連載第23回 ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
ニコール・ミッチェル・インタビュー
interviewed by シスコ・ブラッドリー (Cisco Bradley)
(Jazz Right Now http://jazzrightnow.com/)
translated by 齊藤聡 (Akira Saito)
フルート奏者、作曲家、教育者のニコール・ミッチェル Nicole Mitchellは、21世紀の最も創造的なミュージシャンの一人である。彼女はブラック・アース・アンサンブル Black Earth Ensembleのバンドリーダーとして最もよく知られており、一連の革新的で先見性ある録音を通じて、最先端に身を置いてきた。最新作『Mandorla Awakening II』が2017年5月5日にリリースされたばかりである。このインタビューでは、シカゴ・シーンへの登場、オクテイヴィア・バトラー Octavia Butlerのインスピレーション、新作などについて語る。
2017年3月27日、Astro Diner (6th Avenue, NYC)にて
シスコ・ブラッドリー(CB): シーンにはじめて登場して以来、あなたにとって、シカゴはどんな場所だったのでしょうか。
ニコール・ミッチェル(NM): シカゴは私がアーティストとして育つ上で常に真ん中にあり続けてきました。いくつも理由があります。シカゴに来る前は、コミュニティとのつながりもなく、特に、アーティストへのサポートなんてまったく感じられませんでした。本当に、シカゴはとてもホリスティックに育つ環境を与えてくれました。私は、ようやくおかしな道から脱することができました。また、似たようなヴィジョンを持つアーティストをはじめて見つけることもできました。
私はニューヨーク州のシラキュース出身ですが、幼少時にカリフォルニア州のオレンジ郡に移住しました。そこは人種的な敵意を感じさせられる環境であり、さらに文化的な沙漠でもありました。私は若いうちにカリフォルニアを去り、オーバリン大学に入りました。ここでもいくつか良い経験をしたのですが、母親の出身地シカゴに来るということにこそ、個人的な意味がありました。
私がシカゴで育った時期は、子供としてのもっとも良い時期でした。十代の時に母親が亡くなってしまい、他の家族とつながり、母親が生きていたときの体験とつながりたいというような、ロマンチシズムを抱いていました。
だから、シカゴにおいて、本当に重要で活気に満ちたアーティストのコミュニティと一緒にいることが、非常に重要でした。人々とつながる最初の方法は、ストリートで演奏することでした。それで、AACM (Association for the Advancement of Creative Musicians)の多くのミュージシャンと出逢い、仲間になり、教えを得て、同世代の他のミュージシャンたちと共演するようになりました。
CB: シカゴに来る前に予備知識はあったのでしょうか。
NM: いやぜんぜん。実際には、子供としての前向きな経験のために行ったのです。その子供時代から、シカゴが文化的メッカのようなものだと感じました。多様性が受け入れられるような、大きな黒人のコミュニティだからです。だから、黒人であることによるステレオタイプな体験がない人にとっては、大した意味がありません。たとえば白人の大学のようなところにいると、あらゆる種類のプレッシャーやインパクトがあって、体験が歪んでしまうのですよ。しかし、シカゴのような大規模な黒人コミュニティーでは、それ以前には色々な理由で決してできなかった、まともな経験をすることができるのです。
CB: あなたはAACMのメンバーになり、そのあと総裁にもなりました。指導してくれた人や深い影響を与えてくれた人はいますか。
NM: それはもう。私はマイア Maiaと一緒の作業をはじめました。マイアはあまり知られていないのですが、いわばフィル・コーラン・スクール Phil Cohran Schoolから出てきた素晴らしい作曲家・多楽器奏者です。出逢ってすぐに意気投合し、共演し、グループを始めるためのアイデアやコンセプトを一緒に発展させました。
そんなわけで、私、マイア、シャンタ・ヌルラー Shanta Nurullahで、全員女性のアンサンブルSAMANAを結成しました(AACMでもはじめてでした)。シャンタと私はマイアによってAACMに入れてもらい、メンバーになったのです。私がシカゴに着いたのが1990年、SAMANAの活動開始が1992年、そしてAACMのメンバーになったのが1995年。
また、エド・ウィルカーソン Ed Wilkersonは本当に素晴らしい指導者でした。彼は私のもっとも好きな作曲家のひとりです。彼はいまなおシカゴで並外れたインプロヴィゼーションやパフォーマンスを行っています。8ボールド・ソウルズ 8 Bold Soulsを観れば、彼がデューク・エリントン Duke Ellingtonの系譜上にあることがよくわかると思います。
アーネスト・ドーキンス Ernest DawkinsがいまのAACMの総裁です。私は90年代後半に彼のラージアンサンブル、ライヴ・ザ・スピリット・バンド Live The Spirit bandで演奏していたことがあります。一緒に多くの仕事をしたデヴィッド・ボイキン David Boykinも在籍していました。デヴィッドは仲間のようなものですが、彼の音楽を演奏することで多くを学びました。彼は私のすぐ後にAACMメンバーになりました。
それからジョージ・ルイス George Lewis、アンソニー・ブラクストン Anthony Braxton、ワダダ・レオ・スミス Wadada Leo Smith、ロスコー・ミッチェル Roscoe Mitchell、エイブリーアイル・ラー Avreeayl Raのインパクトは本当に大きいものでした。ハミッド・ドレイク Hamid Drakeは兄のような存在で、多くの扉を開いてくれました。彼とはインディゴ・トリオ Indigo Trioで一緒にやりました。AACMメンバーであることの強みは、必ずしも個人的に合意できないものであっても、各々のアイデアを支え合うことです。だからこそ、美的にもコンセプトでもここまでの多様性があるのです。稀有なことだと思います。
CB: ブラック・アース・アンサンブル Black Earth Ensemble(BEE)はもっとも長く活動しているプロジェクトで、たいへんな成果を残していますね。あなたはそれをアフリカン・アメリカンの文化遺産によるものだと言っています。大昔から未来のヴィジョンまでを取り込み、スイング、ブルース、アヴァンギャルド・ジャズ、ビバップ、アフリカン・リズム、東側のモードと西側のクラシックなサウンド、信じられないくらい多くの要素が織り込まれた音楽です。その秘密や、この音楽が関わる文化遺産、アフロ・フューチャリズム、過去・現在・未来なんかについて話してもらえませんか。
NM: 信じられないことですが、BEEは2018年で活動20年を迎えるのですよ!本当に興奮しますね。私の最初のグループであり、最も長く続いているグループです。
プロジェクトがどのようになっても続けられるよう、柔軟でありたいと思っていました。それで、グループの大きさや構成も変わってきたのです。
しかしまた、重要なことは、バンドリーダーが女性であったり、グループ内の男女バランスが取れていたり、年齢層が広かったりといった「ジャズ」のグループはさほど多くないことです。BEEにおいて、レニー・ベイカー Renee Baker、トメカ・リード Tomeka Reid、ジョヴィア・アームストロング Jovia Armstrong、ウゴチ Ugochi、マンクウェ・ンドシ Mankwe Ndosiなど、イカした女性たちと一緒に仕事をするのは好きなことです。私にとっては大事なのです。
それからまた、BEEが、アートの観点から現代のアフリカン・アメリカンの文化に貢献していると思っています。私はサード・ワールド・プレスで13年間働きました。この国でもっとも古いアフリカン・アメリカンの出版社です。私はそこで入稿される原稿を読み、人びとがアプローチしうる方法として3種類のブラック・アートがあることを見出しました。
ひとつめは、とても大事なことを思い出させてくれることに焦点を当てる方法。私たちの歴史が、常に誰かによって書き換えられたり無視されたりしているからです。もし主流でないとみなされる歴史が語りなおされていないなら、思い出されることもないわけです。
それから、ブラック・アーティストの多くは、現在彼らが何を視ているのか、物事がどのようになっており、おそらく何が変えられるべきかを提示することに焦点を当てています。社会的な批評のようなものです。
3つ目は、数としては少ないですが、幻視者であり、物事がどうあり得て、どのように進みうるのかといったヴィジョンを与えようとするアーティストです。いまは少なくても、今後増えるでしょう。あとで振り返ってみれば最初は少なかったということは常にあることです。私はアーティストのアイデンティティとして、このグループで貢献したいと思っています。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ Art Ensemble of Chicagoやサン・ラ Sun Raはこの3つを同時に進めた人たちでした。過去から未来へというコンセプトです。
そしていま、私たちはアフロ・フューチャリズムというコンセプトに強力に焦点を当てています。この5-10年のことです。長いこと、そんなアイデアを持ったアーティストはいたのですが、いまでは、その活動に名前が付き、人びとが焦点を当てているということです。
CB: 素晴らしいリストですね。あなたの創造のプロセスについて話してもらえませんか。
NM: 音楽をするにあたって、直線的なアプローチや、逸話的な方法を取る人もいます。私はと言えば、多くの物事を取り込むことが好きです。私はこれを相的(spherical)なアプローチと呼んでいます。ひとつの道を突き進むのではなく、他の多くの側面から近づくやり方です。
でも、「ええと、方向性はあるのかな?スタイルはあるの?アプローチは?それともとりあえず全部やっているのかな?」なんて言われることが、いつもです。そんなわけで、私がやっていることを観る人たちに申し訳ない気持ちになったりもします。
CB: どう反応するのでしょう?
NM: 音楽は愉しいものなのに、どうして自分に制限を課す必要があるのか、と言いますね。限りない可能性は、創造に向けた私のマントラです。親しみやすいものを創造し、未知のものに橋渡しをするということです。なぜ自分に制限を?
CB: 前向きで、健康的で、アフリカン・アメリカンの文化的なイメージにも覚醒的なのですね。ずっとそうだったのでしょうか?
NM: 私はときどき異物を提示するためにディストピア的なテーマを扱います。でも常に自己決定と弾力性をもって音楽表現をしています。これが私にとって、実証する最善の方法です。
また、いまだに音楽にもたくさんの分断があります。私は、アーティストとして、文化間のコラボレーションが持つインパクトに気付いています。これまでに多くの異なる人々と、また異なるプロジェクトで仕事をしてはきました。ですが、たえず自分自身に挑戦し、新しい経験をして異なる人たちと仕事をすることでインスピレーションを得ることが大事なのです。私はアーティストとしてではなく、ああ、彼女は白人だけと演奏するのか、彼女は黒人だけと演奏するのか、たくさんの異なった人たちと演奏するのか、といったように見られるのかもしれません。
しかし、私にとって、黒人コミュニティに直接語り掛ける素材をカバーすることは大事です。それが、いまだに、経験者以外には意味を持たないことであっても。そして、私が焦点を当てて選んだプロジェクトにおいて一緒に仕事をするミュージシャンと、やりたいのです。私は、自分自身にとっても他の人にとっても幸せになるよう行うことで、それが包括的になるものだと考えています。意識が高く進歩的だと思ってはいても、多くの場合、その人にはたくさんの盲点があります。
CB: 解りますよ。いつもそのような状況を観ていますから。表現の問題に関する議論が、ときどき、なんてプリミティブなものなんだろうと思うことがあります。基本的なことが大事なのです。
NM: 有色人種や女性と決して仕事をしないのに、自分のことを平等主義だと思っている人たちについてはどう?
CB: あなたはSF作家のオクテイヴィア・バトラーとつながっていましたよね。いつオクテイヴィアの作品に出逢ったのでしょうか?
NM: 十代のとき。私は普通でない家庭で育ちました。両親はニューエイジ思想にとりつかれたアフリカン・アメリカンの小さいコミュニティに入っていました。瞑想もヨガもやっていました。父親は『スタートレック』の大ファンで、いつもUFOの話をしていました。母親は独学のアーティストでした。まるで他の惑星のようにいくつもの太陽がある風景画だとか、木星か何かに座って子供を抱きかかえた黒人女性の絵だとかを描いていました。それで、オクテイヴィア・バトラーの本も棚にあって、かなり若いときに見つけたのです。
2006年、シカゴ州立大学の黒人作家会議で、彼女と会う機会がありました。
CB: 亡くなる前ですね。
NM: はい。会うこもできたので、彼女に関するプロジェクトをやりたいと決めて、CMA (Chamber Music America)の「jazz commissioning project」の中でそれをやりました。
文字通り、私が提案書を投函した日に、彼女が亡くなりました。翌日それを知りました。だからこそ、プロジェクトを絶対に行うと決めました。それにしても、彼女の作品が人々にとってますます重要なものになってきています。素晴らしいことです。
『Mandorla Awakening II』(2017/5/5リリース)は、私自身によるSFの物語をもとにしているのですよ。
CB: 『Mandorla Awakening II』ではどのようなアイデアや物語を展開しているのでしょうか?
NM: おそらく、答えるのに長い時間を要する問いを投げかけています。「技術的に進んだ社会が自然と共生するとき、それはどのようにみえるだろうか?」
子供のときに観る映画や読む物語は、いつだって善と悪との二分法ですが、ある時点で、真実は必ずしもそのように綺麗に切り分けられるわけではないことに気付きます。『Mandorla Awakening II』はそのようなコントラストに体当たりしています。2つのいわゆる異種の物事の間で、何が重複するポジティブなものなのかを見出すように。
例えば、都市があり、国があります。地球に根ざした何千年も続いている文化や、環境や地球を破壊せず自然と調和したシステムがあります。そして、すべてにおいていわゆる技術があります。人々が数千年前よりもお互いを良く扱っていないとすれば、本当に進歩したと言えるのか?進歩とは本当に錯覚なのか?そして、真の進歩とはどのようなものか?
CB: ディープなレコードに聴こえます。素晴らしいですね。
NM: この音楽が人びとの助けになったり、人びとをインスパイアすると良いなと思います。たとえば、建築家に対して、何が環境に優しい建築物であり技術であるかと問う効果があったとしたら。必要なものが満たされているとしても、人間性よりも大きな物語のもとで関係が成立するような社会において、どうやったら、人同士のより良い交流を育てられるのでしょうか?
人間をひとつの生物として見れば、私たちは本当は自殺しているだけなのです。戦争においては、ほとんどそうなのかもしれませんが他者のものを欲して人を殺したり、あるいは宗教により人を殺したりしています。本当のところ単なる無差別殺人なのに。人類が自ら殺し合っているだけなのです。なぜ私たちはそうなのでしょうか。どうやったらそれを止められるのでしょう。だからこそ取り組んでいるのです。
私は共存 vs. 同化という考え方で、異なる音楽言語の間で対話をしたいと思っています。 だから、尺八の梅崎康二郎がいます。太鼓、ベース、三味線のタツ青木がいます。バックグラウンドにゴスペルを持つエイヴリー・ヤング Avery Youngが歌い、あるいはクラシックやブルースの素養を持つ者も。こういった人たちとどうすれば共存できるのでしょうか?
私は、作曲しすぎるよりも、その指示を減らし、グラフィックスコアなどを使うことによって、人が自分自身であろうとし、本物でありながらも、アイデアを共有することができるよう、十分なスペースを持たせることを試行しています。だから、それは大いなる実験です。しかし、アイデア以上のことはできるだろうと思っています。まだ始めたばかりです。
CB: マルチレコード・プロジェクト?
NM: たぶん、2作目は(最初の作品はまだ作業中でリリースしていません)。まったく異なるストーリーラインであり、身体表現もヴィデオも含まれるでしょう。映像はユリシーズ・ジェンキンス Ulysses Jenkinsが担当しています。私は音楽をリリースするだけですが、ライヴをやるときには、ヴィデオも使います。
CB: ヴィデオとどのようにコミュニケートするのでしょうか?
NM: 私はヴィデオに魅せられています。これを使うヴィジョンという意味では、最初の仕事です。少し粗っぽくはあるのですが、とても愉しんでいます。ユリシーズ・ジェンキンスがほとんどの映像を作り、私がフィルム・ディレクターです。また私は編集もすべてやりたいようにやっています。
CB: 身体表現やダンサーなどは使うのでしょうか?
NM: はい。あまり記録されていないのですが、最初の『Mandorla Awakening』にはダンスも入っていたのですよ。パフォーマンスのときだけでしたけれども。
CB: ウィリアム・パーカー William Parkerがセシル・テイラー Cecil Taylorを聴いたとき、心の中でダンサーを幻視したのだと言っていました。私があなたの音楽をはじめて聴いたときも同じ印象を持ったのですよ。身体表現が内包されているのだと感じたのです。
BEEで最近やってきたことはどんなことでしょうか?
NM: 2017年4月8日に、シカゴで公演しました。詩人グウェンドリン・ブルックス Gwendolyn Brooksへのトリビュートで、生誕百年を記念したのです。彼女はイリノイ州の名誉詩人でもあり、シカゴでは多くのイヴェントが開かれました。私たちがやったのは、彼女の詩をスポークン・ワードとしてフィーチャーする新作でした。
そして、75歳になったばかりの詩人ハキ・マドフブティ Haki Madhubutiと、別のプロジェクトを行っています。彼がサード・ワールド・プレスを始めてから50年が経とうとしています。BEEの音楽を通じて、解放の物語が彼の詩をまた別の聴衆にもたらします。
CB: 既に発表したのでしょうか?
NM: はい、シカゴで。2017年9月にはリリースされる予定です。
CB: あなたの仕事は詩とどのように結び付けられているのでしょうか?ある種の創造的なプロセスを踏むのでしょうか?
NM: うーん、私はミュージシャンであったよりも長く詩を読んできたと思っています。『Arcana』の今度の号に詩を書いて、本当に興奮しているのですよ。私にとって、書いたものを発表していくことは、アーティストとしての新しい章のようなものだと感じています。詩を包含することは私にとっては自然なことです。それが他の人の詩であってもね。
特に作曲しているとき、私の音楽は物語から始まります。あなたが私の音楽にダンスを見出すのも、それが理由ではないでしょうか。明示されてはいなくても、ふつうは歌の背後には物語があるものですから。多くの人にとって、そのような作曲のやり方はとても古くて時代遅れだということはわかりますが、これが私のやり方です。今も好きなんです。
CB: ミュージシャンであったよりも長い間、詩人だったのですね。詩を書くことはどれくらい?
NM: 11歳のときから書いていたと思います。まったく発表などしていませんけれど。
アンソニー・ブラクストン Anthony Braxtonのボックスセット(『9 Compositions (Iridium) 2006』)のライナーノートには、私が詩を書いたのですよ。それから、昨年(2016年)にBuddy’s Knifeから出た本『Giving Birth To Sound: Women In Creative Music』にも寄稿しました。
他にはないと思います。つまり、300頁の本を出したことなどないです。
CB: 今後はどうでしょうか?
NM: わかりません。もっとやりたくなっているかもしれませんね。今まで書いたことはありますが、実際のところ訓練を受けた書き手ではないですから、自分には批判的でなければ。それに、文体への反発だってありますし。
CB: ミュージシャンとして、訓練や教育はどのようなものだったのでしょうか。
NM: うーん、実はクラシックのフルートを勉強しました。最初はそれに焦点を当てていたのです。
CB: オーバリン大学では?
NM: 最初はカリフォルニア大学サンディエゴ校に入り、それからオーバリン大学に移りました。まったくジャズは勉強しなかった、と思います。オーバリン大学でジャズを専攻するにはしました。しかし、オーバリン大学のジャズ課程で私が唯一の女性だったから、オーバリン大学を去ったのです。課程の最初の年、みんな私をどうすればよいのかわかりませんでした。教師には、「あなたはどこに行ってもジャズ・フルートの演奏をものにできないよ」と毎週のように言われて、なぜ授業料を払ってまでこんなことをしているのだろうと疑問を抱きました。それでやめたのです。
CB: 正解でしたね。
NM: 私の訓練はまっすぐな道ではなかったと言うべきでしょうか?私がやってきたことは何ひとつまっすぐではなかった。しかし、良い教師が欲しかったですよ。私はシカゴの大学で、作曲をジョン・イートン John Eatonに学びました。彼は微分音を使うオペラの作曲家で、ヨーロッパではエリック・ドルフィー Eric Dolphyと何度も活動をともにしたことがあります。それだけに、私たちはうまが合いました。
私はシカゴ大学に研究のため所属しました。一般の学生ではありませんでしたが、いくつかの授業を取ることが許可されたのです。そこで私はイートンのもとで勉強し、オーケストラで演奏し、協奏曲の大会で優勝しました。私はモーツァルトの協奏曲をオーケストラで演奏しました。ジョフリー・バレエ・オーケストラ Joffrey Ballet Orchestraとシカゴ・シンフォニエッタ Chicago Sinfoniettaで5年間ピッコロを演奏して、そのあとにカリフォルニアに移りました。
ジェームス・ニュートン James Newtonにも教わりました。インプロヴァイザーとしてのインパクトは大きかったですよ。アーティストの系譜としては直接つながっています。
CB: ジェームス・ニュートンに教わったことをもっと具体的に教えてくださいませんか?
NM: 多くのことがためになりました。またいつも一緒にインプロヴィゼーションをしようと時間を作ってくれました。このように、マスターと一緒に仕事をして口頭で伝承されることは大事だと思います。多くの人は学位があるから大学に行くのでしょうけれども、いまも口頭という伝統があって、それがジャズの重要な側面であり続けていると思うのです。
シカゴのヴェルヴェット・ラウンジでは、フレッド・アンダーソン Fred Andersonに影響を受けました。レッスンは受けていないのですが、彼がリハーサルや練習するところは聴きました。彼は音楽についてたくさん話してくれました。午後にやってきて、座って、音源をかけたり、その解説をしてくれたり、チャーリー・パーカー Charlie Parkerと彼のソロについて話してくれたり、まあそんな感じでしたよ。だから周縁で起きていることはたくさんあるのです。
CB: そうしたら、ソニック・プロダクションズ Sonic Projectionsについて話しましょう。ひとつはフレッドへのトリビュートですね。
NM: 話をつないでくれてありがとう。意外といいでしょう。
CB: ええ!グループのコンセプトや、クレイグ・テイボーン Craig Taborn、チャド・テイラー Chad Taylor、デヴィッド・ボイキン David Boykinを起用した理由、それからフレッドへの想いについて聴きたいのです。
NM: 私はこのグループも音楽も信頼しています。でも、どこにもツアーしていないのですよ。公演したのは、ヴィジョン・フェスティヴァルにおける『The Secret Escapades of Velvet Anderson』と、シカゴ・ジャズ・フェスにおける『Emerald Hills』だけ。だからそれぞれの記録は、文字通り、1回のパフォーマンスだけ。理由は自分でもはっきりしないのだけれど、たぶんそれは音楽の強さゆえだと思います。
CB: その通りですね。
NM: それに、ミュージシャンたちが本当に素晴らしい。だから何が起きたのかもよくわからない。
このグループはニューヨークとシカゴとのオーバーラップみたいなもので、本当に好きなんですよ。チャドはシカゴ、クレイグは実施には中西部。その時にはチャドもクレイグもニューヨークにいて、デヴィッドと私はシカゴにいて、そんなことが本当にエキサイティングでした。エキサイティングな化学変化のようなものかな。
ベーシストを入れないことも大きな挑戦で、そのための作曲には興奮しました。それでなおさら、クレイグのいろいろな素晴らしいやり方での魅力的な演奏を押し出すことになりました。作曲する時間は本当に良いものでした。『Mandorla Awakening』ではあまり作曲で縛らない一方、こっちでは、メンバーが対応できる力量を持っていることがわかっていたこともあって、かなり色々な方法で作曲しました。何を書いても、どんなに難曲であっても、彼らは演奏できたのです。
CB: もっと話したいですね。今度また別のインタビューをしましょう。ありがとう。
(文中敬称略)
【翻訳】齊藤聡 Akira Saito
環境・エネルギー問題と海外事業のコンサルタント。著書に『新しい排出権』など。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong