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R.I.P. チック・コリアNo. 276

1972年、チック・コリアに夢中 by 細川周平

text by Shuhei Hosokawa  細川周平

 

チック・コリアは1970年代初頭、最も熱い思いを寄せたピアニストだった。大学に入ったらジャズ研でピアノを弾きたいと思っていた高校生として、「マトリックス」の右手を数コーラスだけ譜面に採ったり、「クリスタル・サイレンス」に挑戦したこともある。彼の逝去を知り、つい昔の日記を読み返してしまった。

合歓ジャズ・インのFM放送(1972年7月24日)は、彼の存在をぐっと身近にしてくれた。4時間番組なのに、チックのことしか書いていない。「ソロもなかなかだったけど、ナベサダとのデュエット、チンサン〔鈴木良雄〕、トコ〔日野元彦〕を加えてのトリオ、さらにナベサダを加えて『マトリックス』がブルースであることが初めてわかった」。採譜しても12小節のブルース形式と分からなかったのだから、初心者もいいところだ。『ナウ・ヒー・シングス』では、そのぐらい巧みに土臭さをカモフラージュしていたのを、ナベサダはパーカー流に展開して「わかりやすく」吹いた。翌月には「今、パリのサークルをきいてるけど、やはりネムの方が良い。サークルが悪いわけじゃなくて、ネムが良すぎるのだ」(8月14日)。

この日「かもめ」をFMで聴き、「またまた彼に敬服してしまった」。「電ピで『サムタイム・アゴー』をやるなんて思いもつかなかった。彼の電ピは生ピ同様に、ナチュラルで美しい音をしている」。ただし「ボーカルはどうもよくない」。この歌詞では「曲が泣いちゃう。ただのvoiceならまだ聞いていられるのだが・・・」(8月14日)。ピアノ・ソロ・アルバムでお気に入りの曲に、歌がついたことに困惑している。10月21日、級友に「かもめ」をダビングしてもらった。翌日に書いている。「それから何回きいたことだろう。とにかく、今一番聴いていたい音楽」。その日のうちに「全曲のコード取り完了」というので(基本音だけのはずなのに自信満々)、相当な回数聴きこんだ。当時持っていたエレピで試し弾きしている。スタンリー・クラークに惚れて、「『サムタイム・アゴー』のベースソロは何度きいてもびっくりするが、その他の曲でのベースも新鮮。『ホワット・ゲーム・・・』のような『ポップス』においても、あんなすばらしいベースが発揮できるなんて」と驚愕しっぱなしだった。「ポップス」にわざわざカギカッコをつけているのは、本物ジャズよりもやや軽く見ていたからだろう。もう一人、耳に残ったメンバーがいる。「モレイラの真価は『クリスタル・サイレンス』にあらわれている。たったあれだけチャラチャラとやるだけで、この曲の緊張感が大いに高まっている」。マイルス・バンドでは添え物だった彼の絡みが、ここではエレピ、ソプラノ・サックスと一体化しているという意味だ。

年が明けて1月8日、入試直前だったが、念願のリターン・トゥ・フォーエヴァー初来日公演を聴きに行った。新宿厚生年金会館の5列目だ。日記の書き出しは「このグループの中心はエアート〔アイルト・モレイラ〕。彼のラテンリズムがこのグループを支配している。・・・ピュリム〔フローラ・プリム〕がギターを弾いた曲で、彼は両手にパーカッションを握りexcitingなリズムを刻んだ。曲全体もバーデン・パウエル風であったが、とにかく、彼の真髄はここに極めり、と思った。『マトリックス』(僕らが手が痛くなる程アンコールを要求した曲)すら、ラテンぽくしてしまった。『ナウ・ヒー・シングス』風のハードなコリア・ブルースが聴けると期待したのだが」。4ビートかラテンか、ふたつのグルーヴのどちらにつくか、欲求が入り乱れていた。観客を「僕ら」と呼ぶのは、この時代には非常に珍しい。

ほかのメンバーについては「クラークも予想をはるかに越えるすばらしいベーシスト。指の速さもさることながら、フレーズ作りがうまいのだ。チックのピアノとよく調和していた」と大満足する一方、「〔ジョー・〕ファレルは『あたらずさわらず』のプレイが多く(特にフルートではclichéを組合せの時間かせぎ)失望もしたけど、『マトリックス』で垣間見せたプレイは〔エルヴィン・ジョーンズ・トリオに参加した〕『アルティメイト』を連想させるに充分」とやや冷たい。

日記の最後は「今は彼らが表現したがっている事と観客が欲している事とが、見事に一致しているけど(近年、観客がこんなにのったコンサートも珍しい)その内ギャップができるだろう。チックもこの演奏で3枚もLPをだせば、飽きられるんじゃないかな。『ライト・アズ・ア・フェザー』は買うつもりだが、ジャズもまた『生々流転』なのだ」。興奮しながら、「ポップス」の軽さに乗り切れていない。実際、同じ年にセシル・テイラーとマイルスのライブを聴いて好みが過激化し、心配したように、RTFのロック寄りの3枚目(『エレクトリック・ピリオド』)には失望した。

今、流転を経たうえで「サムタイム・アゴー」を聴いている。生活の各方面で負の力にめげそうになるなか、フローラの声とチックのフェンダー・ピアノは、懐かしさ以上に、深く心に響く。「少し前、夢を見ていた/いつまでも幸せが続き、自由だという夢を/今、人生にその夢が実現したのが見えてこない?//音楽が奏でられ、松明が踊り、子どもたちがみな歌って、誰もが愛し合っている」。身もふたもない歌詞だ。こんな無垢な歌はめったに思いつかない。ラブではなくピースを歌っている。ただし何か行動を促すメッセージはない。この絶対的な平安は涅槃の境地ではないかと近頃思う。するとフローラ(花の意味)は蓮の化身?いや、これは冗談。

『ナウ・ヒー・シングス』のタイトルが、『易経』の自由訳からインスピレーションを得ているように、「永遠回帰」というバンド名も、チックが惹かれていた東洋思想に源があるだろう。それを「サムタイム・アゴー」は歌詞のかたちで宣言したと思う。ジャズ本流が距離を取っていたボーカルに、彼は思い切って、しかし軽やかに接近した。50年代に完成したスタンダード中心のジャズ・ボーカルとは一線を画した発声法、歌詞、そしてバンド内の位置関係、それを「かもめ」の5人は創造した。歌手と伴奏者の関係ではない。ゲッツ&ジルベルトやクリード・テイラー(CTI)が売りにしたような、ブラジル風味を旧来の型に添えただけの演奏とはまったく違う。あいにくその後、ブラジルの二人はいわゆるブラジリアン・ジャズに留まり、リーダーもボーカルには気を向けなかった。「かもめ」はその意味で特別な化学がはたらいた一枚だ。

私は流転につきそうことはあまりなかったが、チック・コリアが特別な存在であることに変わりない。彼が歌に託した夢はいつまでも夢のままだが、思い出は前を見る力になりうる。追悼番組やSNSでは、彼が何を弾いても、「前向きの力」が伝わってきたと語られていた。私なら彼を送り出すには、北欧調のバラードよりも「サムタイム・アゴー」を選ぶ。それにしても半世紀前が「少し前」と感じられるとは!

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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