追悼 近藤等則 Tom’s Cabin 麻田 浩

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text by Hiroshi Asada 麻田 浩

近藤等則が亡くなった。彼と最初に会ったのは1985年、まだぼくがスマッシュにいたころだ。
ある日彼から電話があって会いたいと言うので事務所に来てもらった。
話と言うのは五百羅漢というバンドのツアーをやりたいので協力してほしいという事だった。
メンバーは近藤のトランペット、アート・リンゼイのギター、ジョン・ゾーンのサックス、山木秀夫のドラム、レックのベースというすごくおもしろそうなメンツだったので直ぐにやろうと返事した。
僕のことはそれ以前にやったラウンジ・リザーズやビル・ラズウエル、アントン・フィア、フレッド・フィリス・トリオの連中から聞いたという。70年代終わりにNY生活をおくった彼はそこら辺のミュージシャンとは親交があったのだ。
ツアーは渋谷のライブインほか4カ所やった。アートとジョンは初めての日本だったが二人とも日本が気に入り、その後も何度となく来日している。特にジョンは日本が気に入り住んだ事もあった。
小野セイゲンと初めてあって仕事をしたのもこのツアーだった。
近藤君はその後もCDが出ると送ってくれたり、僕が中国に梅津さんをブッキングしたのを聴いていきたいと言って連絡がきたりした。ただ中国はミュージシャンの政治的な活動にうるさくて近藤君がダライラマとやったイベントとのことで難しいだろうと中国側から言われてしまった。
日本では珍しいボヘミアン的な感覚を持ったミュージシャンだった。ニューヨークやアムステルダムに住んで何の違和感も無く現地のミュージシャンと交流し演奏出来たのもそういう彼のインターナショナルな感覚が為せる技だと思う。
日本が誇る貴重なアーチストがまた一人亡くなってしまった。


麻田 浩 あさだ・ひろし
60年代に単身渡米、当時のフォーク・シーン、フラワー・ムーヴメントを体験した。76年にトムス・キャビン・プロダクションを設立。以来、数多くのルーツ系ミュージシャンやパンク/ニュー・ウェイヴ・アーティスト(トム・ウェイツ、エルビス・コステロ、トーキングヘッズ、ラウンジリザーズetc)の来日公演を実現させてきた。その後日本人アーチストのマネージングを始めSION、コレクターズ、ピチカート・ファイブ等を手がけピチカートをアメリカに紹介し世界的にブレイク。ジョーイ・ラモーンを日本のガールズパンクバンド、ロリータ18号のプロデューサーに起用。テキサス州オースティンで開催されているSXSWの日本代表を30年以上勤め、1996年からSXSWで初のインターナショナルなショーケースJapan Niteをプロデュースし、SXSWがグローバルなフェスになるきっかけを作った。Japan Niteにはこれまで200組以上の日本人アーティストが参加している。2019年1月、自叙伝『聴かずに死ねるか! 小さな呼び屋トムス・キャビンの全仕事』がリットーミュージックより発売された。
http://www.toms-cabin.com/
https://www.facebook.com/hiroshi.asada1

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