音質マイスター萩原光男のサウンドチェック #10 『藤井郷子GEN/標高1100メートル』
text by Mitsuo Hagiwara 萩原光男
藤井郷子GEN/高度1000メートル Libra 206-077 ¥2300+税
向島ゆり子 (violin)
加藤綾子 (violin)
波多野敦子 (viola and electronics)
吉野弘志 (Bass)
藤井郷子 (piano)
堀越 彰 (Drums)
Part 1. Morning Haze 09’35”
Part 2. Morning Sun 09’52”
Part 3. Early Afternoon 07’49”
Part 4. Light Rain 19’49”
Part 5. Twilight 11’09”
Recorded by Takanori Terabe at 渋谷・公園通り クラシックス March 12, 2024
Mixed & mastered by MikeMarciano, Systems Two, NY, October 2024
■ 始めに
ジャズにおいて、地下室の音というのは一つのカタチです。地下室で録音されたこのアルバム、音楽的にも、高度で豊かな音楽経験のメンバーが奏するジャズは高い音楽性があります。地下室という、音の逃げ場が無い空間では、低音は余韻が長く定在波が残りやすく、しかし音楽的には低音が豊かで伸びがあります。そのドロドロしてもやつきがちな低音を、シマリをつけ、コントロールして長い余韻のあるジャズを聴くのは、醍醐味です。オーディオ機器をコントロールするのが、腕の見せ所です。
このアルバムの録音は、渋谷公園通り、山手教会の地下にある100人ほどのホール(クラシックス)とのこと、地下室らしいベースの豊かでクリアな輪郭のある音は、極上の味わいがあります。その余韻の透明感と空間に浮かぶベースをはじめとする楽器の音と音楽には品格があります。
品格と言えば、アーティストは、65才のベテランとのこと、ライナーノートには藤井郷子さんの、このアルバムの経緯が次のように載っています。(以下、ライナーノートより)
『60歳のとき(2018年)、 還暦の記念プロジェクトとして月1枚、合計年に12枚のアルバムを発表した。2022年、リーダー作100枚目を記念して「百、ワン・ハンドレッド・ドリームズ」のスペシャル・プロジェクトも行った。(中略)「65歳の特別企画はないのですか?」と聞かれて初めて65歳を迎えるということに気がついた。それだったら何か新しいことをやろうと感じたのが2023年の6月、65歳、誕生日の4ヶ月前。』
ここから、もうジャズは始まっています。
このアルバムを聴く人は、どうのこうの考えずに、彼女のジャズ人生をリスペクトして味わうしかありません。
1.アルバムを聴く
このアルバムの音の聴きどころは、圧倒的に豊かで多様なベースとドラムと、深く思いのこもったピアノと、ピアノと弦楽器のダイアログです。
Part 1. Morning Haze:ベースの音の博覧会か
ベースの音は、今日は私のシステムが低音出過ぎか、と思うほど、迫力満点にいろんな低音を聴かせてくれて、低音の博覧会かと思うほどです。ベースのボーイングが低く唸り、太鼓のドンドンと叩く音は反射音と余韻を伴って滞空時間が長く心に響きます。7分ごろからバイオリン、ベース、ドラムの全奏。曲はアダージョほどのテンポを保っている。ベースの低音のボーイングは痺れる、なかなか良い。地下室録音なので定在波的低音があって当然か。録音陣はそれを狙ったのでしょう。
Part 2. Morning Sun:磨き抜かれた65才の味わい深いピアノの音色に酔わされる。
冒頭からの中高域、その音色、響きは、藤井さんの語りであり、人そのもの。バイオリンの擦過音は、ピアノに良く対話していて両者のダイアログは、楽しく聴けます。4分半からのベースは、地下室によく響き、それがどこまでの滞空時間で聴けるかは、聴く者のオーディオ・システムを試している。ベースはサービス満点で、ドの音をメゾフォルテぐらいでゆっくり連打する。それが地下室に響きわたるのは、このソースを聴く、また一つの快感である。
Part 3. Early Afternoon:ここはアルバムの山場
山場らしく、ベースは速いテンポでリズムを刻み、走り、そのアドリブはこのトラックの主役だ。時に激しく速く、そこに各楽器が乗ってくる。速いテンポで畳み掛ける。
Part 4. Light Rain:嵐の後の静けさか
抑え気味のバイオリンの擦過音は静寂の中に、不安を高める。7分頃に響くピアノは素晴らしい地下室ならではの響きだ。抑え気味に思いを吐露する。バイオリンとのダイアログ、地下室、の豊かな響き、たっぷりと響くピアノの中高域のやや下の周波数帯域の輝きを、堪能してしまう。12分からの地を這うベース・ソロ。地下室の定在波も手伝っての響きは、音量は低いが迫力満点、やがてバイオリンとのダイアログになり怪しく不穏な空気を作り出す。
Part 5. Twilight:トワイライトというタイトル
最終トラックは、それなりに奏され、前トラックの様子を思い出しながら終末に導きます。
2.まとめ
ライナーノートの藤井氏のコメントに導かれての試聴記です。藤井氏の年齢的節目に書いた曲であることの重さが、音楽性の高さを作り出しています。
その1:音は言葉で作られ、また、音は思いを伝える。
このアルバムは、フリージャズに分類されると思います。フリーと言って何事にも縛られずアクションを起こしますが、しかしそのアクションを第三者が理解し鑑賞して味わおうとする時には、それを取り巻く状況やアクターの考え方が大きな拠り所になります。その意味で、ライナーノートの藤井さんの言葉はこのアルバムを、鑑賞する上でおおきな役割を果たしています。このアルバムに込められた、何かを伝えようとする彼女の心と音楽に迫るのに役立ちます。
以下は、このアルバムを聴いての感想です
その2:ピアノの役割
リーダーの藤井さんはピアニストなので、ピアノ中心のアルバムかと、思いましたが、そうではなく、ピアノの出番はむしろ少なく控えめになってています。そのことは、このアルバムの音と音楽に大きな意味付けがあります。藤井さんは自らではなく、メンバーを通じてそれを表現しようとしているのがよくわかります。そうすることで、このアルバムが独りよがりなものにならずに、メンバーそれぞれの音楽人生を通して語りかけるものがあります。そうしたものを聴く者に伝えることに成功しています。印象に残ったのは、2曲目のピアノです。控えめではありますが、情感たっぷりで秀逸です。
その3:ベースの吉野弘志氏
ベーシストの吉野弘志氏は、東京芸術大学を卒業して山下洋輔(piano)パンジャ・オーケストラなど数多くのグループに参加し、現代音楽の分野でも故・武満徹プロデュースの” MUSIC TODAY “に出演するなど藤井氏と同様にとくに昭和に大いに活躍された方です。(氏のホームページより)
今回のアルバムが、ジャズでありながら現代音楽的にも聴けるのは武満徹などとの関わりを感じさせるのは、吉野氏の音楽人生にもあるようです。
3. 最後に「多彩な経歴の演奏者と、ニューヨークでのマスタリング」
ピアノ・ベースだけでなく、バイオリンの向島ゆり子氏はスエーデンでのツアーの経験があり、その他のメンバーも山下洋輔、武満徹などとの音楽経験があり、ジャズに止まらないメンバーの経歴がこのアルバムの音楽を豊かにしています。最後に、このアルバムの音の迫力に、日本的なものを超えたスケールの大きな音楽性を味わうことができました。その要因にマスタリングがニューヨークで行われたことも大きく貢献していると思いました。
まとめてみると、聴く前はフリージャズということで、どうしたものかと距離を感じました。しかし、聴き終えてみると、魅力的な音楽世界を堪能しました。<ノヴェンバー・ステップス>(武満徹) の世界で、このアルバムを捉えている私自身を感じています。
藤井郷子、向島ゆり子、吉野弘志、渋谷公園通りクラシックス、標高1、100メートル