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音質マイスター萩原光男のサウンドチェックNo. 319

音質マイスター萩原光男の聴きどころチェック #4『トルド・グスタフセン/シーイング』

『Tord Gustavsen Trio / Seeing』(ECM2820)
ユニバーサル UCCE-1210 ¥3,080 税込

text by Mitsuo Hagiwara 萩原光男

今回は、ECMレコードから聴いていきましょう。

概要:
バッハや讃美歌からのアレンジで繰り広げられる繊細で美しい響きと広がりのECMの音の世界。
スローな曲運びに味わえる余韻の美しさと、ベースの躍動感も聴きどころ。
9曲目に映画『タイタニック』の「主よ 身許に近付かん」を収録した、叙情と祈りのアルバム。

パーソネル:
トルド・グスタフセン(エレクトロニクス ピアノ)
スタイナー・ラクネス(ダブル-ベース)
ヤーレ・ヴェスペスタ(ドラムス)

録音: 2023年10月フランス、ペルヌ・レ・フォンテーヌ、ステュディオ・ラ・ビュイソンヌにて

① 神様、私を静めてください 4:53
Jesus, gjør meg stille
Norwegian Trad., arr. Tord Gustavsen

②古い教会 5:22
The Old Church
Tord Gustavsen

③シーイング 5:42
Seeing
Tord Gustavsen

④キリストは死の縄目につながれたり 4:22
Christ lag in Todesbanden
J. S. Bach, arr. Tord Gustavsen

⑤いとしき主にわれは頼らん 3:32
Auf meinen lieben Gott
J. S. Bach, arr. Tord Gustavsen

⑥エクステンデッド・サークル 5:11
Extended Circle
Tord Gustavsen

⑦ピアノ インタールード:メディテーション 2:52
Piano Interlude – Meditation
Tord Gustavsen

⑧ビニース・ユア・ウィズダム 5:16
Beneath Your Wisdom
Tord Gustavsen

⑨主よ御許に近づかん 2:55
Nearer My God, To Thee
Lowell Mason, arr. Tord Gustavsen

⑩シアトル・ソング 3:48
Seattle Song
Tord Gustavsen


1. トルド・グスタフセン・トリオの紹介など

①トルド・グスタフセンについて
ECMレコードは、ドイツのコンテンポラリー・ミュージックの名レーベルとして、50年を超える歴史があります。このレーベルはドイツにありながらここで中心的に活躍するミュージシャンはほとんどドイツ以外、というところも面白いことです。トルド・グスタフセンもノルウェーのピアニストで、ECMではこの『シーイング』が10作目に当たります。ライナーノートによれば、ノルウェーだけでなくヨーロッパでも人気のピアニストということです。彼のECMでの2作目の『ザ・グラウンド』は、2005年にリリースされチャート1位に輝き、その2年後に作られた第3作『ビーイング・ゼア』は第3位になり、グスタフセンの名声を確立したとのことです。

②ミュージシャンについて
トルド・グスタフセンはリーダーでエレクトロニクスとピアノです。
スタイナー・ラクネスは、ダブル-ベースで前作からグスタフセン・トリオに加わりました。
ドラムスは長年グスタフセンと演奏しているヤーレ・ヴェスペスタです。
ピアノトリオは歴史的にそれぞれの楽器がメロディ、ハーモニー、リズムという基本的な役割を担いながらアンサンブルを生み出すのが基本です。
このグループで特に注目したいのは、ピアノとともにベースです。一般的にはベースはアンサンブルを背後で支える地味な存在ですが、ベースのラクネスは謙虚で強調的な性格ですが、一方で社交的でセンターに立ちたがる面もあるようです。このアルバムでも、彼の演奏は、トリオとして一体化した世界の中でも、ときには中心的な色彩を放つ、とのことです。
ベースのルーム・アコースティックを意識した躍動感ある演奏と響きには注目です。

2.   概要 (収録曲のモチーフ、音質など)
① 収録曲のモチーフなど
すっかりジャズ・シーンに定着している、とライナーノートに書かれているこのアルバムはグスタフセンにとってECM10作目に当たります。
まず一聴して、ECMレコードの代表的なメンバーであるキース・ジャレットの音を思い浮かべました。このアルバムの印象ですが、グスタフセンの音楽に初めて出会った私には、押し付けがましさがなく、聴きどころに迷いました。しかしバッハの曲を収録しているので、いろいろとバッハの曲に関わり好きなジャンルなので、惹きつけられるものを感じたのでした。収録曲には讃美歌もあるのですが、聴き逃せないのは9曲目、「主よ御許に近付かん」でしょう。ジェームズ・キャメロン監督による1997年公開の映画『タイタニック』は、全世界で大ヒットを記録しました。そこでの注目はジェームズ・ホーナーが手がけたすばらしいサウンド・トラックです。乗船していた弦楽四重奏が沈没直前まで演奏していた名曲です。沈みゆく船を背景に流れる讃美歌第320番『主よ、御許に近づかん』の厳かな響きは、映画をさらに印象的なものにしていましたね。
ところで、このグループリーダー、トルド・グスタフセンを理解するためにも、私のバッハ観を書いておきたいと思います。あらためて、バッハはバロックの大家ですが、その音楽はヘンデルなどのように外連味(けれんみ)をちらつかせることもなく、聴く者、奏する者の内面に迫り、スピリチュアルな高まりをもたらします。このアルバムについても、同様のものを感じ、グスタフセンという人の音楽もまた、その文脈で理解できるようです。このアルバムはそんなバッハ観で語ることのできる、彼の独白であり、彼のひとときの精神の旅である、として聴きました。

②このアルバムの音・ECMの音
ネットのECMレコード入門のコピーに「沈黙の次に最も美しい音」と書かれています。静けさ、繊細さ、とそこに広がる美しい音の響きはECMレーベルの音の聴きどころであり、このCDでも、音の魅力のポイントです。ピアノを中心にベース、ドラムのトリオで演奏されるこのアルバムですが、リーダーのグスタフセンと長年コンビを組んでいるドラムスはあまり主張せず音楽を整えていますが、最近加入したというベースは存在感を示した演奏で、このアルバムの音楽と音を味わうには、主役のピアノとともに注目です。ピアノはどちらかというと中高域で響き、やや長めの残響で味わえます。中低音はバランス的にもベースを楽しみたいものです。このCDでも時々聴けるマッシブなベースと、これもECMの音の特徴である中低域の響き、広がりも聴きどころです。また、前述のようにピアノはバッハ的で硬さを感じますが、それをリスナー側に立って楽しめる演奏にしているのもベースです。ECMの中低域は暖かい広がりがあり、響きの良いコンサートホールを思わせます。このベースの響きが、大小の教会におけるオルガンや、パイプオルガンの通奏低音の役割をしていて、滞空時間の長い響きがそこにいる人々の心に敬虔なひとときを提供するのに似ています。従ってこのアルバムを楽しむには、中低音の味わえる程度のスピーカが望まれます。それはECMレーベル全般に言えることです。

③日本のジャズ界とジャズ喫茶に衝撃を与えたECMの音を論じる
その1:ECMの日本・ジャズへの衝撃
東京の四ツ谷に、四谷いーぐる、というジャズ喫茶があります。ここのオーナーの後藤雅洋さんは、ECMレコードを初めて聴いた時の印象を、著書、『新ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)で次のように語っています。「ECMの登場は、当時の日本のジャズ界に衝撃を与え、フュージョンの花を開かせたのだ」。
そのレコードはチック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』でその時の衝撃を次のように書いています。「長年ジャズ喫茶をやってきたけれども、新しく買ってきたアルバムを最初にターンテーブルに乗せたと同時に店内の空気がガラッと変わってしまうような体験は、とにかくこのアルバムが初めてだった。(中略) SF映画のように天井が抜けて、スカッとした青空が顔を出したような錯覚にとらわれたものだった」
では、次に当時の日本のジャズ界をみていきましょう
その2:当時の日本にジャズ界の状況
1960年代のジャズは、コルトーレーンを精神的にバックボーンとするフリージャズ派とマイルス・デイヴィスを頂点とする主流派が並立していました。特に日本では「フリージャズでなければジャズではない」といった雰囲気で、当時私はロックにのめり込んでいたので触れてはいけない世界のように思っていました。1960年代と言えば、学生運動華やかりし頃で新宿西口広場では反戦フォークソング集会も行われていました。そこには学生や詩人が集まり、そこで意気をあげた彼らは、ジャズ喫茶でコルトレーンなどのフリージャズを聴いたのでした。
このような、フリージャズこそジャズと精神面からも縛られていた日本のジャズ界に衝撃を与え、日本のジャズの転換点となったのがチック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』で、ECMでもあり、フュージョン・ミュジックだった、というのです。私は、チック・コリアよりもキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』の方が印象が強かったのですが、こうして登場したECMの音は「重苦しいフリークトーンが渦巻くジャズ喫茶」に、このアルバムがかかったとたん、さながらSF映画のように、「天井が抜けて、スカッとした青空が見えた感覚」だったのでした。
蛇足ですが、この話を読んで私は当時の日本のジャズシーンをすっかり理解することができました。1970年は東京で会社に入社した年ですが、当時ジャズと言えばコルトレーンを聞かないとジャズじゃない的な雰囲気がありました。ピットインなどのジャズスポットでもコルトレーンまがいのフリージャズが全盛でした。私はといえば、学生時代から、大きな流れになりつつあったロックにハマっていたのでこのようなジャズの状況はあまり気にしていませんでしたが、1960〜1970年代初頭のジャズは21世紀初頭に、そうだったのか!、と、あらためて腑に落ちたのでした。

4.まとめとして
ECMの音についてまとめておきましょう。
第1点は静かで繊細で美しい響きの広がりのある音は、音響的には、反射音や残響などの周波数特性を高域上がりにして明るさを強調する、という手法をとっています。
第2点は、直接音を強調しすぎないように、直接音を強調する時間の短い反射音を分散させている、と私は分析しています。
その結果が、優しい音、細かい繊細な音作り、という評価になっています。ちなみに、伝統的な高音質の代表としてウイーンのムジークフェラインザールは反対に、直接音を強調するために時間の短い反射音を集中させる、という方法をとっています。個人的な感想ですが、50年以上も続いているECMは、このような音つくりで、ムジークフエラインザール的な音とは対極にあり、大きな存在意義を感じています。


萩原光男

萩原 光男 1971年、国立長野工業高等専門学校を経て、トリオ株式会社(現・JVCケンウッド株式会社)入社。アンプ開発から、スピーカ、カーオーディオ、ホームオーディオと、一貫してオーディオの音作りを担い、後に「音質マイスター」としてホームオーディオの音質を立て直す。2010年、定年退職。2018年、柔道整復師の資格を得て整骨院開設、JBL D130をメインにフルレンジシステムをBGMに施術を行う。著書に『ビンテージ JBLのすべて』。

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