Reflection of Music Vol. 56 クリス・ピッツィオコス
クリス・ピッツィオコス @JAZZ ART せんがわ 2017
Chris Pitsuiokos @JAZZ ART SENGAWA 2017
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
凄いサックス奏者を「発見!」したと興奮気味のメールが本誌コントリビューター剛田武からきたのは約3年前のこと。そのサックス奏者がクリス・ピッツィオコスだった。情報源がYouTubeやSNSだったというのが、現代を象徴している。メールにYouTubeのリンクが張られていたので、早速見たところ、なかなかの俊才のようである。そして、最初にアルバムを聴いた時、直感的に「21世紀型阿倍薫がニューヨークに現れた」と思った。ニューヨーク・シーンの動向はなんとはなしに目に入っていたが、ピッツィオコスについては全く知らなかった。アンダーグラウンド・シーンで知られざる若い世代が蠢いているのであれば、こんな面白いことはない。本誌にJazz Right Nowというコーナーがあるのも、ピッツィオコスがらみで剛田がシスコ・ブラッドリーのJazz Right Nowを「発見」し、彼と連絡を取り合ったからなのである。ニューヨークのメジャーな音楽シーンはさておき、アンダーグラウンドの動向については、断片的な情報の切れ端こそ日常的に目にするものの、まとまった日本語でのリアルな情報やレポートは他に見ないので、本誌のJazz Right Nowはその役割を果たしていると思う。
私が現在注目すべきニューヨークのミュージシャンを観ることが出来たのは昨年のベルリン・ジャズ祭だった。全て観ることができたわけではないが、マタナ・ロバーツ、スティーヴ・レーマン、アンゲリカ・ニーシャー、メアリー・ハルヴァーソン、イングリッド・ラウブロックなどが出演していたのである。そして、今年ベルリン・ジャズ祭としては初めてアーティスト・イン・レジデンス制度を設け、タイショーン・ソーリーが招かれることになった。このことからもわかるように、ニューヨークの最新動向はヨーロッパでも視野に入っているのである。思うに、メールス・ジャズ祭の設立者ブーカルト・ヘネンが現役だったら、数年前にアンダーグラウンド・シーンをピックアップしただろう。間違いなくピッツィオコスも。彼の引退は早すぎた。
話をクリス・ピッツィオコスに戻そう。まず言えるのは、ピッツィオコスは卓越した演奏技術の持ち主であるということだ。循環呼吸法などの特殊奏法も含め、自身で奏法を拡張し、独自の語法を研究していることは想像に難くない。アグレッシヴな姿勢は小気味が良いが、感性の趣くまま演奏するのではなく、どこか覚醒していて理知的にサウンドを構築している。その中に、ジャズ(もちろんフリージャズも)やクラシックから得たものだけではなく、ノー・ウェーヴや80年代に勃興したニューヨーク新即興派のDNAを強く感じたのである。アルバム毎のコンセプトの違いや作曲も興味深く、新世代のキーパーソンのひとりであると言っていい。来日前のインタビュー(→リンク)でのヨーロッパのシーン、助成金制度についての見解には異論があるが、アナルコ・ロマンチック(無政府主義の空想家)と自ら言うようにそのピュアな精神性は音楽面にもよく表れている。
そのピッツィオコスが来日し、JAZZ ART せんがわに一陣の風が吹き抜けた。彼のソロ演奏は未知の領域を探究するようなサウンド構成だった。来日初日だったこともあり、会場を圧倒するほどの凄みはなかったもののその片鱗は確かに観ることができた。想像するに、翌日から共にツアーをする吉田達也との相性は抜群だろう。大友良英を始めとする他の共演者との交歓も期待できるし、一回りして東京に戻ってきた時は凄みを増しているに違いない。彼の音楽性は今後どのように変化していくのだろうか。ソロ・サックス演奏でも、その世界を深化させ、エヴァン・パーカーやジョン・ブッチャー、あるいは姜泰煥が到達したようなある種の境地に行き着くのか、大いに興味を惹かれる。彼の冒険はまだ始まったばかりだ。どこかで再びライヴを観る機会があることを楽しみにしよう。
クリス・ピッツイオコス、jazz art せんがわ、chris pitsiokos