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Concerts/Live ShowsNo. 295

#1238 松田美緒 X ウーゴ・ファトルーソ『LA SELVA』レコ発ライブ

2022年9月30日 Live Spot RAG  京都

reported by Shuhei Hosokawa  細川周平

松田美緒  (vo)
ウーゴ・ファトルーソ Hugo Fattoruso (p)

1st セット
La Selva -esa luz 密林、その光 (Ricardo Lacquan – Fernando Torrado Parra)
Destinos cruzados 交差する運命 (H Fattoruso)
Esa Tristeza その悲しみ (Eduardo Mateo)
Cualquier cosa たわいもないもの  (Juan Velich – Herminia Velich)
El desperdido Ⅱ 失い飽きて (Laura Canoura – Andrés Bedó – H Fattoruso)
Hurry! ハリー! (H Fattoruso)
La caricia カリシア (H Fattoruso 日本語詩 Gak Yamada, Mio Matsuda)
La noche de tu ausencia あなたのいない夜 (Mario Cavagnaro)

2nd セット
Kepel-Malambatte (solo performance by Hugo Fattoruso)
Un canto para mamá Un Canto para Mamá ママに贈るうた (Eduardo Mateo)
Moreno de perola 真珠のモレノ (Mio Matsuda)
Sueño sin dueño ひとりぼっちの夢 (Hugo Fattoruso)
Flor criolla クレオールの花 (Hugo Fattoruso)
Pa’l que se va 都会に出て行く君に (Alfredo Zitarrosa)
El dia que me quieras 想いのとどく日 (Carlos Gardel – Alfredo Le Pera)
Palo y Tamboril スティックとタンボリン (Georges Roos – Manolo Guardia)

アンコール
La noche de tu ausencia あなたのいない夜 (Mario Cavagnaro)
Se todos fossem iguais a você すべての人があなたのようだったら (Vinicius de Moraes / Antônio Carlos Jobim)


夢がかなった―彼女は歌の合間に何度もそう話していた。二年前、『ラ・セルバ』の発売に合わせた日本ツアーはコロナ禍で中止。それが今回、幸運が重なってデュオが実現した。80歳になろうとする南米最高のピアニストの一人をウルグアイから遠路招き、この大きさの一夜を実現できる日本のシーンは、世界的に稀な存在だ。15年ほど前、彼が弾くのを美緒が見初め、歌ってみせて縁組成立、それから3枚のアルバムを録音した。父と養子の娘のような信頼関係で結ばれ、ホームパーティのようになごやか、素朴、気楽で、時々赤ん坊の泣き声があがるのも邪魔にならない。なぜだろう。

「弾く」というより、鍵盤をばかでかい掌、太い指で「叩く」のだが、打鍵楽器はきっちり言うことを聞いて、音質は優しく深い。ソロのタンゴ曲では、ピアノはボタンと蛇腹を右手と左手で分担する巨大なバンドネオンに変身した。そのリズムが一番自分のものなのだろう。ウーゴはブラジルの大歌手と共演してきたが、あくまでも伴奏で主人公は歌い手だった。あたりまえだが、ジャズ・ヴォーカルの世界でも、デュオはふだんのとは緊密と親密の度合いが違う。お酒と同じだ。

その夜、二人は親子漫才のように出しゃばったり引っ込んで、彼も時々歌って応え、ソロからヴォーカルへの受け渡しに、「さあ入って」と言わんばかりにピアノに身振りさせた。もちろんそれに応じる娘がいなければ、独り舞台になってしまう。彼女のしなやかさはこの十年、自分の言葉を持った親父や兄貴とデュオを組んできた経験に裏づけられている。特に出発点のラテンアメリカから離れた交わりは、読みの深さにつながっていると思う。

ウーゴ作詞作曲の「主のいない夢」(邦題「ひとりぼっちの夢」)を聴けたのは、とりわけ嬉しかった。「愛の夢/目覚めてもあなたの声は聞こえない」と歌い出すと、昨今、妙な時間に目覚めかけ、今の夢は誰の夢だっけと頭がめぐるのを思い出した。誰の声か、何も聞えなかったのか思い出せず、すべてが吹替版のようで、誰が目覚めているのかさえはっきりしない不安を覚える。現実の意識が復活するまでの宙ぶらりん感覚が蘇ってきた。スペイン語歌謡によくある恋愛物で、愛し合ううちは思いの主ははっきりしているのに、いったん失うと主のいない永遠の海を飛ぶつばめのようにひとりぼっちと、歌詞は続く。ところが3メートル先、デュオで歌われるとそれに収まらない。お笑い草だが、主のいない夢は主のいない記憶と重なり、日々の忘れっぽさに思いは向かった。実は短期記憶衰退で日常に支障を来たしかけている。それはあの日のキスやらよりも切実で、失恋歌を失念歌に勝手に解釈して、高齢者の感傷にふけってしまった。

アンコールの最後には唯一のブラジル曲、「だれもがあなたのようだったら」(ジョビン)が待っていた。たくさんの録音で聴いてきたし、二人の共演アルバム『クレオールの花』の最終トラックでもある。とっておきの人生賛歌だ。「君の人生を生きなさい/その道は平和と愛の道・・・だれもがあなたのようだったら/生きることはなんて素敵」。これはあなたは特別だから生きることはつらいという、ヴィニシウスならではの裏返しで、ボサノヴァのスタンダード「幸せ」の「悲しみに終わりなし、幸せに終わりあり」と同じ真理と哀感を歌っている。その夜はあたかも迷いの多い生活を慰めるかのように聴いた。誰とも比べようのないあなたは誰なの、と。

歌う声が身(と耳)に迫ってくると、私には歌手が「歌う」というより「語る」ように聴こえる。新内的、演歌的境地と言って差し支えない。その夜の彼女の声は彼と向かい合う幸せを語っていた。特に数曲は直接身の上を歌いかけてくるようだった。めったにないことだ。

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松田美緒 × ウーゴ・ファトルーソ『LA SELVA』レコ発ライブ

松田美緒 × ウーゴ・ファトルーソ『LA SELVA』レコ発ライブ 【少しだけ無料公開】by Live Spot RAG

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https://www.ragnet.co.jp/livespot/29987

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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