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特集『私のジャズ事始』

ネグリジェサロンでラッパを吹く 田村夏樹

高校3年の時、中学のブラスバンド部の先輩と京都でばったり会った。僕は音大を受験しようかと思っていて、京都までレッスンに行ってたときだ。「よかったら一度店に吹きに来いよ」と言われ、数日後早速行ってみた。歌舞伎の南座の近くの繁華街。夜の街で高校生にはなかなか刺激たっぷり。店でバンドの人達と会う。先輩はテナーサックス(ブラバンではチューバだった)を吹いていて、ギター、ピアノ、ドラムという編成だった。控え室で曲の説明をしてもらう。ジャズのスタンダードだった。譜面は吹けるがコードというものが全く分からない。一つずつ教えてもらってやるのだが、なんか変。みんながそのうち慣れるよと言ってくれる。その頃バンドが入ってる店では、1セット目が自分たちの好きな音楽(大体ジャズ)、2セット目がジャズやラテン、3セット目がポピュラーや映画音楽、4セット目が歌謡曲等って感じが主流だったと思う。毎晩楽しくラッパを吹いてお金まで貰える!こんないい事はないと思い音大受験はすぐにやめた。

ネグリジェサロンというその店は言葉通りお姉さんたちが全員ネグリジェを着ている。しかし怪しい雰囲気は全く無く、明るくあっけらかんな感じだった。いわゆるキャバレーって感じ。そこが僕がジャズをやり始めた場所であり、なかなか話の種になる良い場所で始めたなと思う。そういえば一度、ステージで演奏していたら、高校のクラスの担任が客で入ってきたことがあった。思わず控室に引っ込んで大人しくしていたが、考えたら僕は仕事でやってるわけで、ネグリジェサロンに飲みに来たと言っても相手も大人なんだし、お互い大手を振って挨拶すれば良かったわけだ。

ちなみに現在その辺りは全く様変わりしていて昼の街になっていた。なんとなく残念。


 

田村夏樹 Natsuki Tamura
トランペッター、コンポーザー、アレンジャー

滋賀県生まれ。高校卒業後上京。スマイリー小原とスカイライナーズ、今城嘉信とザ・コンソレーション、宮間利之とニューハード・オーケストラ等で演奏。その後フリーのミュージシャンとしてアイドル歌手のツアーバンド、テレビ、スタジオ等で活動。1986年、渡米。ボストンのバークリー音学院に入学。1987年、帰国。自己のバンドで活動。1993年、再び渡米。ボストンのニューイングランド音学院に入学。NYに移り活動。1997年帰国。板橋文夫、金井英人、沖至等のバンドで演奏。日本、欧米を中心に自己のバンド「Gato Libre」や薩摩琵琶の与之乃との「motsure」、また藤井郷子のバンド等で活動。海外のフェスティバルにも出演多数。CDリリースも多数。

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