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特集『私のジャズ事始』

「ナベサダとジャズ」とボクとラジオ  細川周平

ジャズを聴き始めたのは1969年、中3の時だった。皆はテレビが共通の話題で、グループサウンズをジェスチャーつきで真似るのがお楽しみだった。ボクは少し前から洋楽ポップスをラジオで聴いていた。一人だけクラスメートと好みが合い、知識を交換した。ジャズもラジオで覚えたが、高校生になるまで仲間はいなかった。

中学時代、ラジオは兄姉のいる連中が聴いていて、ちょっとおませな持ち物だった。買ってもらったトランジスタ・ラジオは小型でひどい音質だったが、自分の部屋で聞いて年上仲間に入った気分で満足を得ていた。夜7、8時台は高校生・大学生をターゲットにスタジオ公開番組を組んでいて、カードを読みリクエストで順位をつけ新曲旧曲をかけていた。チューニングにはコツが必要だが、テレビとぴったり暮らす家族とは別の、自分だけの世界をノイズ混じりの音で作っていた。思春期の背伸び志向だったのかもしれない。

ニッポン放送には午後11時40分だったか、少し聴取者平均年齢が上がる時間帯に「ナベサダとジャズ」という毎日の番組が、渡辺貞夫カルテットのスタジオかホールの特別録音を流していた。レコードではない。それで午前0時を迎えるのが高校受験生の日課だった。野球放送の都合で遅れることもあったはずだ。

増尾好秋(ギター)、鈴木良夫(ベース)、渡辺文雄(ドラムス)のカルテットで、時にゲストが加わったはずだが、演奏は何も覚えていない。ただご当人のアルトがソロで引っ張るビッグバンドによるテーマ曲だけを鮮烈に覚えている。「資生堂提供 ナベサダとジャズ!」と最初にコールが入ったはずだ。今なら「待ってました!」の声をかけたくなる。ソウル風のクロージングは思い出すだけでグッとくる。今にして思えば、テンプテーションズやシュプリームスをその前の時間帯で聴いて好んでいたのと対応しているのだが、当時はそんなこと知るはずもない。

50代にさしかかるころまでは、新しい音楽仲間が次々現われ、そのなかにはジャズ好きも含まれた。親しくなるとよく「事始」の話題で盛り上がった。アーティストであれスタイルや年代であれ、レーベルや楽器や都市や国その他何であれ、今共通の興味を持つ以前はどうしていたのか、「楽暦」を知ろうというのだ。教科書通りの大物と名盤、それにところどころ貴重盤とライブがボクのジャズ暦には書いてあり、共通点を発見すると会話が弾んだ。このごろは社交が固定され、そんな話もしなくなった。若い連中には爺くさかろうと遠慮する。ジャズの話題を好む者もそんなにいない。

JT誌よりこの話題が振られなければ、番組を思い出すこともなかったかもしれない。番組よりもラジオ事始の日々が蘇ってきた。高校時代にはラジオとレコードが主要音源となった。ラジオ・デイズの始まりは別の面からすれば、テレビ離れの始まりだった。国民的ドラマもスポーツも流行歌もニュースもタレントもCMも、ほとんど知らずにこれまで来てしまった。

大学受験の時代、1972年、民放FMが始まるや土曜深夜「渡辺貞夫 マイ・ディア・ライフ」が始まった。テーマ曲は「ナベサダとジャズ」とは打って変わって、電気楽器主流のおだやかなサウンドで、ソプラニーノで耳をマッサージする感じだった。少し前に人気があった「パストラル」のようで、思えば大学生の音楽環境が多様化し、ジャズ仲間の居場所が限定されていく始まりでもあった。それまでジャズと呼んでいたものは各種調味料のひとつになり、番組はその試食の場だった。その一部はエアチェックしていた。50年後の後知恵だが、ふたつの番組はいろいろな意味で対照的だったと思う。

AMでバラエティ番組の後に毎日ジャズが自前の録音で聴けた時代があった。この文章を書きながら、ノイズ混じりのテーマ曲を何度も頭のなかでリプレイしていた。アルバム再録はないそうで惜しいことだ。

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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