JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 54,571 回

InterviewsNo. 248

#179 座談会 〜「JAZZ ARTせんがわ」11年の歩みを振り返る〜 第1回

去る8月、今年限りでの打ち切りが検討されているというニュースが伝えられた「JAZZ ARTせんがわ」。2008年の調布市せんがわ劇場開館とともにスタートし、昨年には区切りの第10回を迎えるなど順調な歩みを続けてきたと思われていただけに、ファンや関係者に与えた衝撃は大きかった。日本を代表する先鋭的なジャズフェスティヴァルとして、最近では海外からも注目を集めるこのイヴェントは、どのように始まり、どのような思いとともに発展してきたのか。一つの節目を迎えた今、総合プロデューサーの巻上公一をはじめとするキーパーソンの面々が、座談会という形で振り返った。今回はそのダイジェストをお届けする。

出席者:

巻上 公一(音楽家/JAZZ ARTせんがわ総合プロデューサー)

藤原 清登(音楽家/JAZZ ARTせんがわプロデューサー)

長峰 麻貴(美術家/CLUB JAZZ 屏風デザイン・キュレーター)

松岡 大(舞踏家/LAND FESディレクター)

村上 理恵(調布市せんがわ劇場専門嘱託員/JAZZ ARTせんがわ運営スタッフ)

2018年10月@調布市せんがわ劇場
取材・構成・写真=安藤 誠
text & photos by Makoto Ando

 

調布市せんがわ劇場の舞台前にて
JAZZ ARTせんがわ2018より(C)Masaaki Ikeda
世界とのネットワークを見据えて

−−−−まず「JAZZ ARTせんがわ」が生まれた経緯から。

巻上 せんがわ劇場が2008年にオープンして、ペーター・ゲスナー(演出家、桐朋学園芸術短期大学教授)さんが芸術監督を3年間任されたことが発端ですね。劇場に芸術監督がいるのはすごくいいことで、予算も含めて全体を見られるし、劇場の個性も出る。最初の段階でペーターがせんがわ劇場の方向性を決めたんだけど、それが非常に重要だったよね。

長峰 調布市は最初、別の方に運営を依頼したんですけど断られて、最終的にペーターさんが引き受けたんです。ペーターさんとしては、安藤忠雄さんの設計ということもあって建物も特徴的だし、他の劇場ではできないものをやりたいという思いがあった。この劇場ならでは、という何かを打ち出したかったんだと思います。

巻上 もっと遡ると、ペーターさんはライプツィヒにいたとき−−−−彼が20代の頃だから1970年代の話だけど、当地で日野皓正さんのライヴを見て感動して、日本のジャズに思い入れがあったらしいんだ。芸術監督に就任して、ジャズを軸にしたフェスをやりたいと。それで、最初に彼の知り合いだった坂本(弘道)さんに(プロデューサーを)打診して、坂本さんから私に声がかかった。

巻上 公一

藤原 私はペーターさんとは、彼の演劇を見に行ったりしていて面識があって、彼から依頼を受けたんです。でも巻上さんや坂本さんとは、その時まで会ったことはなかった。

−−−−立ち上げにあたり、参考にした国内外のフェスなどはありましたか。

巻上 ペーターさんからはその時に日本人が演奏するジャズへの特別な思いを聞かせてもらって、そういう人たちが出演するジャズフェスをやってほしいとは頼まれたんだけど、参考にしたフェスとかはない。全くのオリジナルですね。あえて言えば、ジャズを掲げていながらジャズに拘らないというか。「ジャズを既成の概念にとらわれず広範囲で捉える」というのは、ヨーロッパでは浸透しているんだけど、日本のジャズフェスはまだまだ商店街の広場でやるようなイメージが強くて。もっと芸術的な価値を求めることが大事なんじゃないかと。

そのために必要だと思ったのは、世界と関わるということ。いわゆるメジャーなシーンで活躍しているアーティスト以外にも、日本には世界で活躍する素晴らしいミュージシャンが沢山いるし、そこには世界の音楽とのネットワークがある。何故日本では彼らを呼べるようなフェスがないのか?だったらこの場所をそんなフェスにしよう、というのが最初のコンセプトです。

−−−−そこから中身を作り込んでいったと。

藤原 いや、プロデューサーの3人が初めて顔を合わせた時点で、開催まで4カ月切ってたから。ペーターも焦ってて。あまり細かいことを煮詰める時間はなかった。何はともあれブッキングできる人を呼ぼうと。

藤原 清登

巻上 勘だよね(笑)。とにかく周りを巻き込んでいこう、ということです。でも今思うと、全然準備期間がなかったにもかかわらず、第1回でその後につながる形はほとんど出来上がっていた。自由即興、様々なミュージシャンが参加するコブラ、子どもたちや地元の商店街とのコンテンツ……。たまたま本当に才能がある人が集まってくれていたからできた、というところはあったね。でもそのお陰で、劇場の堅いイメージからはみ出す形が実現したと思う。近隣のお店からも次から参加したいという声をもらったり、次の年以降につながる形ができた。

飼い慣らされた音からの解放

−−−−「劇場からはみ出す」という考えは当初から?「CLUB JAZZ屏風」はその象徴ですね。

長峰 最初からたくさん盛り込んでいましたよね。「CLUB JAZZ屏風」は、最初はとりあえず何か箱を作ってと言われて、プロデューサーの皆さんに大まかな説明をするところから始まったんです。寺山修司の市街劇から発想を得ていて。海外のフェスで見た、段ボールに絵を書いていって、最後に崩壊するみたいなパフォーマンスを念頭に置いていて。立体模型でイメージを確認している時に開くパーテーションをながらペーターさんが「なんか屏風みたい」って発言して、それで巻上さんが「CLUB JAZZ屏風だ!」って、その名前になりました。

実は打ち合わせに行った日、どなたかが作っていたポスターのデザインが瞬殺されていて、巻上さん超怖い!この人にはちゃんとしたモノを出さないと駄目だ!と思って、徹夜して模型を作ったのを覚えています(笑)。

長峰 麻貴

巻上 中に入ると、シュールレアリスムの世界。ポルトのアートフェスティヴァルで、フランスのDJが段ボール箱で狭い部屋を作り、沢山の人を押し込めてやってて。その中で皆が踊るものだから段ボールが壊れて、壊れた時点で終わり。そういうのを見て面白いなと思っていた。「狭い」って、いいと思う。ここの劇場も、本来はフェスをやるには小さいんだけど、それが「いいデメリット」になってる。狭いゆえに、親密さをテーマにするという考え方が生まれてきた。

−−−−そのあたりが、毎年掲げている「feral intimate alive ~野生に還る音 親密な関係 生きる芸術~」に繋がるのでしょうか。

巻上 飼い慣らされた音楽は安心感がある。比喩的にいうと、野鳥を飼い慣らしてペットにするのではなく、逆に飛び出して野生化(feral)する、ペットだったのものがもう一度野生に還る、というイメージを、このフェスでは思い描いていたわけです。フィル・ミントンというヴォイスパフォ―マーがいるんだけど、声は社会制度と関係があるという考え方をベースに、社会制度化した声を野生に還すという試みをやっていて。feral choir、日本語では野生の聖歌隊と訳されているんだけど、通常コーラスで使わない飛び出した音を使ったりね。そんなところから発想を得て、プロでなくても意志があれば参加できる「自由即興」や、詩人を入れたりとか、寺山修司的な発想の街頭演劇的な「JAZZ屏風」も生まれてきた。

フェスのタイトルを「JAZZ ARTせんがわ」にしたのも、ジャズという言葉の日本でのポジションが非常に狭いと思ってて。本来はもっと広いはずなので、イメージを広げるためにアートという言葉を使ったんです。私自身ジャスとは言えないけれど、でも海外のジャズフェスにはよく呼ばれるしね。

仙川の街とリンクする

−−−−演奏家がプロデューサーを務めているのは、「JAZZ ARTせんがわ」の特徴でもありますが、運営や資金管理も含めて全てを担うのは大変では?

巻上 大変と思ったことはないけど、やはり全てには行き届かないですね。そのあたりは村上さんがすごく頑張ってくれている。

村上 他の劇場では、制作そのものを委託して運営されている形も多いと思いますが、ここは開館した時から劇場自身でプロデュースするという体制だったので、自分たちでやるしかなかったです。正直、十分なプロモーションをするにはお金は足りていませんけど。ただ、大きな宣伝をしていないからリスクも少ないし、いろいろなことが把握しやすいという面はあると思います。ある意味、コツコツと広がってきたフェスですね。

藤原 開催期間中、駅前や商店街の一つ一つの電柱に旗をあげて宣伝していたりね。ああいう手作りのプロモーションは、海外のフェス感に近い感じもあって良かったと思う。劇場だけでなく、街としてやっている感も出したかったしね。屏風もその一つで。

長峰 JAZZ屏風は駅前が恒例なんですが、なかなかそこでやらせてもらえなかった。最初のうちは、雨の心配もあるし時間を決めずにやっていました。時間を決めて外に出すようになってからは、ミュージシャンの方もやりやすくなり、ライブ的なものに変わってきました。屏風はミュージシャン同士の交流の場にもなっています。

村上 屋外でやるJAZZ屏風は、自然と多くの人の目に触れることになるので、劇場内での「JAZZARTせんがわ」の印象にダイレクトに繋がってしまう。それもあって、JAZZ屏風はいい形にしたいと劇場側も気を使っていたところはありますね。

−−−−街と繋がるという意味では、5年前からはダンサーとミュージシャンが仙川の街を巡りながら即興ライヴを行う「LAND FES」が同時開催イヴェントとして加わりました。きっかけは?

松岡 2014年に高円寺で開催したとき、巻上さんが観に来てくださったんです。

巻上 観て、瞬間的にいいと思ったね(笑)。

松岡 もともとは独立したイヴェントとして2012年からいろいろな街で行っていたのですが、「JAZZARTせんがわ」にお誘いいただいたことで、LAND FESも成長できたという実感があります。仙川の場合、せんがわ劇場というベースがあるのが大きくて、運営側にとってもお客さんにとっても、ある種の安心感が持てる。あと、街を回遊するという性格上、仙川の街の規模感というか、コンパクトさがちょうどいいというのもあります。とはいえ、開催できる場所やお店を探すのは、正直なかなか毎回難しいです(笑)。でも、すごく興味を持ってくださる方もいらっしゃって、それはとても有り難いですね。

松岡 大

−−−−10年間を振り返ってみて、「JAZZARTせんがわ」はどのようなイヴェントに成長したでしょうか。

長峰 「JAZZARTせんがわ」には、音楽だけでなく、絵画やダンス、演劇、詩まで、表現の要素が全部入っていますよね。

藤原 本来そうあるべきなのです。音楽だけでなくそれぞれの文化が影響し合えるような場を作らなければいけない。それを人が観に来てくれることが大事で。繋がりができる場所に芸術が発生する、そこでまた出会いがある。そんな場になったと思います。

全体が1つの方向を向いているイヴェントって、実はそんなにない。お客さんにエンターテイメントしてくださいという方向ではなく、親密な関係性の中で、どうやったら生き生きしたものができるか、それを問うていくのが本来の発信力だと思う。世界に向けて発信できる、知らない物に触れる仕掛けを、劇場が作っていかないといけないと思います。

巻上 お客さんは年々増えているし、リピーターの数も。地元の人がどれだけ来てくれるかポイントだとずっと思ってたんだけど、それも増加してきているしね。自由即興のレヴェルもすごく上がっている。そういう意味では、まだまだこれから面白くなるフェスなんだけどね。

 

 

「JAZZ ART せんがわ」の成り立ちとコンセプトを中心に話が進んだ今回の座談会だが、当日出席できなかった関係者を交えた第2回も年内に予定されている。次回は、10年間で生まれた数々の名演、知られざるエピソードなど、この稀有なイヴェントの歴史を、年ごとにより詳しく振り返ってくということなので、そちらも実施後に改めて紹介したい。

JazzTokyoに掲載された関連記事のアーカイヴ(一部);
2018
https://jazztokyo.org/category/features/jazzart-sengawa/
Land Fes 仙川2018
https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-31607/
2017
https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-20041/
Land Fes 仙川2017
https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-20096/

安藤誠

あんどう・まこと 街を回遊しながらダンスと音楽の即興セッションを楽しむイベント『LAND FES』ディレクター。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください