#2183 『吉野弘志/無伴奏ベース組曲~Prelude to Isfahan~』
『Hiroshi Yoshino / Unaccompanied Bass Suite ~Prelude to Isfahan~ 』

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text by Maki Nakano 仲野麻紀

nbaba Record  NBABA001  ¥2,750(税込)

吉野弘志 (acoustic bass-solo)

1.Prelude to Isfahan (吉野弘志)
2.Mary Hartman,Mary Hartman (White Barry)
3.Round Trip (Ornet Coleman)
4.牧歌 (モンゴル民謡)
5.Rumeli Karsilamas (トルコ民謡)
6.Where are You ? (Jimmy McHugh)
7.All The Things You Are (Jerome Kern)
8.花よ、なぜ紅い (タジキスタン民謡)
9.Sama’i Maya (Al Taher Gharsa)
10.Ask Me Now (Thelonious Monk)
11.半分の月 la mitad de la luna (吉野弘志)
12.Shenandoah (アメリカ民謡)

Recorded at アケタの店 東京・西荻窪
Engineer: 島田正明
art work: 北見明子

 

エリントン、モンク、オーネットと、モンゴル、タジク、オスマン、アメリカのフォルクローレがなんだか美しい籠の紋様を編んでいるような

弦一音、嗚呼この一音が我々の耳に届くまでにはどれだけの、どれだけの時の重なりを奏者は経てきたことだろう。

ジャズをお題にジャズの定義たるものを人々は思索する。歴史的事象から、人種的あるいは地勢からの解釈。
カテゴライズされているジャズというものがあるという事実。いやもっとアグレッシブにいえば狭量的ジャズが存在していることも確かだ。

ベース奏者吉野弘志さんの最新ソロアルバム 「無伴奏ベース組曲 Prelude to Isfahan」。
無伴奏と称するこのアルバムには、幾多の人類、幾多の息、幾多の土地に生きた、なんだろう気配のようなものが漂っている。
あるいは土地土地にある籠の、人々が編むことによって生まれる紋様が、また別の土地のそれと共鳴しているように、収録された曲同士がこのアルバムの美しい紋様を編んでいるようだ。
長らく西荻窪にあるアケタの店で深夜のソロライブをされてきたベース奏者の音は、吟遊詩人が深夜の聴衆に語りかけるように、一音一音を確実に我々に届けてくれる。
ジャズのレジェンド達の作品の解釈とレポンス、彼の演奏に身をまかせ、例えば「All the things you are」 、ベースである故の単音、所々に覗くハーモニー、そして最後に現れるジャコパスを彷彿させる妙に、微笑まずにはいられない。オーネットの叫びが「花よ、なぜ紅い」というタジク族の歌と共震し、モンクのつぶやきがモンゴルの「牧歌」へ呼びかける。
「Rumble Karsilamas」や「Sama’i Maya」で奏でられる微分音の心地よさ。
チュニジアの2+2+2+3、あるいは3+2+2+3=10拍子の中で繰り広げられる微分音が耳に触れる質感。マカーム(旋法)を熟知した者が紡ぐ旋律。
コントラバスがフレットレスであるからこそ演奏可能である音は、理である。彼が感知し習得し奏でる微分音は、いつか彼自身の音楽の軸になる。
表面的な音楽の旅などでは毛頭ない。
音楽を語るに経験というものほど演奏者の盾になることもない。すべては吉野さんの経験の中で豊饒さを得た音だ。
一人の人間が固執するはずの出自をことなきことの如くどこかに放ち、それによって得る無限の音。
中上健次の言い回しを借りれば、ージャズによって世界を認識するー。「地縁・血縁」を借りずに、かといい真似ごとではなく自身の音楽として演奏をする。
「半分の月」チリの詩人ネルーダに触発された曲はいつのまにかインド音楽古典ラーガの世界へ我々を誘う。
「成田雲竹をね、もう何十年も前に聞いて、メジャーでもマイナーでもない音の在り方の印象が残っているのです。」という彼が描く音世界の深淵を知ることとなる。
音列空間。音の粒が個体の核であると捉えた時、その粒と粒が列を成すには個の外にある何か、ネルーダの言葉との出会いにより生まれる音の世界。

カテゴライズされない音楽を語る際、越境、という言い回しをよく耳にするが、今やそれさえも情勢的あたり前のことで、人々は生きるための地を求め国境を越え、場合によっては地中海の藻屑、生態系循環のひとつのエレメントとなるしかない運命もある。厳冬であれば雪の下に埋もれたまま祖国を後にするしかない人々だっている。
作品最後の曲「Shenandoah」は、国を後にするしかなく、しかし身体にとどまる旋律を携え新天地にたどり着く者、また土地を追われる者にとっての郷愁として残る音楽のつぶやきとしての”歌”を、想像という行為により吉野さんが演奏をする。
演奏者によって促される音楽を伴った”架空の歴史”。架空は今はきっと他人事だろう。しかし、もう一歩、架空はわたしたちの未来であり、その現実に反応する機会を音として提示しているようだ。と、わたしが堅苦しく語ったところで、吉野さんはきっと、

「なんだかわからないけれど、面白い音楽になった。」(インタビュー  参照リンク)と言い躱(かわ)すのだろう。

アーティスト北見明子さんへ出来上がった録音を送り、それに彼女が応答してできあがったブックレットには、この作品がアート作品でもあることを示している。
さて、アルバムのサブタイトルであり、一曲目を飾るPlelude to Isfahan。この前奏曲は、デゥーク・エリントン楽団が1960年代に米国務省の使節団としてアジア地域を回った際できた曲Isfahanへのメタファーといえる。彼が紡いできた音楽人生の深みと、人類の歴史が始まってこのかた、雄大な音楽絵巻として忘れてはいけなペルシャ文明の地。ジャズレジェンド達が得た個体の外との邂逅を、ジャズに生きるひとりの人間として吉野さんは前奏曲として応答したのではなかろうか。
ジャズは、過去を、未来を、そして今を生きるわたしたちに寛容である、と吉野さんのソロアルバムは教えてくれた。

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仲野麻紀

サックス奏者。文筆家。2002年渡仏。パリ市立音楽院ジャズ科修了。フランス在住。演奏活動の傍ら2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を手がけるopenmusic を主宰。さらに、アソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)をフランスで設立、日本文化の紹介に従事。自ら構成、DJを務めるインターネット・ラジオ openradioは200回を超える。他にInterFM:Song x Radio-old and new dreams-も。ふらんす俳句会友。著書に『旅する音楽』(2016年 せりか書房。第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞)。CDに『サイクルズ』(DU)、『Anthology Vol.1』(Plankton) 他多数。最新作は『openradio』(Nadja21)。

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