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特集『私のジャズ事始』

フルート、サックス、エレキギターとジャズ 剛田武

小学4年生の時(1972年)にフルートを習い始めた。2歳年下の弟が突然トランペットを習いたいと言い出したので、子供っぽい対抗心から自分も楽器を習うと言っただけで、特に音楽が好きだったわけではない。フルートを選んだのは、他の楽器が思いつかなかったからであり、もしその頃ギターやサックスを知っていたら違っていたかもしれない。金沢高等音楽院というたいそうな名前の音楽学校(というかヤマハ音楽教室の拡大版)に月に2回通い、日向先生という若い女性の先生の個人レッスンを受けた。もう一つ楽典とピアノのレッスンもあったが、他の生徒が女子ばかりなので居心地が悪くてサボっていた。フルートの練習も家で予習復習をしなかったので上達は遅く、発表会ではたいてい途中で間違えてばかりで、悔し涙で演奏できなくなることもあった。それにもめげず中学2年までの4年間フルートを習っていた。

中学に進学したとき、当時流行っていたラジカセを買ってもらって、FMラジオで洋楽番組をエアチェックすることが趣味になった。学校の昼休みに校内放送でイージーリスニングやカーペンターズのようなポップスが流れることはあったが、ラジオで聴く外国語のポップスは、海外への憧れを掻き立てるとともに、歌謡曲や日本のフォークソングとは全く違う解放感と自由さに溢れていた。最初はジョン・デンバーやビーチ・ボーイズなどアメリカの青い空をイメージさせる爽やかなポップスに惹かれたが、香林坊のレコード店山畜に飾ってあったキッスやエアロスミスの派手なポスターに魅了され、攻撃的なハードロックを聴くようになる。音楽雑誌でロックバンドの写真を眺めながら、自分もいつかエレキギターをカッコよく弾きたいと夢見ていた。

1977年、中学3年に上がるときに東京へ引っ越した。練馬区の中学校ではブラスバンド部に入部。楽器はフルートではなく(テナー)サックスを選んだ。FM番組で聴いていた渡辺貞夫に憧れて、音量の小さいフルートより迫力のあるサックスを吹き鳴らしたいと思ったのかもしれない。フルートとサックスは運指がほとんど同じなので難しくはなかった。

高校の合格祝で念願のエレキギターを手に入れた。大好きだったジョニー・ウィンターが使っていたギブソン・ファイアーバードのコピーモデル(当時9万8千円もした)。中学校の放課後の教室で練習し、卒業式の余興でドラムレスのバンドでキッスのカバーを演奏した。フルートの発表会とは違う、初めてのライヴ・ステージだった。

高校でもブラスバンド部に入部。サックスを希望したら、担当は余っていたバリトン・サックスになった。倉庫で埃まみれになっていたボロボロのドイツ製の銀色のバリサクで、チューバとユニゾンの低音パートをブリブリ吹いた。部の方針で校外のコンテスト等には出なかったが、晴れ舞台の文化祭の体育館でのコンサートは合奏の楽しさを満喫するいい経験だった。また、ブラバンとは別にパンクロックのカバー・バンドを結成。文化祭のライヴでは、マイクスタンドを叩きつけて教室の床を傷つけて大目玉を食らったが、教室に入りきらないほどの学生が集まり最高の気分だった。

時は1980年。パンク/ニューウェイヴの流れからポストパンクが登場し、ザ・ポップ・グループやザ・レジデンツ、ジェームス・チャンス&ザ・コントーションズといった前衛的なロックを愛聴するようになった。彼らのサウンドはギター、ベース、ドラムというロックバンドの基本的な楽器だけでなく、管楽器や民俗楽器やエレクトロニクスなどを取り入れたハイブリッドな編成から生みだされ、特にそれまで筆者にとってはロックと結び付かなかったサックスが大きな役割を担っていること、しかもその演奏が、流麗なメロディではなく、音階を無視した滅茶苦茶なプレイと悲鳴のようなフリークトーンから成り立っていることに大きなショックを受け、新たな啓示に目が覚める思いがした。1977年のパンクロック・ショックで正道から逸脱した筆者の音楽観がさらに捻じ曲がりこんがらがっていった。吉祥寺の輸入盤店で買ったSun Ra & His Archestra『Live at Montreux』やHuman Arts Ensemble『Under The Sun』で自由奔放&出鱈目に吹き散らされるサックスやフルートに陶酔して、自分にとってのジャズとは何かを悟った18歳の目覚めであった。

それから40数年経った今、同じ気持ちで好き勝手にフルートやバイオリンを吹き・弾き散らす私の原点はそこにあるのかもしれない。(2024年6月18日記)

剛田武

剛田 武 Takeshi Goda 1962年千葉県船橋市生まれ。東京大学文学部卒。サラリーマンの傍ら「地下ブロガー」として活動する。著書『地下音楽への招待』(ロフトブックス)。ブログ「A Challenge To Fate」、DJイベント「盤魔殿」主宰、即興アンビエントユニット「MOGRE MOGRU」&フリージャズバンド「Cannonball Explosion Ensemble」メンバー。

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