映画『ケルン ’75』 by ポール・レイノルズ
One Two Films / Extreme Emotions / Gretchenfilm / MMC Studios Köln GmbH
DIrector: Ido Fluk 2025
This article titled Köln 75 by Paul Reynolds was originally published by All About Jazz on October 16, 2025
and is reprinted in Japanese as per the mutual agreement between All About Jazz and Jazz Tokyo.
https://www.allaboutjazz.com/koln-75-keith-jarrett-vera-brandes-film-review
『ケルン ’75』ポール・レイノルズ
『ケルン ’75』は、キース・ジャレットによる1975年の伝説的なコンサートを記録したドキュメンタリーではなく、その公演を企画した若い女性の体験をもとに、コンサートに至るまでの過程を描いた物語映画である。
2025年11月は、キース・ジャレットのライヴ録音『ザ・ケルン・コンサート』(ECMレコード/1975年)のリリース50周年にあたる。この作品は、ジャズ史上で最も売れたソロ・アルバムであり、ピアノ・アルバムとしても空前の成功を収めた名盤だ。その節目を映画というかたちで祝うように、今年10月、アメリカ各地の劇場で映画『ケルン’75』が公開された。本作はジャレットの伝説的なステージを記録したドキュメンタリーではなく、その公演を実現させた若い女性の視点から、あの夜に至るまでの過程を描いた物語映画だ。作品は、観客の予想を裏切り、そして果敢にリスクを取っている——まるで1975年1月24日、ケルン・オペラハウスの舞台上でジャレット自身がそうしたように。
『ザ・ケルン・コンサート』は、幅広い層のリスナーに響き、驚異的な400万枚のセールスを記録した。それは、従来のジャズ・ピアノ・ソロとはまったく異なるアプローチによる演奏だった。ジャレット以前、そして彼以後もしばらくの間、ソロ・ジャズ・コンサートといえば、既成の曲を即興的に展開するか、あるいは完全即興で、いかにも「自由即興」的な響きを持つ演奏が主流だった。たとえば、アヴァンギャルド・ピアノの巨匠セシル・テイラーやその後継者たちのように。
だが、ジャレットは『ケルン・コンサート』で、そしてその後の数多くのソロ・コンサートで、まったく新しい地平を切り開いた。彼は即興の中から、一つの大きな作品として流れ続ける音楽を生み出し、それがあたかも作曲された楽曲のように聴こえるほどの構築美を持っていた。ケルンでの演奏は、一般的なフリー・インプロヴィゼーションとは対照的に、旋律的で、魂に触れ、どこかスピリチュアルな響きをたたえていた。そしてその録音が発売されると、その音楽の力がジャンルを越えて広がり、それまでジャズのアルバムをほとんど——あるいはまったく——持っていなかった多くの人々をも魅了したのである。
もし『ザ・ケルン・コンサート』をめぐるアニバーサリー映画を想像するなら、多くの人はコンサートそのもの、あるいはアルバムへと至るキース・ジャレットの音楽的軌跡に焦点を当てたドキュメンタリーを思い浮かべるだろう。
ところが『ケルン’75』の物語は、そうした音楽的テーマとはほとんど関係がない。この映画はいわゆるドキュメンタリーではなく、歴史的背景を説明するいくつかの挿話的映像を除けば(その中のひとつでは、「ジャレットがジャズで完全即興のソロ演奏を最初に行った」という誤った印象を与えてしまっている)、基本的にはフィクションである。
意外なことに、『ケルン’75』は、コンサート実現の裏側を描いた物語映画だ。実在した若き女性プロデューサーの体験をもとにしたフィクションとして構成されている。監督・脚本を手がけたイド・フルックは、その焦点を映画冒頭で明確に示している。それは、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を描く際に必要だった「足場づくり」の工程を紹介する挿話である。映像には礼拝堂の内部が映し出され、ナレーションが語る——『ケルン’75』は、ミケランジェロの物語でも、『ザ・ケルン・コンサート』の物語でもない。
「これは、“足場”の物語なのだ」と。
その“足場”を築いたのが、ヴェラ・ブランドス。聡明で大胆なティーンエイジャーの「ジャズ・バニー」(作中で登場するケルンの三流タブロイド紙が、彼女のグラビア写真に添えた言葉)だ。まだ学生の身でありながら、彼女は瞬く間にコンサート・プロモーターとして頭角を現し、ラルフ・タウナーら国際的なアーティストをヨーロッパに招聘するまでになる。そして1974年、ベルリン・ジャズ・デイズを訪れた彼女は、初めてジャレットのソロ・パフォーマンスに出会うことになる——それが、すべての始まりだった。
ベルリンでのその演奏シーンは、ジャレット役を演じるジョン・マガロの、表情豊かで情熱的なピアノ演奏の映像と、感動に涙ぐむヴェラ(マラ・エムデ)の姿とが交互に映し出される。それは、映画の中でも特に繊細で心に残る場面だ。圧巻の演奏シーンの中に、ほんの一瞬、若い観客の純粋な感動が滲む——そんなやわらかな瞬間である。
エムデは、ヴェラ・ブランドスを「勇敢で自信に満ちた若者」として演じながらも、同時に「不安に怯える少女」の側面も繊細に表現している。実際、ブランドス本人も All About Jazz のインタビューで、「彼女(=自分)は勇気があり自信もあったけれど、同時にとても怖かった」と語っている。エムデの演技は、そうした複雑な内面をユーモアとチャーミングさをもって体現しているのだ。
物語の中心は、公演当日へと向かう怒涛の準備過程にある。ブランドスは、オペラハウスを押さえるための多額の資金調達から始まり、17歳の少女が1,300席の会場でコンサートを本当に成功させられるのかという周囲の半信半疑な視線まで、次々と立ちはだかる困難に直面する。それでも彼女は、情熱と行動力だけを武器に、すべてを突破していく。
そして、開演まで残りわずかというところで、物語はジャレットとプロデューサーのマンフレート・アイヒャー(アレクサンダー・シェーア)へと視点を移す。ケルンへ向かう彼らの道のりにも、また別の障害が待ち構えている。ジャレットの体調不良、そして演奏そのものへの強い懐疑と不安——それらが、物語をいっそう緊迫したものにしていく。
もしこの映画がもっと安易で、メロドラマ的な作りだったなら、キース・ジャレットを“悪役”として描くことも容易だっただろう。つまり、ヴェラ・ブランドスたちが立ち向かう敵として、気難しく横暴な天才ピアニストを設定するような物語だ。だが、イド・フルック監督の繊細な脚本と演出、そしてジョン・マガロによる立体的な演技によって、ジャレットは一時的に苦悩を抱えた人物でありながらも、どこか共感を呼ぶ人間として描かれている。
物語の中で最初にその“人間像”に光を当てるのが、マイケル・ワッツというキャラクターだ。彼は、TVドラマ『セヴァランス』でも知られるマイケル・チャーナスが好演する、少しくたびれた風貌のジャズ・ジャーナリスト。彼がジャレットに投げかける質問は、観客が抱く疑問そのものでもある——なぜ彼はこれほど繊細で、そして何に苦しんでいるのか?
ワッツは、気難しく口を閉ざすジャレットの本音を少しずつ引き出しながら、同時にプロデューサーのマンフレート・アイヒャーからも興味深い証言を聞き出す。それは、観客の咳やわずかな物音にさえ神経を尖らせる、ジャレット特有の“苛立ち”についてだ。アイヒャーはこう語る。「彼があのレベルの演奏に到達するには、極度の集中とリラックスが同時に必要なんです。周囲のあらゆる音が音楽を形づくる。カメラのシャッター音ひとつが、まるで頭をバットで殴られたように感じられるんですよ。」
コンサートへ向かう途中のシーンの数々は、やがてケルン・オペラハウスで起こる“ピアノ騒動”の伏線となり、そして最終的には、ブランドスと非協力的なジャレットとの間に繰り広げられる、息をのむような二度の対決へとつながっていく。ここでのマラ・エムデの演技は、勇敢さと恐れがないまぜになった緊張感に満ちている。一方、ジョン・マガロ演じるジャレットは、苦悩と逡巡の極みに立たされ、決断を迫られる姿を痛切に見せる。観客は結末を知っている——あの夜、奇跡が起きたことを——それでも、この場面の緊迫感と心理的な駆け引きは圧倒的だ。
映画の終盤、取材で“あの伝説のアルバム”の遺産について問われたヴェラ・ブランドスは、こう語る「『ザ・ケルン・コンサート』がなければ、“ニューエイジ・ミュージック”は生まれていなかったと思うわ」と。しかしその直後、彼女は苦笑いを浮かべながら付け加える。「もっとも、そのジャンルが“音楽通”たちからどんな扱いを受けたかは、ご存じの通りだけどね。」彼女は続けて、『ザ・ケルン・コンサート』の成功の後に、ジョージ・ウィンストンのツアーをプロモートしたことを振り返る。だが、そのとき耳にしたのは「ウィンストンは二流のキース・ジャレットにすぎない」という、冷ややかな評だった。ブランドスの言葉には、時代を超えて響くほろ苦さと、あの夜から続く音楽の余韻が滲んでいる。
実際、ケルンでの1時間にわたるジャレットの即興演奏は、その穏やかさと美しさゆえに、一部の批評家から「本物のジャズではない」と切り捨てられた。彼らの言い分にも一理ある。ジャレットのソロ作品群は、当時も、そして今なお、どんな芸術的カテゴリーにもすっきりと収まらない。映画の中でヴェラ・ブランドスが懐疑的なラジオDJに語るセリフが、それを端的に表している。「これはジャズじゃない。どんなジャンルでもないの。ただ、“音楽”なのよ。」
皮肉なことに、いまや『ザ・ケルン・コンサート』に懐疑的なのは、他ならぬジャレット本人だという。ブランドスによれば、2016年にウィーンで行われたコンサート(2018年の脳卒中発症の前、彼にとって最後期の公演のひとつ)の楽屋で再会した際、ジャレットはあの伝説的な演奏について否定的な言葉を口にしたという。
それでもブランドスは、彼への尊敬を失ってはいない。あの作品を生み出すまでに必要とされた、勇気と粘り強さを、今も心から讃えている。
そして映画『ケルン’75』は、あの歴史的な演奏を生み出した“闘い”が、演奏者ひとりのものではなかったことを静かに伝えている。むしろこの映画は、アーティストが作品を生み出す「舞台」を築く人々——その情熱と奮闘——に捧げられた、最良の映画的オマージュのひとつと言えるだろう。
ポール・レイノルズ Paul Reynolds
ジャーナリスト。ジャズ、フォーク、カントリー他のコンサート企画。
NY在住。2023年、All About Jazzのコントリビュータとして寄稿を開始。
現在までの寄稿本数は31本。



