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R.I.P. ペーター・ブロッツマンGUEST COLUMNNo. 306

追想ペーター・ブロッツマン #3 by 八木美知依

text by Michiyo Yagi  八木美知依

 

ポール・ニルセン・ラヴの提案を元にノルウェー国立コンサート協会 Rikskonsertene が主催事業として企画してくれた2008年4月の『ブロッツマン/八木/ニルセン・ラヴ〜ノルウェー国内10都市ツアー』は私にとって大きなランドマークとなりました。ツアーのスタート早々にトリオのサウンドが確固たるものになったのではないかと思っています。結成当初は手探りでペーターとポールの間に自分の居場所を探っている感覚でしたが、二人の間に突飛な発想で割り込んでいく私の演奏は結果としてトリオの音楽を意外性に満ちた面白い方向へ展開させていました。しかし突飛な演奏は徐々に封印され、箏本来の響きを生かした演奏や左手を駆使した奏法、また楽器のエレクトリック化が実現してくれたサステインによる短音やハーモニーの継続性により、 “デュオ+1”から真のトリオ演奏へと進化したのだと思っています。

演奏家の3人に加え、エンジニアのアウドゥン・ストリーペ、そして夫でプロデューサーのマークも運転手兼 “箏ローディ”としてツアーに同行しました。アウドゥンとマークは全公演を録音してアルバムを作るつもりでした。オスロ、ハマー、コングスベルグ、トロンハイム、リューカン、ベルゲン、ソートランド、アーレンダール、スタヴァンゲル、そしてヴォルダ… 12日間で10都市を車と飛行機でジグザグするという目まぐるしい日程でした。

初日を終えた直後、マークの母、私の義母の他界を知りました。葬儀の準備など気がかりが多い中、義父の強い意向でマークはそのままツアーを続行する事になりました。ペーターもポールも気の毒そうな面持ちでしたが、それとは関係なく、ツアーが進むにつれてペーターの機嫌がどんどん悪くなっていったのです。

なぜこんなにいつも機嫌が悪いのだろう。私の演奏が気に食わないのだろうか?ポールに尋ねてみると「彼はいつもこうだから気にするな」と。ペーターほど毎日のように自分の感情を露わにする人に私は出会ったことがなかったので、驚いたというか、呆れていました。

実際、会場の響きから現地スタッフや食事に対する不満まで、不機嫌になる理由はあったと思います。ホテルの朝食会場で会った時は「おはよう」くらいは言いますが、その後はほぼ無言。しかし一旦演奏が始まると、やはり凄いと実感する毎日でした。ペーターの演奏はとても誠実で、激しいブロウの中に様々な表情が行き来している。ある日、それまでの音楽の流れを裏切るようなブルース風なメロディーを吹きはじめたのですが、これが世にも悲しい調べなのです。「そうか、ペーターは怒っているわけではないのだ。悲しいのだ」と思わせる、すべて音楽のみで伝えるような人でした。

ある都市の会場の外に貼ってあった大きなポスターに“MICHIYO YAGI / PETER BRÖTZMANN / PAAL NILSSEN-LOVE”と上から順に書かれていました。ギョっとしてペーターに「ごめんなさい、私の名前が最初だわ」と言うと、ペーターはニコリともせず「なぜかわかるか?お前が女だからだ」と一言。私にもう少し英語力とユーモアのセンスがあれば「私の方が綺麗だからじゃない?」みたいな返答をできたかも知れませんが…

また、別の都市ではサウンドチェック中にポールに向かって「今日の会場は箏なしだといいのにな」と大きな声で嫌味な事を言っているのに、いざ演奏が始まるとそれまでで最高なトリオ演奏となる。

そうそう、こんなこともありました。美しい木で覆われたある素敵な会場でペーターがサウンドチェック中に「こんなところで吹けるか」と怒鳴り始め、ポールとマークとアウドゥンが顔を合わせて閉口。あまり不機嫌なのでついにマークが「ペーター、何をブツクサ言っているんだ。半世紀近く、どんな所でも自分の演奏をしてきたからこそペーター・ブロッツマンなんだろ?」と激昂。ペーターはまるでトマトのように顔を真っ赤にして「バカ野郎、てめえなんぞに何がわかる!」と怒鳴り、会場を出て行ってしまいました。そんな中、私はどうしていたかと言うと、テーブルに用意されていたナッツをつまみながら3人の展開を楽しく観劇していました。いつの間にか強くなっていたのですね。しばらくするとペーターは何事もなかったように戻って来て、公演後はいつも通りみんなと一緒に食事をしました。

トリオの演奏は日に日に良くなっていくものの、録音に関しては無惨な結果の連続でした。本番前、アウドゥンは必ずペーターに「これらがあなた用の録音マイクなので、こっちに向けて吹いてください」と頼んでも、ペーターはいつも開演早々、あっち向いて吹いたりこっち向いて吹いたり。ある公演では最高の演奏が展開されるにもかかわらず、ペーターが終始マイクにお尻を向けて吹いてしまい、アウドゥンもマークもお手上げでした。

そしてついにツアー最終日。その模様は後にCDとしてリリースされた『八木美知依、ペーター・ブロッツマン、ポール・ニルセン・ラヴ/ヴォルダ』(Idiolect、2010)のライナー・ノーツから引用しましょう。

「ツアー最後の目的地は西ノルウェーのヴォルダ。実は当初からこの公演はキャンセルされる可能性があった。なぜならヴォルダ行きの小型プロペラ旅客機の貨物室は小さく、たぶん箏が乗せられないだろう、とのことであったからだ(21絃も17絃も通常の13絃よりかなり大きく、フライトケースに入れると2メートルを超える)。しかし私たちが心配そうに見守る中、楽器は無事飛行機の腹部に収容され、一行はオスロ空港からヴォルダへと旅立った。

ヴォルダは美しいフィヨルドの畔にある大学街で、固定人口約8000人に加え、学生が約3000人ほど暮らしている。会場のクラブ・ロッケンはヴォルダ大学の学生会館の一角にあり、殆どのスタッフが学生であった。

開演前、ここまでの全公演をハード・ディスクに録音していたアウドゥンと、ライヴ・アルバムの可能性を協議した。複数の演奏を切り貼りしたらけっこういいアルバムになるだろう、なんて話を2人していた。

1時間後、アウドゥンも私も、そんな作業の必要はなくなったと確信していた。

『ヴォルダ』の聴きどころは多いけど、鉄人ブロッツマンの凄まじさは特筆せねばなるまい。この音圧、このスピード感、そしてこの感受性。これが67歳の演奏とは(本人に怒られそうだが)奇跡的と言いたくなる。 ハンガリーの珍しいリード楽器タロガート、テナー・サックス、メタル・クラリネット、そしてアルト・サックスを使い分けているが、特に終盤のアルト・ソロが強烈である。ニルセン・ラヴが八木の《ベース箏》と合体し、プログレとアフロ・ジャズの間の子の様なリズム・プレイを披露する中、ブロッツマンはまるでR&Bホンカーのようなファンキーさで吹きまくっている。

あの日、一体となって壮大なクライマックスへと疾走する3人をリアルタイムで聴きながら、私は祈るように「行け行け…まだまだ…やめるなよ…」と呟いていた」(マーク・ラパポート)

翌日、オスロ空港で私とマークはみんなに別れを告げた。私が「Thank you, Peter」と言ってペーターをハグしたら彼の目は潤んでいるように見えた。それに気づかれたのが嫌だったのか、ペーター・ブロッツマンはまるで逃げるように去って行った(つづく)

 


八木美知依  Michiyo Yagi   箏、21絃箏、17絃箏、18絃箏、エレクトロニクス、voc
邦楽はもちろん、前衛ジャズや現代音楽からロックやポップまで幅広く活動するハイパー箏奏者。故・沢井忠夫、沢井一恵に師事。NHK邦楽技能者育成会卒業後、ウェスリアン大学客員教授として渡米中、ジョン・ケージやジョン・ゾーンらに影響を受け、自作自演をその後の活動の焦点とする。世界中の優れた即興家と共演する傍ら、柴咲コウ、浜崎あゆみ、アンジェラ・アキらのステージや録音にも参加。ラヴィ・シャンカール、パコ・デ・ルシアらと共に英国のワールドミュージック誌『Songlines』の《世界の最も優れた演奏家50人》に選ばれている。

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