Jazz and Far Beyond

『超ジャズ』の刊行記念ライヴに出演したミュージシャンは3人。ビッチェズ・ブリューで定期的な演奏機会を得た纐纈之雅代(サックス、ギター、ヴォーカル)と香村かをり(韓国打楽器)、そして出演時のことを強烈に覚えているのなか悟空(ドラムス)である。
いかにも人間的で、個性的で、複雑な生き方ではあったでしょうが、すべて含めて粋な人だった。
Bitches Brewには厳しさがある。
狭い空間だけど、床の木の鳴りが他には無い、なんか冷たくキーンと響く良い反響があった。自分の音を真っ直ぐに見直すことができる、あの空間が僕は大好きだった。
横浜のジャズ業界のなかで、杉田誠一さんは特異な人という以上に、つきあいにくい変人とみられていた節があった。
私たちが愛するジャズという音楽の歴史の一部となった、伝説的な人物に出会ったような気がした。
即興音楽で使われるのと同じ種類の言語は、今ここにある瞬間に関係しています。
彼のジャズに対する考え方はとても(彼の好きだった言い方をすれば)オーセンティックなもの
それからは時間帯関係なく電話が...毎度…二時間以上...(笑)
困ったのは、いつまで経っても終わらないことだ。でも、それが楽しくて、面白くて、別れたあとはまたすぐに会いたくなる。
お客さんが居なくても「大丈夫、俺が聴いてるんだから」なんて笑ってられました。
最後に、杉田さんと言えばやはり「ありがとうな」という口癖を思い出す。
日本のジャズ、ジャズメンに対し、大きな愛情を持たれていることを強く感じました。
杉田さん、そっちの世界では高柳さんと喧嘩しないでくださいね。
この写真集は杉田誠一が1969年から1975年の間に海外取材の際に撮影した写真を集成したものだ。
氏が追い求めていたのは、ジャズという鏡に映し出された人間そのものにこそあるのではないだろうか.
これらの演奏はビッチェズ・ブリューで繰り広げられた。大由が普通のプレイヤーとは異なるスタンスで演奏に臨み、香村が即興演奏の形を練り上げ、また纐纈がソロ演奏の場を幾度も得た場である。この機会を提供した杉田誠一のもつ緩衝帯についても、語っていかなければならないことである。