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特集『私のジャズ事始』

渋谷公会堂で聴いたリズムエース 常見登志夫

背伸びをしてジャズを聴き始めた中学生の頃。お金も知識もなかったから音源はもっぱらFM放送のエアチェックがほとんどだった。幼なじみの同級生(僕より数段ジャズの知識があった)宅の玄関に、南里文雄とホットペッパーズのサインが飾られており、その友人のお父さんが自らの結婚式に南里らの出演を依頼したこと(紆余曲折あって出演はなされなかったが)を話してくれたり、おすすめのレコードを聴かせてくれたりした(スイング系が多かった)。
FM放送のジャズ番組では本格的なジャズがたくさん流れており、新しい世界がその先にあるのを少しワクワクしながら聴いていた。エアチェックしたカセットテープのラベルに僕が「ナッキン・コール」と書いたのを、「ナット・キング・コールだよ」と教えてくれたのも彼だった。

1978年の1月か2月(高校入試の直前だった)、産経新聞の集金のお兄さんにもらったチケットで出かけた、鈴木章治(cl)とリズムエースのリサイタルが私の初めての生のコンサートに触れた経験だった。会場の渋谷公会堂は、毎週土曜日の夜に放送される「8時だョ!全員集合」の収録ホールで、小学生の頃からその公開収録(というか生放送)で何度も通いなれていて馴染みもあった。開演に間に合わない、と焦りながらその幼馴染と渋谷の公園通りを駆け上がった記憶もある。

タダでもらったチケットとはいえ、とてもいい席で、当然ながら周りは大人ばかり。そんなに緊張もしていなかったが、奏でられる極上のサウンドには子供ながらに大興奮した。司会は“ジェット・ストリーム”の城達也だし、ゲストの小っちゃいじいさん(に見えた)松本英彦(ts)は、ものすごいテクニックと大きな音で圧倒された。“スイング”の波が体を突き抜けた。「あ、ホンモノ。」と思った。しばらくしたら化粧の濃いおばさん(に見えた)峰純子(vo)が客席の間のステップを後方からゆっくりと歩いて降りてくる。歌い始めた瞬間、そのベルベットのような透き通った声が体を包んだ。それまで女性歌手はほとんど歌謡曲(アイドル)とかフォークくらいしか知らず、ジャズ歌手というのは本当に歌が巧いんだと思った。その後の訃報で、あの時の峰純子はまだ30代前半だったと知った。ごめんなさい。

長じて夫君の石塚孝夫氏には仕事で何度もお会いしたが、私が初めての生のコンサートで峰のボーカルにしびれた話はお伝えできなかった(ご子息の信孝氏にはお話しした)。松本英彦のホンモノのジャズ・テナーに胸躍った話は細君の佳子氏に、リズムエースのコンサートの思い出は甥の鈴木直樹氏(cl,as)にもお伝えできたのはうれしい。

このコンサートの直後、三宿の交差点近くにあった古本屋(映画や音楽の本が豊富だった)でナット・ヘントフの『ジャズ・カントリー』を買った。ジャズ・ミュージシャンを目指す青年を描く青春小説で、想像していたのとは少し違っていたが、アメリカの(同年代の)若者は自分の将来を考えている、と強く思った(この本の感想を熱く語った高校入試での面接では、同情を買ったのか、幸い合格した)。

この古本屋ではスイングジャーナルのバックナンバーをたくさん買うことになる。最新号は高くて買えず、その後入学した高校の同じ敷地にある大学の図書館で毎月、発売日になると最新号を読みふけるのが常だった。この当時、大した夢などなかったが、スイングジャーナルの編集者になるのもいいな、と思い始めていた。
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常見登志夫 

常見登志夫 Toshio Tsunemi 東京生まれ。法政大学卒業後、時事通信社、スイングジャーナル編集部を経てフリー。音楽誌・CD等に寄稿、写真を提供している。当誌にフォト・エッセイ「私の撮った1枚」を寄稿。

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