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Concerts/Live ShowsNo. 304

#1269 ブライアン・アレン+田中悠美子+今西紅雪

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡

2023年6月27日(火) 西五反田・Permian

Brian Allen (trombone)
Yumiko Tanaka 田中悠美子 (大正琴)
Kohsetsu Imanishi 今西紅雪 (箏)

トロンボーン奏者のブライアン・アレンが久しぶりに来日し、この年初に田中悠美子(三味線、大正琴)、今西紅雪(箏)と即興演奏を行った(2023/1/14、東北沢OTOOTO)。初共演の最初のセットでは三者三様の固有空間を提示しあい、次のセットでは距離を詰めて相互作用をもとめた。やや抑制的ではあっても、即興演奏の熟度が高まっていくプロセスを目の当たりにするものだったと言うことができる。

今回の再演にあたり、田中悠美子はふた張の大正琴を並べた。アレンの展開する音には向こう受けを狙うものが皆無であり、結果として、初演の際には響きのグラデーションが三者により模索されるおもしろさがあった。演奏後に、田中自身は「ジャンジャン弾いて暴れがち」な三味線ではなく、「もっとアンビエントな、前回と違った感じにしたかった」と話した。やはり、初演の方向性で熟度をさらに高めるための選択だった。

もとより大正琴はマンドリンと同様に「金属弦を使いトレモロ奏法を用いる」ことなどにより「メランコリック」で「軽快にして華麗」ゆえに日本の庶民の間で人気を博した楽器だが(*1)、田中のエレクトリック大正琴はオリジンの性質を換骨奪胎している。響きはアンビエント性の強化に貢献し、また「メランコリック」であったかもしれない揺れ動きはトロンボーンが持つ逸脱性とあいまってすばらしい効果をあげた。

今西もまたスライドギターのようにして弦から連続的に逸脱する音を発し、連続的な逸脱フェーズのなかで、アレンとも田中とも異なるかたちで走ってみせた。このあたりの即応ぶりは即興演奏家としての経験を示すものではなかろうか。そしてまた箏ならではの眼が覚めるようなグリッサンドは流麗で、逸脱にもさまざまな道があることを実感させてくれた。

とはいえ、今西も田中もときおり野蛮な音を出し、サウンドがアンビエントにとどまることをよしとしない。田中による強くはじく音の残響や、今西の大きな弓による音の拡張には、つぎになにが起きるのだろうと予感させる効果があった。アレンはというと、かれもやはりグラデーションだけをみているわけではなく、ときに驚くほどジャズ的なフレーズも繰り出した。

田中は日本の伝統芸能界以外のコンサートにおいて伝統楽器を使うことに関して、「いわば確信犯的な非正統の上塗り行為」であり、それにより「異なる文脈の中で日本音楽の独自性が際立つことに意義がある」と書いている(*2)。トロンボーンという西洋の金管楽器との即興演奏はまさにその実証でもあった。またアレンがどこか特定のルーツ音楽に拘るのではなく、アジアなどを旅しては演奏し、映像を撮る複眼的な者であることも、このトリオを特別なものとした。

(文中敬称略)

(*1)金子敦子『大正琴の世界』(大正琴協会/音楽之友社、1995年)
(*2)田中悠美子「音楽スペクタクル ’Hashirigaki’ ―――日本音楽の「再利用」を考える」(水野信男編『民族音楽学の課題と方法 音楽研究の未来をさぐる』、世界思想社、2002年)

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齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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