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GUEST COLUMNNo. 240

「全ては電子音楽だ」 アトミック〜スペース〜コンピュータによる20世紀音楽の思い出

text: Yoshiaki onnyk Kinno 金野onnyk吉晃

 

“Ohm Sweet Ohm…”(from “Radio-Activty ” by Kraftwerk, 1975)

Ⅰ.アトミック・エイジからスペース・エイジへ

ある日、シェイクスピアの解説書を読んでいて気付いた。
1956年のSF映画「禁断の惑星」の元ネタはシェイクスピア最後の戯曲「テンペスト」だったのじゃないかと。
あまりにも筋書きというか設定が似ている。
同じように思った人が居る筈だと思い、検索したらこうあった。

「禁断の惑星」のクレジットを見ると、原作:シェークスピア「テンペスト」、原案:アービング・ブロック、アレン・アドラーとなっている。映画化にあたってシリル・ヒュームが脚本にまとめ上げた。

ああ、なんだ、そうだったのか。
この映画は、世界で初めて音楽が全面的に電子音のみ、実写画面にアニメを合成(ディズニーの協力があった)、初期ロボットのイメージを決定づけた秀逸デザインの「ロビー」が登場、イド=無意識が形状化した怪物が登場するなど、いろいろな意味で名作である。主演のレスリー・ニールセンが後にコメディ「裸の銃を持つ男」シリーズでブレイクしたがまあそれはどうでもいいことだ。

二作品の比較のためにちょっとだけあらすじを。
「禁断の惑星」では、連絡のとれなくなった植民地惑星、第4アルテアに調査船が送られる。生存者は天才的科学者モービアスと、彼の美しい娘アルティラ二人のみで、実に優雅な生活をしている。二人に仕えているのは万能のロボット。アルティラは父以外の人間を見た事が無かったので、調査船船長アダムスと恋仲に。父親は、この星に古代人の遺した驚くべきテクノロジーがあり、それを研究していた。そのお陰で快適な生活も送れるという。では植民者が、古代人が消えた理由は?彼は「見えない怪物」がいるという。そして調査船もその怪物に襲われる。彼らの運命は?

「テンペスト」は、ナポリ王プロスペロが、弟アロンゾーの奸計により、嵐によって難破し、娘ミランダと二人で孤島に住む事を余儀なくされる。しかしプロスペロは、ずっと魔術の研究をしていたので、島に棲む魔物キャリバンを自分の配下に、また妖精アリエルも駆使して優雅な生活を送ることができる。アロンゾーの息子ファーディナンド一行の乗った舟が、島に近づいたとき、プロスペロは嵐を起こして座礁させ、彼らを島に上陸させる。父以外の人間を見た事の無い娘は、ファーディナンドと恋仲になるが、その結末は?

「テンペスト」はピーター・グリーナウェイが「プロスペローの本」(1991)というタイトルで映画化して、その音楽はマイケル・ナイマンだった。これは非常に美しい映画で、私としては、パトリック・ボカノフスキーの「天使」(1982)と並び、ヴィジュアル面ではベストテンに入れたい作品だ。
またデレク・ジャーマンも「テンペスト」(1979)として映画化している。こちらはぐっとダークなイメージだが、彼らしさも出て素晴らしい。
「禁断の惑星」の電子音楽は、ルイスとビーブのバロン夫妻が担当したが、残念な事にこれは当時音楽と見なされなかった。そしてアメリカ音楽の電子テクノロジーの歴史において先駆的だった彼らも、後に民生型シンセサイザーの普及の陰になり不遇のまま終わっている。ただし、いま出回っているサントラを聞いて、彼らの先進性を感じ取るのはいささか厳しい事かもしれない。そのサウンドは、テレミン、オンドマルトノなどより、ケルン電子音楽スタジオ系ともいえるような無機質な感がある。映画の中では、古代人の音楽として響くシーンも印象的。

英文学の古典であるシェイクスピアの戯曲は、いまなお個性的監督たちが前衛的な演出をしている。
ゴダールの「リア王」(1987)、ハイナー・ミュラーの「ハムレット・マシーン」(1977)、「マクベス」ならばオーソン・ウェルズ (1948) や、ロマン・ポランスキー (1971)、蜷川幸男 (1980)、ジャスティン・カーゼル (2016) らが監督した映画がある。
他にも映画「タイタス」(1999) は「タイタス・アンドロニカス」の翻案、有名な「ウェストサイド物語」(1957)は「ロミオとジュリエット」からの翻案だ。
ピーター・ブルックは1950年から1979年まで映画、テレビ、舞台でシェイクスピアの6つの作品を監督、演出して名声を得た。
いずれもその含蓄と妙味ある台詞回しも含め、いまだに英米の読者を刺激してやまない。

先ほど書いたように、音楽と認められなかったバロン夫妻のサウンドは、宇宙・SF・ロボット・超テクノロジー=電子音というイメージを固定化したかもしれない。
そのイメージをさらに強化したのは、翌1957年の、世界初の人工衛星スプートニク1号、その信号音かもしれない。世界中の耳がスプートニクの発信する「宇宙からの声」を聞いた。それは単なる内部温度情報だったのだが。

スプートニクの成功を機に、世界の話題は原子力、原子爆弾=アトミックから宇宙空間=スペースへ移行した。米ソ宇宙開発競争が始まった。もちろん地上では核実験が繰り広げられ、冷戦と米ソ代理戦争が始まっていたのだ。
アトミック・エイジからスペース・エイジへの移行は、まさしく大気圏内核実験の恐怖から、大気圏外の無重力空間へと、人々の関心をそらせてしまったのかもしれない。
日本では敗戦を決定づけた二度の核爆弾投下、そしてビキニ核実験、第五福竜丸、死の灰、放射能雨、など続けざまの放射能被害は、差し迫る脅威として人心に浸透し、ひいては「ゴジラ」(1954)という恐怖の造形になった。これはあくまで原子力の使用を危険視し、人類への警告として製作された映画であった。
宇宙時代の到来は、未来志向で高度経済成長期に合致し、ゴジラも次第に「愛されキャラ」に変化して行った。
何も食べずに(つまり外部からの補給無しに)強力無比の活動をするゴジラは、夢のエネルギー、原子炉を内蔵している。そして息子を「スパルタ教育」し、「仲間の怪獣たち」と協力して、宇宙怪獣を倒す、ヒールからベビーフェイスへの転換。
そこには力道山、そしてジャイアント馬場やアントニオ猪木の活躍する新時代の娯楽、ショウとしてのスポーツ「プロレス」が反映している。タッグを組んで、反則を繰り返す悪役どもをやっつけろ、という訳だ。

 

Ⅱ.スペース・エイジからコンピュータ・エイジへ

特殊撮影で勇名を馳せた円谷英二が設立した円谷プロの大ヒット作、「ウルトラQ」(1966) のテーマでもオンドマルトノのような電子音が聞ける。科学特捜隊(「ウルトラマン」1966)、ウルトラ警備隊(「ウルトラセヴン」1967)の指令室では電子計算機であろうか、常に電子音が聞こえる。
かつての東宝映画「海底軍艦」(1963) のブリッジや、「地球防衛軍」(1957) のロケット操縦室では機械音が主だった。比較して面白いのは英国ITCの「謎の円盤UFO」(1970) で、秘密組織シャドーの基地ではプリンターの音ばかり。暗号と情報の大国、英国らしい!
しかし飛来する円盤や、探査衛星シドのサウンドは怪しい電子音である。ITCの代名詞「サンダーバード」(1965) に登場するサンダーバード5号の背景音もそうだ。今ならスパイ衛星と言われるだろうけれど。

忘れてはならないのが「鉄腕アトム」(1952) である。
鉄腕アトムの動力もまた原子炉。そして知性は、善悪を判断する電子頭脳。新時代のヒーローである(アトムはその後、アストロボーイとして再デビュー。まさに原子から宇宙へ)。
そのテレビ動画 (1966) の効果音には全面的に電子音が用いられたのは有名。
手塚治虫の凄いところは、アトムの人工知性に幾つかのコンプレックス(単にインフェリオティ・コンプレックス=劣等感の意味だけではなく)を与えて悩ませたり、ジレンマの起こる状況を設定したり、他の作品でも人間存在とは何か、精神における善悪の意味等を何度も繰り返して問うていることである。
機械然とした「鉄人28号」(1958)は、旧日本軍の遺物。その意味では東宝映画「海底軍艦」(1963)と同じである。鉄人28号はリモコンで操作されるロボットであり、本体に知性は無い。「良いも悪いもリモコン次第」(テーマソングより)という訳である。
アトムの世界で、アシモフのロボット三原則 (1950) は守られているが、もう既に「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」(1968年のP. K. ディックの小説。1982年、映画「ブレードランナー」の原作)という自問自答が始まっていたのだ。

電子音とスペース・エイジの最も熱い関係は、チューリップのようにオランダに花咲く。
オランダのフィリップス社(1891〜)といえば、総合家電メーカーの花形だった(過去形を使うのは申し訳ないが)。1970年の大阪万博に単独でパビリオンを出し、イアニス・クセナキスの電子音楽「ヒビキ・ハナ・マ」(1970)を流したのも彼ら。またCDとそのプレーヤーを開発したのもフィリップス社である。
ここにフィリップス社関連の一つのコンピレーション・ボックスがある。
“POPULAR ELECTRONICS”
EARLY DUTCH ELECTRONIC MUSIC FROM PHILIPS RESEARCH LABORATORIES 1956-1963
BASTA 30.91411.2  2004 (4CD BOX SET)
この4枚組は、オリジナル・レコードジャケット(まさにスペース・エイジ満開のデザイン)、製作ノートやら電子音楽のスコアも収蔵され、至れり尽くせりではあるが、いくら電子音に関心があるとはいえ、通して聴くといささか食傷してしまう。
しかし驚くべき作品も埋もれている。それは例えば Tom Dissevelt の “Syncopation” がそうだ。
この3分の曲を初めて聞いて1958年の作品だと思う人がどれだけいるだろうか。まるで富田勲かYMOではないか。この当時、勿論鍵盤で操作するシンセサイザーは無い。だから声部ごとに、一音ずつ正確に音程、音量、長さ、音色、その他のパラメーターを決め、並べていくしかない。その作業は気が遠くなりそうだ。しかしここでは実にスウィング感のある、どこかユーモラスかつ悲哀のあるエレジーというべき印象がある。近い例でいえば「スターウォーズ〜エピソード4」(1977) に登場する、惑星タトゥイーンの盛り場で演奏されているニューオリンズ風電子音楽だろうか。
現在でもオランダでテクノは盛んだし、ロッテルダムサウンドが席巻した事もある。

ここで言及すべきはジャズへの影響だろうか。多々事例はあっただろうが、敢えて二人だけに留めておきたい。
ギル・メレは幾つかのジャズレコードのジャケットのイラストを描いたりした画家だが(参考迄に1954年のプレスティッジ盤 ”Thelonius Monk trio” のジャケット画には彼のサインもある)、テナーサックス奏者であり、作曲家でもあった。50年代初頭からブルーノートにアルバムを残しているし、1954年にはニューポートジャズ祭にも出演した。そのクィンテット、セクステットは、今聞くとさほど前衛、実験的という印象はないのだが、確かに何か企んでいるのは分かる。そして曲名にも「サイクロトロン」などと原子物理学を想起させるものがある。
しかし、そんなレベルでは終わらない。1968年にヴァーブからリリースされた ”Tome VI” はカルテットではあるが全員が、おそらくメレのアイデアに依る電子楽器を併用している。当時彼らは「エレクトロノウツ」と名乗っていた。アストロノウツ(宇宙飛行士)というバンドは既にあったので、じゃあこっちは電子だとなったか。
このアルバムでは不思議なサウンドがアンサンブルを作っているが、決して突拍子もないという訳ではない。むしろ聴きやすくまとめているなとさえ思えるのだ。
ここで電子楽器と書いたが、電気楽器とは異なる観点だ。つまり前者は電子回路の発信器を音源としているのに対し、後者は生楽器の音を電気的に増幅したということになる。では電気オルガン、電気ピアノはどうか?ハモンドオルガンはどうなのかといった話に及ぶが、それは機会を改めよう。
メレの試みは決して成功したとは言えないが着実に発展し、かなりの数のテレビドラマ音楽、映画音楽を製作した。最も有名になったのは「アンドロメダ病原体」(1971)の音楽だろう(ちなみに2008年、同じ原作でリドリー・スコットがリメイクしているが駄作)。
もう一人、宇宙をイメージしたジャズを展開したという意味で忘れられない存在がある。
といえば誰しもご存知、サン・ラだ。コズミックサウンドだ、アストロジャズだと、とにかく本人が土星から来たと言うのだから仕方ない。この記事を読んでいるくらいの人に敢えてサン・ラをご紹介するのは申し訳ないほどだ。
彼はおそらく最も早く電気ピアノ、電気オルガン、リズムボックスなどを用いてジャズをやった人だし、シンセサイザーの導入も、そしてそれを用いたとんでもないソロも語りぐさである。
メレの電子音が、楽曲の構造に合致するような柔らかな音を求めたのに対し、サン・ラは今のノイズ派ミュージシャンが聴いても魂消るような電子音を使った。呆れるほかないソロは多々あるが、まあローランド・カークのノンブレスソロを刺々しい電子音でやったようなと言えばいいだろうか。

しかし、サン・ラすなわちソニー・ブラントとはいえ、最初からそんな前衛派だったのではない。50年代にはドゥワップなどもやっているし、ちょっと変った編曲、おもしろいリズム感だなという程度なのだが、やはり彼も時代の子であったのだ。宇宙時代の幕開けとともに「これからは宇宙からの福音としての音楽だ」という演出を意識して行く。
60年代に突入し、フリージャズが台頭すると見たサン・ラは、いち早くバンド全体の見た目もステージもパフォーマンスも、ショウアップする。名前も、インターギャラクティック・リサーチ、ソーラー・アーケストラ、ソーラー・ミスだの色々に組み替え、極力自らの存在を神秘化する事に努める。バンドの面々にも恐ろしくファンキーな衣装を着せ、自らもピラミッドやら、ラメ入りのファラオ頭巾などかぶって登場するようになったし、さらに儀式的な雰囲気を醸した。
ユニークなミュージシャンとして生活するだけなら、いろんなセッションに顔を出したり、スモールコンボなりソロなりを、メジャーと一枚ずつでも契約して出せば良いのだろうが、彼は決してそういうやり方をしない。なにしろ地球人ではないのだから。
彼は十数人を擁するバンド全体の共同生活も指導し、ライブ録音を次々とレコード化し、自主レーベル「サターン」からリリースした。それは数百種(枚ではない、種だ)あるとさえ言われる。
レコード製作に関わった方なら分かるだろうが、金のかかるのは盤自体ではない。レーベルやジャケットの印刷や包装のほうだ。だからサン・ラは自分で全部それを手書きしたのである。だからそうして出されたレコードは全てが世界に一枚しか無い盤となる(私も一度見た事はある。数本の蛍光ペンを同時に握って、勢いに任せてグリグリッと円や螺旋を描いているだけなんだが)。
敢えて言わせてもらえば、サン・ラは自らを神秘化すると同時に、宇宙時代の発展に添いつつ、ジャズ業界の荒波の中で、バンドを継続するために経済的な努力を継続した苦労人だということになる。
宇宙人が地球で生活するのは大変なのだ。其の様子は幾つか映画になっているが、”Space Is The Place” (1974) は必見である。ちなみに私はこの映画に、アメリカの実験映画史では忘れられないマヤ・デレンの「午後の網目」(1943)の影響を見た(この映画、監督、そして音楽についても語るべき事は多すぎる)。

1968年、有人宇宙船アポロ8号はついに月周回軌道を経て無事地球に戻った。そして翌年、アポロ11号により遂に「人類、月に立つ」ことになる。
マーキュリー計画 (1958〜63)、ジェミニ計画 (1961〜66)、そしてアポロ計画 (1966〜?) と発展したアメリカの宇宙計画は、その成果を世界に誇示した。スプートニクの地球周回からたった12年後のことである。
この大成功の立役者は、軌道計算を主に、万事を司ったコンピュータ・システムだった。NASA (1958〜) のイメージといえば、あの巨大な司令室、大画面にならび、大型コンピュータが、がちゃがちゃと動く計算室だった。
真空管 (1904)、トランジスタ (1925)、IC (1958)、LSI( 1986) と集積回路が発達し、計算能力は飛躍的に伸びた。
スペース・エイジは、即ちコンピュータ・エイジの草創期だったのである。

 

Ⅲ.コンピュータエイジの音楽と反動

楽音としての電子音は、ロバート・モーグの努力により西欧音楽の象徴とも言える「鍵盤」と結びつき、モーグ・(モジュラー)シンセサイザー (1963) として結実し、急速に普及する。
そのサウンドはスタンリー・キューブリック監督のディストピア映画「時計仕掛けのオレンジ」(1971) で広く知られる事になった(ディストピアを描くのは映画産業の定石だが、同時期でいえば1970年の「地球爆破作戦」、1971年の「THX1138」は秀作。前者は巨大コンピュータが世界支配する前夜を、後者は完成した管理型社会を描く。特に後者はジョージ・ルーカスのデビュー作として有名)。
ここにはウォルター・カーロス(後に性転換してウェンディとなった)による温故知新というか、古き革袋に入れた新酒の味わいがある。つまりカーロスはクラシックの名曲をシンセサイザーやヴォコーダーによって演奏し、電子音アレルギーやクラシック一辺倒の人たちにも関心を持たせる事に成功したのである。その成果「スウィッチト・オン・バッハ」(1968) の発売も忘れてはいけない。
シンセサイザーは当初「あらゆる楽器の音を出す事が出来る夢の楽器」と紹介された。まあ実際触れてみるまでは誰しもそう思ったかもしれない。しかし初期のシンセサイザーは、単音しか出ず、なんとも使いにくい代物であった。

モーグが全てではない。他にも色々あるのだが、例えばモートン・サボトニックは、ドン・ブックラ製作のシンセサイザーを用いた作品「タッチ」(1969) を製作した。おそらく世界一売れた電子音楽ではないかとも言われる。

ここで重要なのは、楽器としてのシンセサイザーの出現が、遂にライヴの演奏で電子音を、とりあえず意図に沿って出せるようになったということである。これを「ライヴ・エレクトロニクス」と呼ぶ。

リチャード・タイテルバウムは60年代半ばから即興演奏集団 MEV (Musica Elettoronica Viva=ライヴ・エレクトロニック・ミュージック) を結成し、ライヴ・エレクトロニクスを追求した先人だが、スティーヴ・レイシー、カルロス・ジンガロ、アンソニー・ブラクストンなどとジャズ系の即興演奏家との共演も多く、それを通じて自動的に反応する演奏システムの開発をおこなった(”Concerto Grosso“ 1985、”The Sea Between” 1988など)。

フランス現代音楽界をリードした故ピエール・ブーレーズも、生の演奏と、即時の電子的な手段に依るサウンドの変容を融合し、また音響の定位を自在に行うリアルタイム・インタラクション作品「レポン」(1981〜84)を作曲した。彼はこの作品のために、自ら所長である IRCAM(フランス国立音響研究所。1977〜)を使い、オーディオプロセッサ“4X”を開発し、その上演にもマルチ・スピーカーシステムを備えた、その附属ホールを使った。莫大な国家予算を使って欲望を満たすほど楽しい事は無い。しかし欲望は満たすほど増大するばかり。
ところで、これはライヴ・エレクトロニクスだろうか。

彼らの欲望、つまり音楽を即時に電子的手段で支援するという試みの発展も、結局、音響信号が如何に早く、大量に処理されるかにかかっていた。ということはそれに用いるコンピュータの能力如何という訳である。
磁気テープを用いた録音の時代では、彼らの欲望は達成出来なかっただろう。

一方、ヘルベルト・アイメルトらのケルン派の電子音構築主義(1951〜)と、アンリ、シュッフェール二人のピエールが創造した「具体音楽=コンクリート・ミュージック」(1948〜) は次第に歩み寄る。仕方ない事だ。両者とも録音テープ上の信号としてしか記述出来ず、電子的な再生装置がなければ空気振動に変換し得ない。
だからこそコンピュータや電子機器の進歩に相まってついに両者融合にいたった。彼らの仕事は作曲の偶然性や、演奏の不確定性を排除する。完成された作品は書き換えられない。依然として彼らはライヴ・エレクトロニクスではなかった。
その後彼らの作品は磁気テープ上の記録ではなく、コンピュータのメモリーに残されるようになった。

ここにおいて初めて、ライヴ・エレクトロニクスと、かつてのテープ音楽は同じ土俵に登った。この過程こそが1970〜80年代ではないだろうか。
というより、この発達なかりせば現代(これを書いているのは2018年だが)のポピュラー音楽は成り立たないだろうし、ジャンルに関係なくあらゆる音楽が電子機器と記録媒体によって製作、通信、売買、拡散されているのだから、「現代の音楽は全て電子音楽だ」と断言してもいいのではないか。
あるいは、20世紀の音楽の歴史は、「音楽を構成する音響信号の媒体化による商品化」の歴史であるとさえ思えるのだが。
電子音楽こそは20世紀に最も大衆化、民生化した音楽である。それは様式ではない。ジャズが様式ではないように。それは方法であり、姿勢だった。
それはアカデミズムとテクノロジーを両親にして、前世紀の情報産業の中に育った。そして大衆音楽として成人したのである。
また、別の視点からすれば「全ての音楽は大衆音楽である」といえる。古今東西、録音として残る全ての音源は、分け隔てなく売買され、再生され、消費されている。演奏も聴取も、選択領域を選択し、選択したデータをいかなる順番で並べるか、そして時系列に沿って聴取・再生するかが問われる。我々はチューリング・マシンなのだ。

シンセサイザーはアナログ型からデジタル型に進化した。そしてまた反動がきて、ミュージシャンの間では融通の利かないデジタルから、不安定な音も楽しめるモジュラー型シンセに再び人気が集まっている。
初期シンセサイザー音楽、テクノポップ、テクノ、サンプリング、ハウス、グリッチ...いまやDJ達もパソコンとメモリーを駆使して「演奏」する。
そうした傾向は作品性を音響データとしてよりも、ソフトそのものへと変容させた。そのソフトを用いてユーザーが使いたい音を入力すれば良いという訳だ。1998年頃のマーカス・ポップやクリストフ・シャルルは其の方向性にあった。ある意味、音楽家が自分の作品に対して距離をとってゆく過程、あるいは無責任になって行く姿勢。
そんな風にテクノをやっていた同じミュージシャンが生ギター一本で歌うスタイルへと回帰していく傾向もある。彼らはデータではなく、再び「終われば消えゆく音楽」を選んだ。

プロスペロの魔術と、古代に死滅した宇宙人の超越テクノロジー、これらは同種のファンタジーであるが、人類が求めてやまない「無限のエネルギー」と「人間に仕える知性ある存在」をも象徴する。
そのイメージは、テクノロジーを反映するサウンド、音楽に現れる。それを我々は繰り返し、古くて新しい物語のなかで、夢見る。
しかし、もはや限界が来てはいないだろうか?

私は、常にAIの未来について考えている。ここでは記さない。何を言っても陳腐に聞こえるのがAIを巡る言説ではないだろうか。
試しに、今から十年前、二十年前のコンピュータ・アートの未来について書かれた記事を拾ってみたまえ。先端といわれたアーティストや科学者が言っているアイデアやイメージを読みたまえ。
しかしもっと実感したいなら、「スターウォーズ」のエピソードをぶっ続けに見る事かもしれない。1977年、コンピュータと「最新のヴィデオ技術」による、その画像の素晴らしさに酔いしれた我々は、1895年にスクリーンに向かって突進してくる蒸気機関車の映像を見て逃げ出した観衆を笑えない。
1957年に生まれた私ができるのは、過去の物語を語り継ぐことであり、記憶の彼方にかすむ、幻影の歌う電子の声に耳を澄ますのみなのだ。

今望んでいるものを手にして、何の得があろうか。それは夢、瞬間の出来事、泡のように消えてしまう束の間の喜びでしかない。
ウィリアム・シェイクスピア作「ルークリース陵辱」(1594)より

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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