#1148 『Chris Pitsiokos, Weasel Walter, Ron Anderson / MAXIMALISM』
text by 剛田武 Takeshi Goda
Eleatic Recsords ELEA001 (2013)
Chris Pitsiokos (as, syn)
Weasel Walter (ds, perc)
Ron Anderson (g)
1 Untitled
2 Untitled
3 Untitled
4 Untitled
5 Untitled
6 Untitled
7 Untitled
Tracks 1,2, and 7 were recorded May 21, 2013 and mixed by Chris Pitsiokos
Tracks 3-6 are recordings made by Weasel Walter of a live performance at the Freedom Garden on January 19, 2013
All tracks mastered by Weasel Walter
活性化するニューヨーク即興シーンから登場したハードコア・ジャズ遊星群
今更ながら告白したい。筆者はジャズの落ちこぼれ(DROP OUT)である。大学入学と同時にジャズ研(軽音研)に入ったが、フリージャズ云々を口にする前にチャーリー・パーカーを聴けと説教され、さらに飲み会で一発芸を強要される体育会気質に嫌気がさして早々に退部した。
それ以来、ジャズ理論など関係なく、我流で好き勝手にサックスを吹き続けた。心の中に蟠(わだかま)る出口のない感情を解放したかったのだ。演奏を辞めた今も、他人に迎合せずに自分自身の音を容赦なく突きつける演奏に心を惹かれる。筆者が好きな音楽家・表現者は皆、独立独歩である。
本作は前号でレビューした『PEOPLE』のメガネ女子ギタリスト、Mary Halvorson(メアリー・ハルヴァーソン)と変態ドラマー、Kevin Shea(ケヴィン・シェア)の関連動画をYouTubeでググっていて「発見」した、ニューヨークの最先端アーティストによる最高に独立独歩な作品である。
ドラマーのWeasel Walter(ウィーゼル・ウォルター)は、自主レーベル「ugEXPLODE」を主宰する、現代ニューヨーク即興シーンの中心的存在。Ron Anderson(ロン・アンダーソン)は80年代から前衛音楽シーンで活躍するマルチ弦楽器奏者で、ジョン・ゾーンのTzadikからCDをリリースしたアヴァン・ロック・バンド「PAK」のリーダーでもある。
しかし本作の主人公は、この前衛音楽のベテランふたりと真っ向から対峙する若きサックス奏者Chris Pitsiokos(クリス・ピッツィオコス)に違いない。1990年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学でジョージ・ルイスとアーサー・カンペラに師事したクリスは、2012年にブルックリンに移り本格的に演奏活動を始めた。2012年にウィーゼル・ウォルターとのデュオLP『Unplanned Obsolescence』をugEXPLODEから100枚限定でリリース。続いて2013年に自己のレーベル「Eleatic Records」の第一弾としてリリースしたのが本作である。
収められた7つのトラックはすべて一発勝負の即興演奏。2013年1月と5月にブルックリンのライヴハウスで録音された。切れ味鋭いサックス、ギター、ドラムが三つ巴で絡み合うオープニングから、20分に亘る長尺のエンディングまで、息つく間を与えない鮮烈な演奏が繰り広げられる。サックスのノンブレス奏法による高速タンギングと、地面を掘るドリルのようなドラムの連打、鋭角的なギター・ノイズの波状攻撃は、途切れることなくスリリングな刺激を与えてくれる。脳内にドーパミンが分泌され、神経シナプスが活性化し、瞳孔が開きっ放しになるような覚醒感は、21世紀に入って以来筆者が体験したどんな音楽よりもエキサイティング。激しさだけではなく、隙間を活かした静寂の瞬間(とき)も訪れるので飽きることがない。随所でクリスが弾くシンセサイザーのストレンジな電子音が、単なるアコースティック演奏に留まらない新感覚の聴取体験をもたらす。
一聴して最初に頭に浮かんだのは、INCUSレーベルの第一弾、Evan Parker / Derek Bailey / Han Bennink『The Topography Of The Lungs』(1970)だった。ヨーロッパ即興音楽の誕生を告げたこの記念碑的作品は、筆者が即興音楽で最も好きな作品のひとつであり、楽器編成も同じなので、想起されて当然であろう。しかし、『Maximalism(最大主義)』と題された本作は、無駄を削ぎ落として演奏行為の骨格を露にした43年前の作品とは、含有する情報量に圧倒的な違いがある。キレキレの音像に滲み出る芳醇な音楽要素が、本作を紛れもなく21世紀音楽の先鋭たらしめている。
現代社会に生きる限り避けて通れない、例えばインターネットを往来する膨大な情報を、捨て去るのではなく、逆に最大限に取り込み、自らの血肉と化して放出=表現する。それこそが、21世紀の芸術家・表現者の在り方ではなかろうか。Twitterのトレンドのように、次々表情が入れ替わる三者の丁々発止の交感には、最大主義を標榜する現代の即興者の理想形を見る思いがする。
クリス・ピッツィオコスの次作は自作機器による電子雑音演奏で知られるエレクトロニクス奏者、Philip White(フィリップ・ホワイト)とのデュオ・アルバム。若干24歳で歩み始めた独立独歩の道は、今度はノイズに限りなく接近していく。その一端は今年5月ブルックリンで開催されたノイズ/実験音楽フェスティバル「Ende Tyme Festival」でのライヴ動画で確認できる。
https://www.youtube.com/watch?v=Mbsv6EHwDak
メアリー・ハルヴァーソン、ケヴィン・シェア、ウィーゼル・ウォルター、そして遊星の如く現れたクリス・ピッツィオコスを始め、多数の個性的な演奏家が実験的・画期的な音楽を産み出す現代ニューヨーク。この状況を「ジャズ」と呼ぶことには、落ちこぼれの筆者としては抵抗がない訳ではないが、伝統的な地下(Underground)・前衛(Avantgarde)・極端(Extreme Music)音楽の精神を確実に受け継ぐ現代ニューヨーク・シーンを敢て「ハードコア・ジャズ(Hardcore Jazz)」と呼んでみたい。ただし、落ちこぼれの筆者の言葉だから、たぶんに「非ジャズ(No Jazz)」的な意味合いがある旨ご留意いただきたい。つまり、70年代末のニューヨークの先鋭ロック・シーンを切り取ったブライアン・イーノのプロデュースによる名コンピレーション・アルバム『No New York』(1978)に似た状況が、今のニューヨークにあると言いたい訳である。(剛田武 2014年11月16日記)