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風巻隆「風を歩く」からNo. 302

風巻 隆 風を歩くから Vol.15 「KNITTING FACTORY」

text by Takashi Kazamaki 風巻 隆

ニューヨークはいつでも何かの憧れとともに語られる。1987年2月、ビールで有名なウィスコンシン州マディソンから出てきた20代の若者マイケル・ドルフとルイス・スピッツァーは、「KNITTING FACTORY」という名のライブスペースを始めた。ジャズクラブが多いグリニッジヴィレッジや、ギャラリーの多いソーホーからも近く、ハウストン通りをブロードウェイから東へ3ブロック、古いビルの2階の細長いフロアで壁面をギャラリーにした軽食を楽しめるキャフェとしてオープンし、当初は詩の朗読、ジャズや、さまざまなパフォーマンスを行う、雑多な表現を提供するスペースをイメージしていたようだ。

ピアニストのウェイン・ホーヴィッツが3月~5月にかけての毎週木曜日にフレッド・フリスやブッチ・モリス、ガイ・クルセヴェックやジーナ・パーキンスといったダウンタウンの「New Music」を牽引するミュージシャンのライブをブッキングしたり、ジョン・ゾーンやエリオット・シャープが積極的にこの店を使うなどして、「KNITTHING FACTORY」は、またたくまにダウンタウンの音楽シーンの熱気を伝える、「新しい音楽」の発信地として知られるようになった。この頃には、ウィスコンシンから二人の友人のボブ・アペルがサウンド・エンジニアとして「KNITTING FACTORY」に加わり、三人で店をとり仕切っていく。

1階の店が半地下になっているので、店は中2階といった身近な高さだ。通りに面したところにガラス窓があり、この窓を背に60~70センチほどのステージがしつらえてある。客席は小さなテーブルを木の折り畳みの椅子で囲む形の40席ほど。この「KNITTING FACTORY」は、はじめて訪れたときから気になっていたので、ペーター・コヴァルトと「すとれんじふるうつ」で録音したカセットを、ブッキングを担当していたマイケルに渡すと、とても気に入ってくれ、6月末に行われる「TEA&COMPROVISATIONS」という5日間のフェスティバルにネッド・ローゼンバーグとのデュオで出演することになる。

尺八を習いにときどき日本に来ていたネッドとは「すとれんじふるうつ」でも会っていて、一緒に演奏したことは無かったけれど、連絡先はもらっていた。フェスティバルへの出演を彼に打診すると、二つ返事でOKで、ボクらは文字通りぶっつけ本番でフェスティバルのステージに立つことになった。6月27日の午後3時から、ボクとネッドのデュオが大勢のお客さん達の前で始まる。ネッドのアルトサックスによるデュオ、ベースクラリネットによるデュオ、パカッションのソロ、ベースクラリネットによるソロ、尺八によるデュオ、アルトサックスによるデュオと、ネッドが楽器を持ち替えながら演奏は進んだ。

サーキュラー・ブリージングで絶え間なく音を出したり、バスクラで高音と低音を同時に出したりといった超絶技巧を持ちながら、それが嫌味に聞こえてこないのは、ネッドが持っている音楽への献身といったものが、その音に現れているからだろう。けしてジャズというスタイルに依りかかっているわけではないけれど、ジャズへのリスペクトがそこここにある…、そんな演奏。このフェスティバルは、ダウンタウン音楽の新しい拠点が生まれた戦慄的な出来事として「ヴィレッジヴォイス」などのメディアでも取り上げられた。ライブのチャージは入れ替わりで4ドル、一日券は10ドルというお値段だった。

7月からは、何と、ボクは「KNITTING FACTORY」の厨房でキッチンヘルパーとして働くことになり、マイケル、ボブ、ルイス達と、きつい仕事にヘトヘトになりながら、ニューヨークの音楽シーンを別の角度から眺めることになる。ファラフェルやババガヌーシュといった中東料理や、チリコンカルネといったメキシコ料理、カレー味のチキンサラダや、アボガドとクリームチーズやりんごとブリチーズのサンドイッチなどに腕をふるい、ニューヨークという町の、底知れないエネルギーを感じていた。その日の客入りで稼ぎが変わってしまうバイトだったけれど、おいしいビールと、面白い音楽がいつもあった。

ビールの種類は豊富で、マイケルの父親がビール会社のオーナーだったこともあるのか、リカーライセンスを持っていることが「KNITTING FACTORY」の売りでもあった。バス・ペールエール(イギリス)、ピルスナー・ウルケル(チェコ)、ドセキ(メキシコ)といった世界のビールが集まっていて、ビールの小瓶をラッパ飲みするのがニューヨークスタイルだ。嵐のような忙しさの休憩時をなんとか乗り切って、いつでも飲んでいいからとマイケルに言われていたビールで喉を潤すときは至福の時間だった。そこで繰り広げられる音楽はどれもユニークで、厨房の入口から様々なライブを眺めることができた。

ジョン・ゾーンとドラムのジョーイ・バロンのデュオに、ゲストでデレク・ベイリーが出演したときは、ギターアンプから煙が噴き出るほどの熱い演奏だったし、ウェイン・ホーヴィッツがピアノでロビン・ホルコムの曲を演奏するソロは秀逸だった。毎日路上でソロの演奏しているサックスのチャールズ・ゲイルのトリオは、人間味あふれるいい演奏をしていたし、アルバ・ロジャースという黒人女性歌手の詩的な歌や、ビリー・ホリデイのようなしわがれ声で歌う男性歌手、オモチャの楽器だけで演奏するバンドなど、音楽のジャンルを気軽に横断していくようなユニークなライブが夜毎繰り広げられていた。

「KNITTING FACTORY」では、その頃まだブッキングの空きがあったので、マイケルに頼めば毎月のようにライブを行うことができた。7月16日にはコントラバス・クラリネットのポール・ハスキンと、ギターのクリス・コクランとのトリオを行う。当時、「A-MICA」というミュージシャンが自主運営するベースメントのスペースでのライブをオーガナイズしていたポールとは、すぐに親しくなり、6月28日には「PS122」という、廃校になった小学校の講堂をパフォーマンス・スペースにした場所で日曜の午後に繰り広げられる「ホットハウス」というシリーズの企画で、チェロのトム・コラとトリオで演奏したりしていた。

ギターのクリス・コクランはポールと同様に84年に「A-MICA」(当時の呼称はALCHEMICAL THEATER)の運営をしきっていて、そこでボクは、帰国間際にジョン・ゾーンとトロンボーンの河野優彦とのトリオで演奏をしている。クリスは、ジーナ・パーキンスらとの「NO SAFTY」というバンドでも活動していて、そこでは味わいのある歌声を披露しているけれど、即興の場面ではノイジーなギターを聞かせてくれる。二人ともコツコツと自主的な活動を続けている苦労人ではあるけれど、いざ演奏となるとパワー全開でノイジーな音を畳みかけてくるので、演奏は夏の夜に相応しい熱いものになっていった。

8月27日にはダニー・デイビスとエレクトリック・ハープのジーナ・パーキンスとのトリオを行う。ダニーさんとは、ベースのウィリアム・パーカーと「KRAIN」でトリオで既に演奏していたし、ジーナとは「WORLD TRADE CENTER」の中庭でクリス・コクランらと真夏の炎天下のライブを経験していた。ニューヨークでもジャズのフィールドのミュージシャンと、即興演奏のフィールドのミュージシャンが一緒に演奏するのは珍しいことなのでこのトリオは注目された。前へ前へと突き進んでいくジーナのアグレッシブな演奏と、共演経験の長さからくる信頼感に基づいた二人の寄り添った演奏が対照的だった。

9月10日にはエリオット・シャープと、10月3日にはブッチ・モリスと、それぞれデュオを行う。NYダウンタウンの音楽シーンと一口に言っても、前衛的なロックや、前衛的なジャズ、そして現代音楽のシーンも関わっているのだけれど、ロックと現代音楽双方に関わっているのがエリオット・シャープであり、ジャズと現代音楽双方に関わっているのがブッチ・モリスだ。言ってみればボクは、自分の立ち位置というものを探るために、二人の巨匠に共演をお願いしたのかもしれない。もちろん既存のジャンルにとらわれないのがダウンタウン音楽のスタイルで、二つのライブはそれぞれ素晴らしかった。

「KNITTING FACTORY」はその後、90年代にはライブを編集したコンピレーション・アルバムを次々とリリースし、一階のスペースを買い取ってフロアを広げ、また自分たちのニューヨークでの成功物語を「KNITTING MUSIC」という本にして出版したりして、日本のジャズ雑誌でも特集で紹介されるほど一躍スターダムに上り詰めた。ジャズやロックという旧来のジャンルにとらわれず、ダウンタウンの最新の音楽が聴ける場所として多くの人に受け入れられたということは、とても嬉しいことだ。音響機材が盗難にあうと、ミュージシャンがすぐノーギャラで慈善公演を企画する、そんな素敵な店だった。

New Musicという音楽潮流は日本で一部のジャズ批評家が「新即興派」という形で紹介していたけれど、そもそもは、現代音楽のフィールドから出てきた動きで、それがジャズやロックにも広がり、コンピュータやサンプラーといったテクノロジーへのアプローチ、世界の伝統音楽への接近、楽器の改造や創作を通して、ジャンルを越境するミュージシャンが次々と現れてきた。ボクのタイコはジャズでもロックでもないし、一部改造して革の音がする独自のものなので、ニューヨークでは知らず知らずにNew Musicの潮流に乗っかってしまったのだろう、それが分かったのも、随分後のことだった。

 

風巻隆

Kazamaki Takashi Percussion 80~90年代にかけて、ニューヨーク・ダウンタウンの実験的な音楽シーンとリンクして、ヨーロッパ、エストニアのミュージシャン達と幅広い音楽活動を行ってきた即興のパカッショニスト。革の音がする肩掛けのタイコ、胴長のブリキのバケツなどを駆使し、独創的、革新的な演奏スタイルを模索している。東京の即興シーンでも独自の立ち位置を持ち、長年文章で音楽や即興への考察を深めてきた異色のミュージシャン。2022年オフノートから、新作ソロCD「ただ音を叩いている/PERCUSSIO」をリリースする。

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