4枚目の『山下洋輔/クレイ』にハマってしまった。 末冨健夫
私のJazz事始め。
私の事を「フリー・ジャズ親爺」と呼ぶ者がいる。バカにされてるのか(多分こっち)、ヨイショされてるのか分からないが、ジャズを全く知らない内にフリー・ジャズや即興演奏に向かうワケが無く、私も一応筋道は通って来てここにたどり着いている・・・と、思っている。もちろん今でもジャズのLP、CDは聴いてるし、たくさん持っている。勿論日常的に聴いているし、毎週人にジャズを聴かせるイベントも続けている。家では、40年代以前のスウィングやニューオリンズ/ディキシーを聴く事の方が多い。「ジャズ・ファンですか?」と聞かれたら「ハイ!」と答える・・かも?
フリー・ジャズの洗礼は高校1年のときに受けた。当時、FMではクラシック、現代音楽、民族音楽、ジャズ、ラテン音楽まではよく流れていたが、フリー・ジャズの放送は皆無だったと思う。でも毎日色々な音楽をたくさん聴けていた時代だった。FMのジャズ番組を聴いている内にジャズのレコードがどうしても欲しくなった。月に1枚買えるか買えないかくらいの小遣いだったので、1枚買うにもそうとう悩んでいたものだ。最初に買ったジャズのLPは「デューク・エリントン&ジョニー・ホッジス」(ストーリーヴィル)だった。今でもこれは手放さず持っている。その後は、「マイルス・デイヴィス:カインド・オブ・ブルー」、そして「ジョン・コルトレーン:至上の愛」と続いた。あまりに普通の流れだし、理にかなってるかも? そして4枚目がなぜか「山下洋輔:クレイ」だった。ジャズ雑誌で知ったのだろうが、どんな演奏なのかも知らず買ってしまった。16歳の高校1年生の冬の事だ。当時の防府のレコード店でも、このLPくらいなら普通に売っていたので、怖いもの見たさ(聴きたさ?)で買ってみたら、ハマってしまった。拒絶反応どころか、「これだ!!」という感じ。当時のジャズ雑誌は、まだフリー・ジャズの記事やライヴ情報は載っていたものだ。阿部薫の記事がリアル・タイムで読めていた頃です。
高校の修学旅行の最終地が東京だったので、お茶の水のディスクユニオンに行って中古LPを3枚購入。ECMの「ミュージック・インプロヴィゼイション・カンパニー」と「デレク・ベイリー&デイヴ・ホランド」、そして「エルヴィン・ジョーンズ:ライヴ・アット・ライトハウス」だった。こんなレコードは田舎に住んでいたらどこにも売っていない時代で、通販という言葉すら知らない頃のお話。どんな演奏なのやら見当もつかないレコードを買うのが楽しみだったのは、この頃から実践していたって事になる。特にECMの2枚はフリー・ジャズですら数枚しか持っていなかった頃なので、一気に100m先まで飛んで行った感覚だった。最初はさすがに???だったが、しつこく何度も聴いて行く内に骨の髄までこれらの音がしみ込んで行ってしまった。なにはともあれこれが私のECM事始めでした。キース・ジャレットにたどり着くのはもっと後になってから。
上京後はジャズ喫茶に入り浸っていたから、相当な数のレコードは聴いている。北新宿に住んでいたので、新宿PIT INNには歩いて行けた。山下トリオのサックスが坂田明から武田和命に代わった初日の演奏を聴いたり、山本邦山~佐藤允彦~富樫雅彦、高柳昌行ソロ&アングリー・ウェイヴ、井上敬三&渡辺香津美等々朝の部から昼の部、夜の部まで色々な演奏を毎月聴いていた。もちろん他のジャズ・クラブやライヴ・ハウスはあっちこっち行っていた。昼間は紀伊国屋で本を漁り、ディスクユニオンでレコードを漁り、そのレコードや本を持ってDIGに行って2時間くらいねばっていた。そんな人間なので、1989年に開店したカフェ・アモレスでも、地元のアマチュア・ジャズ・ミュージシャン達には、開店1年後からは定期的に店で演奏してもらっていた。92年以降は、毎月のように海外のミュージシャンを含め防府に来てもらってはライヴを企画していました。94年にはちゃぷちゃぷレコードを発足させ、どうにかこうにか今も続けています。(ちゃぷちゃぷレコード/プロデューサー)