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InterviewsNo. 290

Interview #248 吉野弘志 bassist

photo above:Maki Nakano
Interviewed by Maki Nakano 仲野麻紀 2022年5月20日 東京・西荻窪

photo:©高木真希
ーコントラバスくらい弾けるじゃろうがー

今年ソロによる新作アルバムを発表された吉野弘志さん。
楽器、音楽との出会いから高校時代のドロップアウト、芸大時代からプロ活動、長きキャリアの中にある吉野さんがつくる音楽の幅の謎解き、ジャズ、ミュージシャンの大先輩にインタビューする機会をいただきました。

広島で生まれ育った吉野さん。楽器との出会いは友達が弾いていたヴァイオリンだったとか。

「僕は市営住宅に住んでいまして、そこで同い年の子がヴァイオリンを弾いていたのです。僕も弾きたい、なんて親に申し出まして、5歳から始めました。広島カープの山本一義さんの家族も同じ住宅にいらして、彼の弟さんに遊んでいただいたりしましたね。音楽の方向へ行くターニングポイントとなったのは、広島の街で救世軍の小編成のバンドで吹いていたコルネットの名手、彼に憧れましてね。ボーイスカウトに入団し、また吹奏楽部でトランペットを吹きました。生徒会長なんてものもやったんですよ。」

そして高校時代にカミュ、サルトル、実存主義の本を読み始め、進学校ではあったもののこのまま進学するのか迷い、ドロップアウト。
パチンコ屋に通うと同時に先輩に誘われて弾いたベース、聴く側としてジャズ喫茶へ通うことになる。はじめてのジャズはマイルス、ガレスピー。

やはりヴァイオリンを弾いていたという下地は大きいですか?

「そうですね、同じ弦楽器ですから、コントラバスぐらいひけるじゃろ、と思って始めたのですね。」

その後芸大入学を機に上京し、東京での音楽生活が始まる。

「当時は基本的な練習の毎日であると同時に、先輩たちからオーケストラのエキストラの仕事などですでにギャラをもらっていました。結局6年で中退したのですが…。

ージャズへの憧憬ー

「広島時代は聴くのみで、実は東京へ行くまでその後バンドで演奏することとなる坂田明さんの存在さえも知らなかったのです。高校時代からスタンダードジャズを聴き、アケタの店の昼の部などで演奏するも、フリージャズの世界へは坂田さんとの出会いから開眼したのかもしれません。アケタの店の店主であるピアニストの明田川荘之さんとは1978年からの付き合い。初めての演奏旅行は明田川さんとで、北海道、東北を回りました。だからこそ、あの震災の後はどうにもこうにもやるせなかったです。東北の方々の音楽を求める熱い思いにとても勇気付けられ、それに支えられて音楽活動を続けられた気がしているのです。ですから彼らに対して不義理というか、お世話になった方への思いが拭えません。

ー”できあい”、”いかにも”という音楽ではないものー

「フリージャズだとかスタンダードジャズだとか、名称されるできあいの音楽には興味はないのです。
石渡明廣 (G)、元生活向上委員会の吉田哲治 (Tp)、田中倫明 (Per)と“才能分裂”というバンドを始めました。そしてその後”モンゴロイダーズ”林栄一 (Sax)、加藤崇之 (G)、小山彰太 (Ds)、吉野弘志 (B) の母体となります。時代の中にあったパワーだけで演奏しきる音楽ではなく、淡々と奏でるメロディーの中に深みを、あるいは高みを見出したい、そんなシンプルな音楽への欲求から始めました。当時、あるいは時代というのかな、激しい演奏をすることに価値があるような空気の中で、”いかにも”な型にはまった音楽ではないものを求めていたのです。」

広島という郷里にアインデンティティを感じることはありますか?

「僕は冗談で”瀬戸内チンパンジー体質”、なんて話すのですが、天変地異が少なく、楽観的な部分があるかもしれません。元来広島人はブラジルやハワイに出向いたように、外へのベクトル、それらの地で生き抜く術を持っているのではないでしょうか。」

わたしは吉野さんの演奏をパリで聞いています。あの時は金子飛鳥さんでのグループでしたね。バンドの厚みが会場に響き渡っていたことを思い出します。多々国外で演奏されていますが、遠征中印象的な音楽との出会いはありますか?

「飛鳥さんとのツアーで、モロッコの古い馬小屋を改造した小ホールで演奏したのですが、その時同じく出演していた吟遊詩人によるウードの響きに魅了されましたね。また振付家の中馬芳子さんとの公演で演奏したマケドニア。ロシア正教の教会とイスラム教の祈りの知らせであるアザーンが共存する世界が印象に残っています。」

ジャズと並行してウード奏者の常味裕司さんとも演奏をされていますね。今回のソロアルバムでもチュニジアの作曲家の曲があったりしますが、アラブ音楽の影響はどのように?

「最初は揚琴奏者のチャン・リン (張林)さんとの演奏活動の中で知った新疆ウイグルの新疆風謡でしょうか。
また1985年くらいかな、坂田明さんのバンドのリハーサル合宿へ向かう道中、車の中でスーダンの歌手でウード奏者のハムザ・エルディーンの演奏をカセットで聞いていたんですね。とてもはまっていたというか。その当時坂田さんのバンドは西洋的な方向性だったのですが、実はハムザさんが奏でるソロの孤高の音世界の方に惹かれていたんですね。常味さんもウードを知ったのはハムザさんの演奏がきっかけだったとおっしゃっていましたね。
あの当時、ハムザさんの音楽がアラブ音楽であったという意識もありませんでした。」
「ジャズ以外の音楽への興味、というとやはり芸大時代に聴講した小泉文夫先生の音楽通史で聞いた、あのマサイ族。”首狩がうまい種族のポリフォニーはコーラスがうまい”という先生の分析は面白かったですね。」

門切り型の質問ですが、好きなベース奏者は?

「たくさんいすぎて困りますね。ミンガス、チェンバース、サム・ジョーンズ、もちろんヘイデン。レッド・ミッチェルの理知的な歌心にも憧れますね。そうそう、オマさん(故・鈴木勲 氏)もレッド・ミッチェルが好きだったみたいですね。」

今回のアルバムの構想はどのように生まれたのでしょうか?

「ずっと以前から年に3回くらい土曜日の深夜にアケタの店でソロライブをしていたのですが、2019年の暮れに、アケタの店の島田君がノイマンのマイクで録ってくれたんですね。それがきっかけで何回も録音しました。お店には1978年から出演していますので、ホームグランドでの録音となりました。」
そしてアルバムのジャケットを考えた時、同じくベース奏者である須川崇志さんの作品で知った北見明子さんにお願いしたくなったのです。そして彼女に音源を送ったところ、そのレポンスとして彼女が作品を生み出してくれました。そしてお互い音と平面の作品の交通によってこのアルバムができたのだと思います。」

ー「空想の歴史」ー

それぞれの曲に思い入れがあるのではないでしょうか。特に最後の曲 Shenandoah シュナンドーはその旋律もさることながら唱歌の意味、解釈、それに対する吉野さんのライナー解説の英訳から深く聞き入ることになりました。
“新大陸への移民たちが、自然と共に生きる先住民族の姿を見て、自分たちの故郷と生命に改めて思いを馳せ…空想の歴史…”とライナーで書かれていますが、少しお話していただけますか?

「まずあの曲がもっているアイルランド系の旋律の魅力ですね。そして連綿と歌い継がれる所以、アメリカ先住民と新天地としてやってきた人々の歴史、背景。日本語で書いたライナーノーツを英訳してもらったのですが、それを以前に共演し、歴史的なアメリカの話を交わしたピアニストのバート・シーガーに読んでもらったのです。すると彼は ”Hirosiが綴った言葉、伝えたいことがリスナーに誤解を生むのではないか”とアドバイスをくれたのです。この曲を演奏するにあたり、僕が考えていることを英語で的確に表現し、それを日本語に訳す。そんな作業の中で紡がれた言葉、それが「空想の歴史」です。対になってしまう可能性を孕む両者の文化。対立ではなく融合、この曲をどのように捉え演奏するか。時間をかけてこその作品になったと思います。」

吉野さんは文芸作家の方々の朗読+ベースという形式のライブを長らくされていますね。

「最初は山田詠美さんの発案で、同時に西荻コニッツというジャズバーの今は亡きオーナー中田道也さんのアイデアでもありました。彼は下北沢のレディー・ジェーンで働いていらして、いわゆる暖簾分けのような立場でコニッツを始めたんですね。そして高柳昌行さんのお弟子さんでもあったのです。山田詠美さん、奥泉光さんを中心に+もう一人という構成で始めました。
すると作家が作家を呼び…谷川俊太郎さんや綿谷りささん、あるいは山下洋輔さんも作家として参加。
最後に予定していたのは田中慎弥さんでした。
朗読するに一番喜んでいるのは作家さんたちでしたね。各人が読む自身によるテクスト、そして2ndステージでは彼らが選ぶ文章という構成でした。」

ーなんでかわからないけれど面白い、そんな音楽。ー

古典から現代音楽、時代を牽引するジャズマン、アイヌのアトゥイ氏率いるアイヌ詞曲舞踊団、そしてソロ。八面六臂な活躍ですが芯にあるものは何でしょうか?

「”きちんとできるということに固執してそれをやる”、ということには興味はなく、また方法論にそってやるのはつまらないと思うのです。
なんでかわからないけれど音楽が奏でられて、それが面白い、あるいはただ単にいい音楽、と言えること。それだけなのではないでしょうか。」

インタビューを終え写真を撮影することに。行きつけの店内に入ると「アルフォンシーナと海」がかかっていた。

仲野「このバージョン、いいですね、吉野さんの演奏じゃないですか?」
吉野「え、違うと思うよ。」

するとオーナーは「これ、吉野さんの演奏ですよ。」

顔を真っ赤にして苦笑いする吉野さんの姿、お人柄が滲み出る場面であった。

ー「どうしてそうなったかわからないけれど、結果面白ければ、いい音楽であれば、いいんじゃないかな。」

この軽装を纏う言葉がでるまでに、どれだけの時間の修練と思考の旅が行われてきたことか。
ソロ公演直前の練習時間を割いてインタビューに応じてくださった吉野さんに感謝致します。

♫. 関連記事(CDレヴュー by 仲野麻紀)
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仲野麻紀

サックス奏者。文筆家。2002年渡仏。パリ市立音楽院ジャズ科修了。フランス在住。演奏活動の傍ら2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を手がけるopenmusic を主宰。さらに、アソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)をフランスで設立、日本文化の紹介に従事。自ら構成、DJを務めるインターネット・ラジオ openradioは200回を超える。ふらんす俳句会友。著書に『旅する音楽』(2016年 せりか書房。第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞)。CDに『Open Radio』(Nadja21)。他多数。最新作は『渋谷毅&仲野麻紀/アマドコロ摘んだ春』(Nadja21)。

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