オマさんへ by 本田珠也

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Text by Tamaya Honda 本田珠也

オマさんへ

オマさんかぁ、オマさん。本当に逝っちゃったの? 「オマさんですよ〜」ってヌッって現れるんじゃないの? 扉の外でベース持って待機してるんじゃないの?

類稀な才能を持った人だった。多彩で目新しいものにすぐ飛びつく習性。また新しい人材の発掘や新人の才能の引き伸ばしを的確な助言の数々で多くのミュージシャンを輩出したことでも、天才的な才能を発揮した。そして常に俯瞰した場面を見抜く耳の良さと野生的で獲物を捕らえるような瞬時のスピード感は天下一品。

僕は90年代半ば頃から共演するようになりましたが、 印象的なのはここ数十年から晩年に掛けて演奏した即興演奏でした。特に印象的だったのは、ピットインで行われたジョージ大塚さんの追悼ライブで (元々のプログラムにはなくオマさんの鶴の一声で) 急遽決まったオマさんとデュオを行った時です。これは完全即興でした。何も決めずに始まりましたが、自然に互いの呼吸があってポンポンとどんどん進行していく。僕もどんどんアブストラクトなテンポ展開の応酬をしても、オマさんは動じる事もなく、その天賦の耳の良さでビシビシと決めていくスピード感と言ったら、もう笑うしかないぐらい楽しい経験でした。バシッと決まって終わった時にオマさんが僕を見て「やったね!」という感じで親指立てて「してやったり」の満足気な表情で、口をほの字にしてサングラスの奥から覗く目がニヤニヤしていた。

嬉しいことに特別なライブの時には必ず声をかけて頂いて、そのライブ一つ一つがオマさんらしく自由でも厳しく楽しく有意義な時間でした。山下洋輔さんとの共演ではフリーではなくスタンダード曲ばかり演奏したけど、山下さんもオマさんも隙あらばカケシ(仕掛け)してくるのでどんどん脱線してフリーになっていく。渡辺香津美さんとのトリオは2回ほどありましたが個人的に思うのは香津美さんとオマさんはとても相性がよく、二人の間で演奏していているととてもワクワクさせられました。 このトリオですみだストリートジャズフェスティバルに出演した時、珍しくオマさんの弦が切れてしまい香津美さんと僕と1曲丸ごとデュオでの演奏になったことも思い出深いです。オマさんのベースは特別なものなので弦の張り替えはとても大変なのです。

またある時は坂田明さんとスガダイローさんのカルテットでの演奏の時にコンテンポラリージャズからフリージャズもできる凄腕サックス奏者ジョン・イラバゴンが 偶々来日していた折にピットインでシットインして熱湯をぶちまけたような熱いフリージャズが展開になった事 を思い出します。それから野毛のドルフィーの出演は珍 しいと思うけど、ゲストに日野晧正さんを呼んだカルテットに、更に遊びに来た寺久保エレナさんがほぼ全編参加しての演奏も思い出深い。この両巨匠 (オマさんと日野さん)と結局墓の中まで持っていった名曲 <45th St at 8th Ave> を演奏できた事は感慨深い。あっちではウッディー・ショーと大喧嘩してるかも知れませんが (笑)。

もう一つ思い出すのが、日本が世界に誇る名ジャズドラマー日野元彦さんとのお話。トコさんは小学生の頃からショーのタップダンサーとドラムを演奏してキャバレーやクラブで芸を磨いていましたが、その頃からオマさんはトコさんにジャズの手解きをしていたそうで、オマさん曰く「俺がトコにシンバルレガートやジャズドラムの 在り方について教えたんだよ」と豪語していました。そして後に日野元彦さんのアルバム「ライブアットネム」 で二人は作品を残します。これがまた痺れまくりのトンがった演奏しているのですが、それについてオマさんに話すと「あれはさー、俺のバンドなんだよ」「俺が全部トコにアドバイスして俺が全部引っ張ってたんだよ」と いうふうに言っていました。確かに展開の仕方はベースが完全に主導権を握っているパートが多々あるのでそう聴こえなくもありませんが、思うにオマさんのアクや主張の強さによってリーダーを食ってしまい、自然とリーダーがすり替わっているのかも知れません。恐るべしオマさん。

そうそう、ある時の横浜ジャズプロムナードでは僕はオルガンのKANKAWAさんと出演していた時は、最後の曲が終わって客席からアンコールの拍手喝采でアンコー ルをやろうとステージに向かおうとした瞬間、ド派手な カーネルサンダースみたいなオマさんが僕に耳打ち「なんかさ~面白い音楽やってるから一緒にやりたくて、なっ? いいだろ?!」って、誰に断る事なくさっさとステージに上がってしまい、いきなりベースアンプにシールド直結しベースソロを弾き始めてしまった。唖然とした KANKAWAさんが「なんやこのおっさん???」ってな顔してる。でもなんとなくブルースか何かやって無事アンコール終わったのだけど、終演後KANKAWAさんが「なんやこのおっさん! かと思ったらオマさんやないかい!」って意気投合して二人はどっかへ消えてしまった 笑。って書いてるうちに色々とオマさんと共演させてもらった事を思い出してきた。

金沢ジャズストリートでは、ウラジミール・シャフラノフという、日本ではホワイト・ナイトという作品が結構人気があったサンクト・ペテルブルグ出身のピアニストやウルフ・ワケニウスというスウェーデン出身のギタリスト(僕はこれ以前にやはりギタリストのユージン・パオと一緒に香港で共演済み)ともオマさんと演奏しました。オマさん 英語は全くなんだけど、何だか通じてしまうという神通力も持ってましたね。

そろそろこれを書かないといけませんね。僕の父親である本田竹広とオマさんの話。ご存知の方も多いかとは思いますが、1970年オマさんが初めてNYを訪れた時は親父と一緒に行ったのです。親父はその前年の1969年に行われた第一回サマージャズフェスティバルで優勝し、その賞品がNY行きの航空チケットだったのでそれで行くことに。そこにどういう経緯でオマさんも一緒にいくことになったのかは分からないのですが、とにかく一緒に飛行機に乗りました。オマさんの飛行機嫌いは有名な話です。この時も結構揺れたらしく、ある時気流で機体がガタガタ揺れ始めて案の定オマさんもガタガタ震えて親父の手をギュッと握っていたそうです(親父談)。オマさんは「機体がガタガタ揺れて、あ〜落ちる〜!って叫んで横見たら本田がガ〜ガ〜いびきかいて寝てやがってよ〜」って言ってました。で、無事にNYの空港に着いたら水を得た魚のように 「じゃあな!」って街の喧騒に消えて行ったそうです (親父談)。オマさんは最終的にアート・ブレイキーのバ ンドに入ってツアーまでしてアメリカのどこかの州でビザが切れていることが発覚し、そのまま日本に強制送還されたそうです(オマさん談)。NYでの逸話では当時のブルーノートのプロデューサーであった名ピアニストのデューク・ピアソンに認められてデュークピアソン・トリオのレコーディングもしたそうで (ドラムはエルビン・ジョーンズ!)、それがブルーノートから発表 (番号も決まっていたらしい)されるはずだったようですが、訳あってお蔵入りになったという話を聞いたことがありま す。そのテスト盤も持ってると聞いたこともあります。 事実かどうかは知りませんが 笑。

最後の最後に、これは新宿ピットインの名物PAだった藤村保夫さんの言葉ですが、これがオマさんをぴったり言い当てているので書きます。ピットインのベースアンプにシールドを挿したのだけど音が出ない。でオマさんが「おい! 藤村! 音が出ないぞ!」とすかさず藤村さんがステージに来て一言「あれ 〜おかしいなぁ〜、オマさんが穴間違える訳ないし〜」。

オマさんは入院したけど、何かのきっかけで覚醒しスーパー爺さんとなって復帰して絶対にステージに戻ってくると信じていたのですが、それは叶いませんでした。でも安心して下さいオマさん。あなたの子供達は全国にたくさんいます。そしてみんながオマさんの事をいつまでも語り継いでそれが代々継承され、これで本当にオマさんは「ジャズ・ゴッド・ファーザー」となったのです。

ありがとうございました。オマさん。


本田珠也 Tamaya Honda Drummer
1969年東京生まれ。父本田竹広(P)、母チコ本田(Vo)、叔父に渡辺貞夫(As)、渡辺文男(Ds)という音楽家系に育ち、1989年頃から父の勧めでジャズを志す。 独学とはいえ血筋の良さから来る天賦の才能に加え、 アグレッシブでパワフル且つ感性豊かなプレイで、様々なジャンルをこなすようになる。1999年5月には大野俊三(tp)の誘いで香港へ招致され、ユージン・パオ(g)等と初共演する。これを機に2000年12月、香港高山劇場、 2001年5月、シンガポール・インターナショナルフェスティバル、同年9月香港シティーホール公演等に出演する他、香港、日本、オースト ラリア、デンマークから4人が集められ、「Hong Kong Meeting」と題したレコーディングにも参加するなど、国内に留まらず多くのミュージシャンから絶大な支持を得ている。2001年3月、大口純一郎トリオ、菊地雅章トリオ、ケイ赤城トリオと立て続けに3人のピアノリーダーのアルバムレコーディングに参加し、3人3様の強い個性のピアニストから称賛される。 2003年 12月、タイランドインターナショナルジャズフェステ ィバルを筆頭に、香港~深圳 ~上海 のツアーに、現地の ミュージシャンと共に参加。 2007年から菊地成孔DUB SEXTETに参加。 最近の動向としては、積極的な 即興演奏の活動が挙げられる。その主な共演者には、 Peter Brotzmann、Nils Petter Molvær、Eivind Aarset、Paal Nilssen-Love、Ingebrigt Håker Flaten、Ken Vandermark、Mette Rasmussen、Elliott Sharp、Jim O’Rourke、Thomas Morgan、 Todd Nicholson、八木美知依、大友良英、山下洋輔、佐藤允彦、坂田明、等。 2011年6月、ドイツのMoers Jazz Festivalに八木美知依ダブルトリオで出演し、その年の11月にはオーストリアはwelsで行われたPeter Brotzmann生誕70年を記念するコンサートに招致され、アグレッシブな演奏に欧州のコアなジャズファンを も魅了する。2017年8月に守谷美由貴(as)、須川崇志 (b)からなる待望のリーダー・アルバム「セカンド・カントリー」を発売。10月には 新進気鋭の類家心平(tp)、井上銘(g)らと結成した「TAMAXILLE」を発売。2018年1月には独創的なピアニスト佐藤浩一と組んだピアノトリオ「ICTUS TRIO」を発売と、立て続けにリーダー・アルバムを3枚発表するという偉業を成し遂げる。現在もっともジャンルレスで精力的に活動しているドラマーである。

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