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特集『私のジャズ事始』

レナード・バーンスタイン「ラプソディ・イン・ブルー」 稲岡邦彌

酔った時に親父が歌う軍歌以外、音楽にほとんど無縁な家庭だった(今でもその軍歌のいくつかはそらんじている)。幼稚園生の頃、伊丹の生家の応接間に身の丈を越す大きな電蓄(電気蓄音器)があり、近くの駐屯地から米兵がカーキ色の軍袋にチョコーレトやキャンディを詰め込んでやってきては、親父のレコード(多分、SPだったと思う。床に鉄の針がいくつも転がっていた)を聴きながら騒いでいたのをかすかに記憶している。東京に都落ちしてからはラジオが唯一のメディアで、ラジオから流れてくるアメリカのポップスを歌謡曲や演歌などと分け隔てなく耳にしていた。初めて積極的に耳を傾けたのは高校時代のエルヴィス・プレスリー。受験を控え鬱々とした気分をエルヴィスのロックンロールで晴らしていたのだろう。こっそり『ブルーハワイ』を観に行き、底抜けの明るさに憧れた。今年の春、NYからの帰国便でエルヴィスの伝記映画を観て当時をとても懐かしく思い出した。
文明開花は大学の入学祝いに買い与えられた東芝のホームステレオだった。当時、ホームステレオは調度品(家具)のひとつで、長さ1.5m位の筐体に4本足が付いていた。筐体の中央にはレコードプレイヤーとチューナー、アンプが3段重ねに、左右にフルレンジのスピーカーがひとつずつ埋め込まれていた。このホームステレオでNHK-FMと東海FM(当時、及川公生さんたちが電波を出していたと思う。後のTOKYO-FM) の試験放送をよく聴いた。NHK-FMで「アメリカのクラシック音楽」の特集があり、その中で流れた<ラプソディ・イン・ブルー>に耳が惹き付けられた。姉にせがんでバーンスタインの『ラプソディ・イン・ブルー』のレコードを買ってもらい繰り返し聴いた(そのレコードは今でも僕の秘蔵盤の1枚だ)。耳が反応したのはこの曲が持つブルースのフィーリングだったと思う。『スイングジャーナル』誌を定期購読し、ジャズ喫茶に通い出した。地元・吉祥寺の「ファンキー」や新宿の「ヴィレッジ・ヴァンガード」、渋谷の「オスカー」、早稲田界隈のジャズ喫茶。ナマでは新宿・歌舞伎町の『タロー』で日野皓正やジョージ大塚。少し経って新宿・厚生年金会館地下の小ホールで八木正生や渡辺貞夫のマンスリー・リサイタル。
ジャズに関して僕はかなりの晩稲(おくて)だったと思う。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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