Reflection of Music vol. 37 レスター・ボウイ
レスター・ボウイ@メールス・ジャズ祭1992
Lester Bowie @Moers Festival 1992
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
時計が逆回りしている。
そう思ったのは11月下旬、マイケル・ブラウン事件で彼を射殺した白人警官ダレル・ウィルソンに対し、大陪審が不起訴を決定したことが引き金となり、ファーガソンで抗議行動から暴動になった映像をTVで見ていた時のことだ。8月に黒人少年マイケル・ブラウンが丸腰であるにもかかわらず白人警察官に射殺され、路上に何時間も放置された事件である。公民権運動からすでに何十年も経っているというのに。
この光景には既視感がある。ロドニー・キング事件後、ロスアンジェルスの燃える商店街の映像。それもまた20年以上も前のことだ。そのようなことをツラツラ考えていた時、何年も棚で眠っていたあるCDを思い出し、引っ張り出した。それはレスター・ボウイ・ブラス・ファンタジー『ザ・ファイアー・ジス・タイム』(In & Out)。なぜならジャケットに燃えるロスアンジェルスの写真が使われていたからである。音源となったスイスでのライヴが行われたのは1992年5月1日、ロスアンジェルス暴動が起こっていたまさにその時の演奏なのだ。
そのCDカバーにはレスターの言葉が書かれている。ざっと訳するとこういう内容だった。
「旅の中で、様々な人種、性別、宗教、性的タイプの人々に会い、仕事をし、遊び、人生を共に楽しんだ。このある種の世界市民の言行には多くの学ぶべきものがある。それは誰か???ジャズファン!!その結果として、世界の多くの問題解決への私の答えは、ジャズだ。よい仕事を続けねばならない。世界は我々を必要としている」
レスターらしい言葉である。そのCDの内容だが、音楽で政治的主張を述べるという類のものではなかった。演奏曲目には、ビリー・ホリデイの<ストレンジ・フルーツ>、あるいはメンバーのE.J.アレン作曲の<ジャーニー・タワーズ・フリーダム>も含まれてはいるが、それまでも演奏してきた彼らのレパートリーの一部にすぎない。
1950年代にはチャールス・ミンガスのように人種差別に対して声高に怒りを表すミュージシャンがいた。しかし、時代が違う。50年代から60年代にかけては、闘争の時代だった。現代においても個人が政治的な言動なり、主張をすることを私は否定しない。だが、音楽家・演奏家の本懐は音楽にあるのだ。
レスター・ボウイはアート・アンサンブル・オブ・シカゴやブラス・ファンタジーなどで知られるトランペッター、フリューゲルホーン奏者である。写真はニューヨーク・オルガン・ジャズ・アンサンブルでメールス・ジャズ祭に出演した時のもの。まだCDデビュー前の若いジェームス・カーターもメンバーで、<エンジェル・アイズ>で長いソロを吹いていたことは今でもよく覚えている。そして、レスターのソロはいつも華があった。彼のアイドルがルイ・アームストロングだったことは、トランペットの表情によく表れている。技術的に際立っていた奏者ではないが、一聴してすぐそれとわかる音色、表現の多彩さ、表情の豊かさには誰も真似ができないものがあった。
彼はアート・アンサンブル・オブ・シカゴでの活動が最もよく知られているためか、前衛の文脈で語られることが多かった。確かに古い意味での前衛、花田清輝が「アヴァンギャルドとは大衆エネルギーの集中表現である」と書いたその時代に有効だったその定義で言えば、60年代後半から70年代初めにかけての彼は、それを最もよく体現するミュージシャンだったといえるのではないか。彼のキャリアのスタートはR&Bであり、その後AACMのリハーサルに参加したことで、その後のアート・アンサンブルに繋がったということも含めてそう思う。
そのアート・アンサンブル・オブ・シカゴが自費出版した本にレスター・ボウイのこのような言葉が載っていた。本が出版された時期からするとおそらく晩年(1999年没)近い時期の発言だと推測する。
「我々の音楽の当面の目標の一つは、思考を促すことだ。重要なのは、世界がより住みよく、人々が共により良く役割を果たすことができ、総体として高めることができるようになることだ。
音楽は理解するための鍵となる。音楽はとても系統だった考えを促すものだ。それはあなた達にさまざまなことを考えさせる。自分自身について考え始め、ひとたび人々が考えていることが達成されれば、さらに多くのことを考えるようになり、より優れたモノを作る方法を考えるようになる。
音楽は人々の心を開くことができるのだ」
この言葉は今もなお有効だ。
今世紀に入って、第二次世界大戦後に市民が獲得してきた大切なものが、どんどん失われているように思えてならない。まるで19世紀に逆戻りするのではないかとさえ思える勢いである。人種差別問題もそうであるが、表層的に物事を見るとトラップに嵌る。鳥瞰的に大局を見ることも必要だが、当事者の目線で物事を見、感じることは大切だ。そしてまた、社会問題のバックグラウンドには、単に政治的な事柄だけではなく経済も絡んでいる。トマ・ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房)があの分厚さにもかかわらず、本国フランスではなく、アメリカで売れ、それを受けて日本で出版され話題になったのもそれゆえだろう。
だからこそ、レスター・ボウイの言葉を再び噛みしめている。そして、彼のCDを聴きながら、音楽は音楽としてあってほしいと思うのだ。(2015年1月25日記)