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R.I.P. 鈴木勲No. 289

天才という言葉に相応しい人 by 力武 誠

Text by Makoto Rikitake 力武 誠

僕は日野元彦さんの付き人をやっていたんですが、その師匠から「おまさんは天才だ」と聞かされていました。プレイはもちろん、絵を書いたり裁縫したり、博打だろうがなんでも凝り性でそこに独特のものがある。こんな人にあったことはありませんし、これから先も現れないでしょう。

約8年間僕は家が近かった事もあり運転手としてもご一緒させていただきました。
よく昔の話をしてくれました、この道は昔はこうだったとか、アメリカでアート・ブレイキーとやっていた話や憧れていたジャズ全盛期のアメリカの話、戦後日本にジャズが入って来て米軍基地にピアニストのハンプトン・ホースが来てよく演奏していて、ベーシストで鈴木という名字が二人いたため区別としてホースなので「うま鈴」「うまさん」と呼ばれたのが今のおまさんと呼ばれる原形となった話とか。

ジャズに対する考え方は真剣でとても真面目な方でした。
定期的に集まってリハーサルしていたのですがある日ダラけた空気になっていた時、怒って帰ってしまって、
困った僕らは夜家まで謝りに行った事もありましたし、ライブ後解散した後電話で長々とお説教をもらった事もあります。

そして何よりドラマーとベーシストとして色々な方と共演させていただいたこと、横で音を出しているあの感覚、何も出来ずステージで怒鳴られた事も含めて宝物です。

自分のソロで感動して泣きながらの演奏している姿、忘れられません。
お客様を感動の渦に巻き込む姿。
まさにジャズの伝道師です。

「何が何でも発揮しなければ駄目なんだ!」
その言葉をよく口にしていた素晴らしい天才おまさん、ありがとうございました。そしてまたこの世に降り立ってまたその力を発揮させてまたご一緒させてください!


力武 誠 Makoto Rikitake – Drummer
8〜15歳まで町内の祭太鼓に参加。15歳からドラムを始める。高校卒業後music college MESAR HAUS に入学、故・日野元彦氏の付き人として20歳からの5年間吸収に尽力する。師匠が闘病生活を始めた25歳の時、日野元彦の代役として日野皓正(tp) . CLUB TOKOのステージに上がる。鈴木勲OMASOUNDや様々なバンドに在籍し都内近郊、全国ツアー、フェスティバル、と駆け巡る日々を送る。ニューオリンズ、ロシア、カザフスタン、キルギスなどの海外公演も経験。

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