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InterviewsNo. 307

Interview #272 佐伯武昇 Takenori Saeki(パーカッション奏者)~辞める理由がないからやり続ける。

Interview & text by 剛田武 Takeshi Goda
Photos by 潮来辰典 Tatusnori Itako (except where noted) taken at “EXPLOSION GIG” 2023年9月14日(木) 高円寺ShowBoat

その男のパフォーマンスを目撃したのは、映画『砂漠の小舟』(参考記事⇒#1255 映画『砂漠の小舟 / CUT LIGHT, SANDY BOAT』& 野上亨介監督インタビュー)が撮影された2020年12月19日高円寺Forth Floorでのルイス稲毛(b)とのデュオ・ライヴだった。狭いフロアに大量の打楽器やアルミ缶、廃材、台所用品、玩具などをばら撒き、全身を使って叩くというより破壊するかのように暴れ回る姿に、少し身の危険を感じて戦慄しつつ目が釘付けになった。それが佐伯武昇との出会いだった。その演奏行為は、観客へ向けてガラス板やドラム缶を投げ、ダイナマイトやユンボでライヴハウスを破壊しようとしたハナタラシや、ステージで嘔吐・放尿し、会場をノイズと汚物塗れにした初期の非常階段など80年代地下音楽の過激なパフォーマンスを彷彿させるとともに、キング・クリムゾンの怪人パーカッション奏者ジェイミー・ミューアも思わせる。もじゃもじゃの長髪と髭面にフレアパンツという奇抜なルックスも相まって、どんなに凶暴な人物かと思ったら、話してみると実に柔和で人当たりのいい好青年。そのギャップが面白い。

国立(くにたち)公民館での無料イベント「公民館運動」をはじめとして、阿佐ヶ谷、高円寺、乃木坂などのライヴハウスでイベントを数々企画しつつ出演もしている。出演者は有名無名に関係なく、個性的な表現を追求する音楽家や舞踏家・アーティストばかりで、自由な組み合わせによる即興演奏も多い。佐伯は毎回自宅から大量の機材を背負って電車に乗ってライヴハウスまで運搬し、会場の床にまき散らして全身で体当たりの演奏を繰り広げる。生傷が絶えないので両手には保護テープが欠かせない。演奏終了後は共演者や観客も手伝って、散らかった楽器や玩具やピンポン玉を片付けガムテープや銀紙の掃除をする。それを見てあるベテラン地下音楽家が「昔の吉祥寺マイナーでは同じように、ライヴの後はみんなで片づけを手伝うのが常だった」と懐かしそうに述懐する。

「行き過ぎることを恐れない」という地下音楽の精神を現在これほどまで体現している人間は佐伯武昇の他にはいないだろう。なぜ彼はそんな表現行為をするに至ったのか、そしてこれからどこへ行こうとしているのか?その秘密を探るべく本邦初のインタビューを敢行した。果たして謎は解けたのか、それとも見事にはぐらかされたのか!?(2023年11月2日記)

佐伯武昇 Takenori Saeki (perc,tb,g, etc.)

1973年岐阜出身。90年代中頃、パンクバンド「ムコウミズ」のギターとして演奏活動を開始。以後、ウランアゲル、非非非の非、Coco de キッコリーズ等数多くのグループ、ユニットを経験しながら、最近は廃材や生活用品を取り入れた独自のパーカッション・セットでの演奏も始める。現在はソロやセッションと共に、ニュージャージーズ、怪獣墓場、芸能佐伯組、しめころし、血液サラSARAなど様々なグループ、ユニットで活動している。

https://www.instagram.com/odwallatoro/


佐伯武昇インタビュー
2023年9月半ば~10月半ばE-mail、および10月23日(月)吉祥寺くぐつ草にて。

●お調子者だった少年時代

―1973年岐阜出身とのことですが、どんな家庭で、どんな子供でしたか?
佐伯:両親と姉、ごく普通の家庭でした。お調子者でした。注目されると高いところから飛び降りちゃったり(笑)。やめろと言われているのにワーッと。

―最初の音楽の記憶は
佐伯:四人囃子の「拳法混乱」というシングル盤です。当時、ジャッキー・チェンにハマっていて主演映画の『ドランクモンキー / 酔拳』(1979年公開)のテーマソングに使われていて親にねだって買ってもらいました。もちろんテレビで歌謡曲とか聴いていたと思うのですが、パッと思い出すのはこの曲です。

―熱心に音楽を聴き始めたのはいつ頃ですか?
佐伯:中学生の頃、洋楽好きな友達とお金を出し合って貸しレコード屋でレコードを借りてはカセットテープに録音して聴いていました。その友達のチョイスで、『インヴィジブル・タッチ』の頃のジェネシスとか、ラヴァー・ボーイとかペット・ショップ・ボーイズとか当時流行っていた洋楽を中心にザ・ドアーズからクラウス・シュルツ、ZZ Topまでなんでも聴いてました。

―その頃感じた音楽の魅力とは?
佐伯:感覚的にカッコいいなと。今思うと何故あんなに夢中になっていたのかわかりませんが、クラスの数人の友達と洋楽ばかり聴いていて、J-POPを聴いている周りの友達とは違うんだ、という自負はあったかもしれません。

―楽器演奏の経験は?
佐伯:中学生のころから家にあったガットギターや姉が習っていたエレクトーン、ピアノを触っていました。リズム感を鍛えるドラムの練習パッドみたいな楽器もあって、スティックがあったので音楽に合わせて雑誌やソファを叩いていました。誰かに憧れたというわけではなく、音が出るのが面白くて遊び感覚でした。特にこんな音楽やあんな曲をやりたい、という気持ちはなかったです。

―スポーツやほかの習い事はやっていましたか?
佐伯:小中と軟式野球をやっていました。小学校の時はクラスのほとんどが野球をやっていたこともあり、友達と遊ぶ感じで、かなり本気でやっていました。中学の頃には冷めましたが。

●ヒッピーに憧れて上京

―岐阜から東京へ移ったのはいつ頃ですか?
佐伯:高校を卒業してからピッピーやフーテンに憧れて上京したんです。岐阜にいたくなかったので、親に東京の大学へ行くと言って。どこにも受からなかったので東京にいた姉の家に居候して予備校に通っていたんです。でも勉強なんてする気はなくて、学費も払わないで遊興費にしていました。あとで親にバレて散々怒られましたが(笑)。何もする気がなくて遊んでばかりいました。ヒッピーやフーテンの仲間に入り込めないかと思っていたのですが、東京にピッピーなんていなかった・・・。その後、オウム真理教の事件とか色々あって幻滅しました。

―ヒッピーに憧れたのは、社会規範にとらわれない自由な生き方に憧れたということでしょうか?
佐伯:そうですね。あと、ドラッグによる神秘体験みたいなものにも魅力を感じていました。下手をしたらオウムに入っていたかもしれません。

―そのきっかけは音楽でしたか?70年代の日本のロックとか?
佐伯:勿論、音楽の影響はあります。僕の場合は『ウッドストック』やピンク・フロイドの『ライブ・アット・ポンペイ』などの映像作品からの影響が大きいです。音楽以外で影響を受けたのは、本では南正人さんの『国境の南』と山田塊也さんの『アイアムヒッピー』、中嶋らもさんの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』とかですかねぇ・・・。寺山修司の演劇とかも面白そうだと思いました。

―その頃の憧れが、現在の音楽三昧の生活やフレアパンツなどサイケなファッションに影響しているのでしょうか?
佐伯:何となくですね。ヒッピー文化にはもう何の興味もありません。

●村八分がきっかけでバンド結成

―90年代中頃バンド活動を始めたとのことですが、そのきっかけは?
佐伯:その頃には遊んでばかりの生活が嫌になって、横田基地の近く引っ越して、芝刈りや清掃請負の会社で働いていました。半分芸能事務所もやっている変わった会社でした。そこで知り合ったのが大場雄一郎さんです。彼に村八分を聴かせたのがムコウミズ結成のきっかけです。大場さんはヴォーカルです。

―ギターはいつから始めたのですか?
佐伯:そんな会社なので、事務所にエレキギターが置いてあったのです。BGMでパンクが流れていたので、それに合わせて弾いてみたところ「わあ、ギターできるじゃん」ってみんなに言われて。耳コピじゃないですが、なぜか雰囲気に合わせて弾けたのです。今思うとかなり適当だったと思うのですが。

―ムコウミズはどんなバンドで、どのような活動をしていましたか?
佐伯:ガレージパンクですね。かなり真剣にライヴ活動をしていました。結構評判が良くて、音楽評論家の鳥井賀句さんからは「大股開きのブギーバンド」って褒められました。活動はUFOクラブや、戸川昌子さんの青い部屋を寝座にしていました。対バンは、ルイス稲毛さんの夜光虫とか、東京やさぐれ女、非非非の非、スペシャル・ビューなどでした。

―それ以後いろんなグループやユニットを経験したそうですね。
佐伯:ムコウミズの活動期間は3年くらいでしたが、入れ替わりでウランアゲルというバンドに参加しました。最初は大場さんも参加していたと思います。当時の職場に渋さ知らズ関係で長髪のかっこいい人がいて声を掛けたら、公園でフリー・セッションをやっているから来ない?と誘われたのです。それが今も「公民館運動」で一緒に活動しているちゃんやま氏がリーダーの完全即興バンド、ウランアゲル(売らないあげちゃうという意味)でした。誰でも音楽ができるというコンセプトで、音楽経験のない人も参加していました。僕も楽器を持たずに手ぶらで行って公園に鍋とか並べて叩いていました。それが即興演奏に触れた最初です。他にもディジリデューとか変な楽器やガラクタとか何でもありで、その頃が一番良かったかもしれません。バンドというより、みんなで集まって音を出すユニットまたはワークショップみたいでしたね。

―ほかのバンドについて教えてください。
佐伯:非非非の非は北村誠(g.vo)さんがメインで、彼が作った曲をルイス稲毛さん(g)と僕が壊していく、という感じのバンドでした。北村さんは現在、七七舎(古書店)の店主でギターは弾いてないです。ルイス稲毛さんは現役バリバリですね。

Coco de キッコリーズは、キコリ(vo,g)、オータケコーハン(g)、林亨(b)、スッパマイクロパンチョップ(ds)、遠藤里美(sax)、佐伯武昇(perc)という編成のアヴァンポップ・バンドでした。今思うとかなり豪華な布陣のバンドで、吉祥寺スターパインズカフェとか青山の月見ル君想フとか広めの会場でもライヴをやらせて頂きました。

そうした活動は1997年~2007年ぐらいでしょうか・・・。その後子供が産まれたり、震災があったりして2009年辺りから10年程は全く楽器を触ってないです。その間はプログレ・バンドの来日公演や、友達のバンドのライヴには行ったりしていましたが、アンダーグラウンドなライヴハウスからは足が遠のいていました。

●日本人の利点を生かした演奏を

―活動再開はいつ頃ですか?そのきっかけは?
佐伯:今から7,8年前ですかね。その1年位前から生活が一段落したので、そろそろ音楽活動をやりたくなって、パーカッション・ソロで何かできないかと考えていたんです。自分が出したノイズとパーカッションでやってみようと。でも機材のセットもよくわからなくて試行錯誤でした。高いノルマを払ってライヴハウスに出演するのを躊躇したまま1年近く過ぎたころ、ピラネージというバンドがメンバー募集をしていて連絡してみました。リーダーの中嶋一郎さんは吉田達也さんのボーヤをやってた方でプログレ・バンドのマグマも好きだと言う事で意気投合しました。すぐライヴもできるというので加入しました。中嶋さんがドラム、マグマトロンの中川喜博さんがサックス、杉山大樹さんがギター。僕はパーカッションで、初めて廃材などを取り入れた現在のスタイルで演奏したのがこのバンドです。

―その頃までに影響を受けた音楽やミュージシャンは?
佐伯:プログレッシヴ・ロックは好きで、かなり影響を受けました。パーカッションで影響を受けたのはアイアート・モレイラ、エルメート・パスコアール等のブラジリアン・パーカッション、フリー/アヴァンギャルド系ではTony Oxley、Han Bennink、Paul Lovens、Paul Lytton。Jamie Muirもちろん大好きです。

今のスタイルのヒントになったのはトニー・オクスレーですかね。それから、アイアート・モレイラがインタビューで「日本人である利点をもっと生かさなきゃ」って言っていたのもなんかしらの影響があるのかもしれません。

―日本人である利点とは何でしょうか?
佐伯:どういう経緯でその発言をしたのか前後がわかりませんが、モレイラが言っていたのは「日本人なら和太鼓を叩け」ということ、つまり「ニューヨークなど海外で演奏するなら、日本人には和太鼓という素晴らしい楽器があるんだから、それを演奏しろ」という意味だった気がします。あまり意識していませんが、僕が和太鼓を使っているのはその影響があるかもしれません。

―たぶん自分にしかできない演奏をしろ、ということでしょうね。他人にはできないことをやれと。
佐伯:それは確実にありますね。その意味ではギターよりも自分にしっくりくるのがパーカッションかもしれません。

●実はまとめ役は苦手

―いろんなイベントの企画をしていますが、その動機は?
佐伯:現在、ありがたい事にやれる場所があるので企画しています。人の縁みたいな感じで・・・。あまり深くは考えてないです。

―イベントを企画して自分も演奏するのはかなりエネルギーがいると思いますが、その源は?
佐伯:エネルギーがいりますがブッキングだけしてしまえば後は火炎瓶テツ氏やちゃんやま氏が引っ張ってくれるので良い感じで役割分担が出来ています。僕はもともと人をまとめることは得意じゃないので、二人がいなかったらやってなかったと思います。

―火炎瓶テツさんとの出会いは?
佐伯:テツさんとは阿佐ヶ谷天で企画をやった時にお客さんで来ていて知り合いました。キャラが強くて華があるじゃないですか。国会議事堂前デモの中心人物としても知られる人です。怪獣墓場にヴォーカリストとして誘って以来ご一緒しています。

―「公民館運動」は80年代地下音楽シーンに同名イベントがありますが、もともと誰のアイデアで始めたのですか?
佐伯:80年代のイベントとは、たまたま名前が一緒だっただけであまり関係はないのですが、始めたきっかけはそれ程違わないと思います。ちゃんやま氏のアイデアで「公民館運動」と書いたフライヤーを作った後で、80年代にパフォーマーの霜田誠二さんが格安の公民館を利用して、地下アーティストの実験的表現の場として開催していた「公民館運動」のことを知ったのです。当時関わっていた韓国打楽器奏者の香村かをりさんからも話を聞きました。

―当時からやっているミュージシャン、竹田賢一さん、時岡秀雄さん、園田游さんなども出演されていますが、80年代地下音楽への興味は?
佐伯:勿論リスペクトしてます。A-Musik、グンジョーガクレヨン、コンポステラもよく聴いていました。

―「公民館運動」を含み即興・インプロ系のイベントが多いですが、この先目指したい方向は?
佐伯:特に即興、インプロ系にこだわってはないので、色んなジャンルの人達とご一緒したいです。

―日常生活と音楽・表現活動の関係は?
佐伯:国立公民館でのフリー・ライヴは日常生活の延長線にある気がします。「公民館運動」が始まるずっと前からちゃんやま氏やゴーレム佐藤さんや、亡くなった伊牟田耕児さんたちと練習やライヴをして来たので、自分のテリトリーの中にある気がします。
ライヴハウスでの演奏はあまり日常とは関係ないです。家主(オーナー)がいて、お客さんからお金を取るから、集客を考えたり、対バンはソロじゃなくてバンドのほうがお酒の注文が増えるからいいなとか。

●演奏中は何も考えていない

―佐伯さんにとってロックと即興の違いは?精神面を含めて。
佐伯:常にロックをやっている気持ちで演奏しているのであまり違いはないです。ムコウミズの頃と変わっていないですね。社会に対して物申す、という気持ちはあります。もちろん若い時ほど尖がってないですけど。ムコウミズでは「ぶっ殺す!」みたいな気持ちでやっていましたから(笑)。

―演奏中はどのようなことを考えているのでしょうか?
佐伯:演奏中は何も考えてないです。共演者もあまり意識していません。でも家で荷物をまとめる時に頭の中でシュミレーションしたりイメージ・トレーニングしたりはしています。共演者がどう来るかとか、こういう感じで来るだろうとか考えて、セッティングをどうするか、楽器はこのシンバルにしようとか、鈴をここに一個足そうとか考えます。たぶん合わないだろうな、と思いながら敢えてやってみようと和太鼓を持って行ったりすることもあります。
実際に演奏していると、何となくこういう感じの音を出したいなとイメージしていた展開になることがよくあります。やっぱりハマった、とか。そういう時は「ああ、キターーッ!」と嬉しくなります。

―意識が飛んで自分だけの世界に入ってしまうことはないんですね?
佐伯:たぶん一緒にやった人は「(佐伯は)ちゃんと聴いてくれているな」とわかってくれると思います。実際そう言われることもあります。ただし意識しすぎると相手に合わせるだけになって面白くないので、敢えて乗ったり乗らなかったり、というのはあります。

―演奏相手によってはうまくいかなかったりすることはありますか。
佐伯:ないわけではないですが、必ずある一定のレベルまでは行っていますね。デュオなら誰とでもうまくいく自信があります。3~4人になると、それぞれの音圧とかがあってわからなくなることもありますが。

―あそこまで暴れると、共演者や会場によっては嫌がられることもあると思いますが、そのような経験はこれまでありましたか?
佐伯:経験ありますよ。演奏前は気さくに喋ってくれていた人が目も合わしてくれなくなったり・・・。もちろん会場の機材を壊したり、人に怪我をさせたりしないように最大限の注意を払っています。

―肉体的にも相当過酷なパフォーマンスだと思いますが、辛いときはありませんか?それでも続ける理由は?
佐伯:ライヴが続く時とかは辛い時もありますねー。続ける理由は辞める理由もないからですかねぇ・・・。

―過激なパフォーマンスは、最初はショッキングですが、続けるうちにルーティーン化して、周りから望まれてやらざるを得ない場合もあると思います。その点についてどう思いますか?
佐伯:それはありますね。こういうのを求められている、と思うと疲れることもあります。いろんなグループをやっているので、ちゃんと進行があるようなバンドでやった時は、”暴れる佐伯”を期待していた対バンやお客さんは「あれ?なんか違う」と失望するかもしれませんね。でも、そういうんじゃないだろう、という気持ちはあります。

―思い切り裏切ってやるとか。何もしない、とか。
佐伯:いいですね(笑)。でもトロンボーン中心の演奏活動はしてみたいです。

―音楽活動・表現活動の目標はありますか?
佐伯:特にないですね。

―音楽や表現活動をしていない人生は想像できますか?そうだとすると何をしていたでしょう?
佐伯:全然想像できます(笑)。何をやっていたかはわかりませんが、たぶん以前のように友達のライヴを観に行ったりしているのではないでしょうか。結果的には音楽をやり始めたわけですが。

―佐伯さんのことだから、きっと辞めろと言われてもやり続ける気がします(笑)。これからもご活躍を楽しみにしています。ありがとうございました。

#2274 『ニュージャージーズ / テトラガマルス』『Nyujajizu / Tetragammarus』

剛田武

剛田 武 Takeshi Goda 1962年千葉県船橋市生まれ。東京大学文学部卒。サラリーマンの傍ら「地下ブロガー」として活動する。著書『地下音楽への招待』(ロフトブックス)。ブログ「A Challenge To Fate」、DJイベント「盤魔殿」主宰、即興アンビエントユニット「MOGRE MOGRU」&フリージャズバンド「Cannonball Explosion Ensemble」メンバー。

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