#1197 映画『名付けようのない踊り』

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俺の踊りを死なせないで 『名付けようのない踊り』

text by Shuhei Hosokawa 細川周平
写真/画像:© 2021「名付けようのない踊り」製作委員会

 

踊りを死なせないで/踊りを終わらせないで
世界は踊りで/踊りでできている
だからみんなで踊るの

田中泯が1982年、Plan-Bオープニング当時、よくパフォーマンスの最後にかけていたアルシオーネの「サンバを死なせないで」、その歌詞の「サンバ」を「踊り」に入れ替えてみた。カルナバルを念頭に置いて、「あの大通りでもうステップを踏めず/脚が言うことをきかなくなったら/わたしのからだをわたしのサンバのそばに持っていってよ」とも歌っている。踊り疲れると、からだからサンバが抜けてしまいそうだが、生きる源として片時もからだから離せない。サンバはお祭りのダンスという以上に、遊びも感情も暮らしぶりもいっしょくたにした複合体で、単純といえばどこまでも単純、入り組んでいるといえばどこまでも入り組んでいる。『名付けようのない踊り』のタイトル・ソングのように使われているサンバの古典を、確かにその頃、Plan-Bでよく耳にしたのを思い出した。この曲がかかると緊張は解けて、全身をつるつるに剃った泯さんは、さっきまでの引きつった、痛々しい、醜い表情を忘れて、笑顔で客席に挨拶したものだ。こちらもつられて笑い返した。

今回、懐かしさからいたずらをしてみて、彼の踊りの哲学は、案外このサンバの賛歌に通じるのではと思った。田中泯が強調するのも、カルナバルとはだいぶ違うが、踊りはダンサーの専有物ではなく、見る者すべてが踊っているということで、「すべてのからだと一緒に踊ってる」、「俺が踊ってるってより、観客が踊っていて俺らの間に踊りがある」、「何かを手足使って踊るんじゃなくて、立っているだけで踊っているようなのが理想」というようなことを語っている。観客に向けて何かを表現するというより、その場に即したからだのありようを伝えることが、彼のいう踊り(場踊り)の本質である。

映画は岡田正人の夢の島写真集、パリの「日本 間ま展」参加、土方巽の感化、農業への転業、『たそがれ清兵衛』出演のようなキャリアの転換点を大きく扱い、伝記としてきれいに構成されている。それに留まらず、幼い頃の記憶を山村浩二が想像をかきたてるようにアニメ化しているのが見どころだ。そのひとつは白い雲が消える瞬間を見たという記憶で、映像はゆっくりとその瞬間を描いている。それは雨や川や湿気になって、水は世界を循環しているという世の輪廻を語るのに続いている。中谷芙二子の霧の彫刻のなかで踊るからだも、見えたり消えたりしてはかない。生々流転の宇宙観は、死者との心情的な近さに深く関係する。そのうえで泯さんと大野由美子の挿入歌「皆殺しの青空」は、「雲が消えてゆく」と始まる。出来すぎている(彼の歌を聴くのはこれが初めてだ)。

もうひとつ忘れられないアニメが「頭上の森林」の場面だ。これは「頭部を大地として森がひろがり、樹々は天に伸びてゆく」とお題からどんな踊りが生まれるか、という土方の踊り稽古を絵にしている。彼はある命題をダンサーに投げかけ、からだで翻訳させるという独自の振付方法を採用していた。頭髪の一本一本が生命体で、頭皮は森のように命に満ちあふれているという生命賛歌に対して、泯さん当人の踊りではなく、泯少年の頭髪が変容する映像が対応づけられた。「頭山」のアニメ作家が間接的に土方の振付指導を受けたシークエンスで、映画を創造的にしている。

登場する踊りのなかに大友良英、中村達也との共演がそれぞれ一、二分あり、衝撃音に拮抗する稀な踊りを記録していて忘れがたい。からだと楽器が同じ強さで衝突して対話している。音に引っ張られてからだが激震を起こしているかのようだし、からだの緊張に引っ張られて、ギターやドラムスはノイズの極限に達するようでもある。短いながら、音に反応する泯さんの踊りの一面を凝縮している。

映画の最後近くで、警察官だった父親のコートへの特別な思いを語る場面がある。幼い頃、川べりによく死体が上がると、息子をその現場に連れて行った思い出が少年のアニメを使って描かれている。また映画の冒頭では東京大空襲の日、空が真っ赤ななかおまえは生まれてきたという母の口癖が紹介されている。言葉にはしないが、親族の形見であると同時に、わずかだが縁のあった死者を思い出す衣装である。それを着て東日本大震災の津波によって全壊し、今も除染作業が続く福島県浪岡町で踊る。まず墓石が流された墓地跡に立つ。踊りは黄泉の国の死者に向けていると彼は考えているが、ここは明白に鎮魂を意図している。廃屋に巣を張っていた蜘蛛を相手に踊り出す。踊りの起源は地球上の生命の誕生に遡り、人だけが踊るのではないという生命思想を実行に移している。映画はヒトの四本の手足と蜘蛛の八本の手足を交互に映すが、形の模写というより、蜘蛛の生命感をいつものからだ遣いで表現している。蜘蛛が踊っているように見える。廃墟のなかでヒトより先に、虫の命が蘇るのを讃えている。

もうひとつ、終盤付近で忘れられない場面がある。ポルトガルの石畳脇に座り、非常にゆっくりと手を下ろし、胸の前で合わすと「終わります」と言って表情が緩み、「ああ幸せ!」と息をつく。〈踊り〉状態から日常にもどる瞬間で、観客としての視線を解放する。踊っている間、自己はからだの外に一時引っ越し、からだには時間も空間も現実も自由に流れ込んでくると語っている。踊り終わって、その自分がふだんの居場所に戻ってきたのだ。同じ幸せ顔は映画の半ば、にんじんを収穫する際にも見せていたし、40年前にアルシオーネが流れた大団円の笑顔と変わらない。

『名付けようのない踊り』
脚本・監督:犬童一心
アニメーション:山村浩二
出演:田中泯、石原淋、中村達也、大友良英、ライコー・フェリックス、松岡正剛
音楽:上野耕路
音響監督:ZAKYUMIKO
撮影:清久素延、池内義浩、池田直矢
編集:山田佑介
2021年/日本/114分
配給:ハピネットファントム・スタジオ
製作:「名付けようのない踊り」製作委員会

ヒューマントラストシネマ有楽町ほかで上映中
公式サイト:https://happinet-phantom.com/unnameable-dance/

予告編:https://www.youtube.com/watch?v=ELXE7PGOBT8

【関連リンク】

REAL TOKYO 「田中泯 meets 中村達也」 by 細川周平
https://realkyoto.jp/review/tanaka_nakamura_hosokawa/

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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