰り、そのビデオ日記化、そのビデオ彫刻化、そして回顧展での展示。複数の時間と創作が交錯している。制作当時は白家との絆を意図したのだろうが、パイク没後は彼への追悼作と解釈されている。久保田没後はさらに彼女の追悼に心が向かわざるをえない。死者を思い出す作品は彼女のデュシャン連作も同じで、ビデオ・アートのひとつの定義として、彼女は「死とのコミュニケーション」を挙げている。

ビデオ彫刻のなかでは笹舟を模したステンレス製水路に水を流し続ける『河』(1981)に、今の心境に通じ合うものを感じた。水底に置いたモニターが揺れる水面に反射している。映像は人の泳ぐ姿や抽象的な文様で、何も形を留めるものはない。次の部屋に制作中のドローイングがあった。それには驚いたことに『方丈記』の自由訳を書き込んでいた。

There is a river/The same river/Water is floating/ Water is always floating/ Running from the high to the down/But, not the same water/Neither the same people

「行く川のながれはたえずして しかももとの水にあらず よどみに浮ぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとゞまることなし 世の中にある人とすみかと またかくの如し」。同時期の「血の河」のためのドローイングにも、同じ精神の文句が「父に捧ぐ」として書かれていた。訳すと「川がある、同じ川が。水が絶えず流れているが同じ水ではないし、同じ人でもない。春夏秋冬、四季の移り変わりは美しい。四季の移り変わりはあなたの人生の移り変わり。もう一度生まれ、もう一度死んで」。

輪廻転生の基本である。『河』の自註には、空から見る北米・欧州の川すじが信濃川を思い出させたと書いている。仏教の中心は水の思想で、雨水が仏像を打ち、せせらぎになり大河となると説明し、自分は仏教徒の家系に育ったとわざわざ断っている。父の死がすべてではないにしろ、人生の半ばを意識し、死を考え直す転機に彼女は立っていたのだろう。教わらずに身につけた不生不滅、不増不減の宇宙観が、造形+映像と交じり合った。

同じ文章で川下に流れ着いた水が蒸発して川上に雨を降らすように、ビデオのフィードバック回路はそれ自身や周囲の環境を循環的に映し出しているという。川とビデオはどちらも鏡のように表面の反映からイメージを投げ返してくる。「思い出す」なかで人は川の水のように回る時間を生きている。彼女の作品の特徴である映像の反復は、もどりながら前へ流れる時間に気づかせてくれる。ビデオ映像は水の反射のように無限のヴァリエーションが可能になり、無重力となり、形も速度もスケールも分解され組み替えられ変化可能になる。彼女はこれを「液状の現実」と呼んでいるが、やさしく言えば、水のような浮世、どこかで聞いた考えだ。

実はデュシャンやパイクよりも鴨長明のほうがピンとくるお年頃、展示のいくつかと特に強く波長が合った。かなり偏った雑念であることをお許しいただきたい。

 

Viva Video!  久保田成子展

2021年03月20日(土) ~ 2021年06月06日(日)
新潟県立近代美術館
https://kinbi.pref.niigata.lg.jp/tenran/kikakuten/shigeko_kubota/

2021年6月29日(火)– 2021年9月23日(木・祝)
大阪 国際国立美術館
https://www.nmao.go.jp/events/event/kubota_shigeko/

2021年11月13日(土)- 2022年2月23日(水・祝)
東京都現代美術館
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/shigeko_kubota/

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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