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InterviewsNo. 302

#262 環大西洋文化研究 中村隆之

中村隆之

早稲田大学法学学術院教員。カリブ海のフランス語文学を中心に、広くアフリカ系文化に関心を寄せる。エドゥアール・グリッサンの研究から出発し、近年はフランス語のアフリカ系雑誌『プレザンス・アフリケーヌ』の共同研究を東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所を拠点に進めてきた。近著に『環大西洋政治詩学』(人文書院)『第二世界のカルトグラフィ』(共和国)『魂の形式 コレット・マニー論』(カンパニー社)『野蛮の言説』(春陽堂書店)『ダヴィッド・ジョップ詩集』(編訳、夜光社)。共編の雑誌特集にPrésence Africaine 70 – Tokyo; Vers de nouvelles perspectives politiques et culturelles (2020)。
2023年5月から在外研究中。

・早稲田大学ホームページ:https://w-rdb.waseda.jp/html/100001277_ja.html
・Twitter:https://twitter.com/n_a_k_a_m_u_u

インタビュー:仲野麻紀 2023年5月パリ


共与・円環・関係の詩学
歌と詩、カリブ文学とブラックディアスポラ

──フランスのブルーズ歌手、コレット・マニー ──

仲野:お会いするのは二度目ですよね。2020年1月に京都で行われた文化人類学者の故・渡辺公三さんを偲ぶ会で、平凡社の故・松井純さんにご紹介いただき…。

中村:いや、じつはその前に仏文の翻訳者を交えた会で一度お会いしているのですよ。

仲野:まさかパリで再会できるとは思いませんでした。

『魂の形式 コレット・マニー論』をカンパニー社から2021年12月に上梓されました。カリブ海文学者という中村さんのイメージでしたが、音楽それもフランスの知られざる歌手・音楽家の本の著者として、まずは中村さんの音楽体験を伺いたいと思います。

中村:高校時代はロックを軸にプリンスとディヴィッド・ボウイ、そしてもちろんソウル。聴くという心地よさを体感していました。
その後仲良くしていた非常勤の先生からパスカル・コムラード、もちろんブリジット・フォンテーヌなども教えてもらいました。
コレット・マニーは、明治学院時代に学友から知ることになります。その学友は大里俊晴さん経由でマニーを知っていた。わたしが大里さんのことを知るのはずっと後です。一般にマニーは知られざる歌手ですが、去年フランスで、エドゥアード・グリッサン (*1) の大きなシンポジウムに出席した際、参加した方々はマニーを歌手として、また音楽家として知っており、少なからず驚きました。

仲野:あとがきにも「コレット・マニーを論じた本を書くことになるとは…」と書かれていらっしゃいました

中村:そのきっかけとなるのはわたしの研究対象でもあるカリブ海文学~ブラックカルチャーからの発端でもあります。
またMai 68 / 1968年5月の周年としてマニー作品の再版を機に、改めて彼女の軌跡を、亡き大里俊晴さんの遺品に眠るマニーのカセットテープ録音、様々な資料から執筆に漕ぎだしました。

仲野: わたしの周りのフランスのミュージシャン、友人も彼女の存在を知らない人はいません。
その彼ら彼女たちが語るマニーは、憧れと理想、そしてユゴーを、アルトーを題材にした彼女の歌を自らのアイデンティティーであるように語ります。
彼女の存在は大衆性であり、その大衆とは 政治的意識、行動、思考が大衆としての当然の在り方、その先にマニーがいる、という事実かもしれませんね。

中村: 様々な相関関係の中にマニーというミュージシャンの存在があります。
彼女を媒介にすることによって、色々な物ごとがつながっていくのです。
当時、まだ音楽の聴き方もわからないなりに、ピアニストのフランソワ・テュスクも参加している、わたしが一番好きなアルバム『Répression』(1972年)を聴き深め、『Visage-Village』(1977年)の中に聞き取れる情念に取り憑かれました。
マニーはアントナン・アルトーから決定的な影響を受けて、アルトーを「兄」として、精神病院に収容されてしまったこの呪われた詩人の魂に共振する歌い方を求めてきます。そういった彼女の在り方の魅力もそうですし、社会から疎外されてしまった、精神に「障害」をもつ子どもたちと一緒にアルバムを制作しました。一度聴いたら忘れられません。マニーの表現の革新性のなかにはつねに弱きものたちへの連帯が認められます。それはたとえばアカデミー・シャルル・クロ名誉賞を受賞するアルバム『Kevork』(1989年 -1990年)の中に登場するホロホロ鳥であり、そこで示されるのは、世界各地のさまざまな苦しみです。

仲野: 19歳でOECD (経済協力開発機構) に就職し秘書として働いていた彼女が突如歌手への道へ歩むプロセス、マニーが英語で歌う所以、ブラックパンサー党、いわゆる政治的シャンソン、あの声、そして共演したフランスの当時のフリー・インプロヴァイザーたち。時にジャズのスタンダードをレパートリーにするところや読みどころ満載ですが、何よりやはり最終章に、論考としてこの本の白眉が読み取れます。
彼女と世界、彼女が介した円環的世界へ我々をいざなうマニー。

中村: ミュージシャンにそういっていただけるとうれしいです。国営ラジオフランスにはアーカイブとして、彼女がホロホロ鳥に関して語る音源が聞けますよ。

・国営ラジオフランスの番組「フランスカルチャーの夜」の音声アーカイブhttps://www.radiofrance.fr/franceculture/podcasts/les-nuits-de-france-culture/la-pintade-deesse-des-rivieres-et-de-l-amour-racontee-par-jean-marie-lamblard-et-colette-magny-3978733

 

──カリブ海文学・エドゥアール・グリッサン──

仲野:ある時、中村さんがジャック・クルシル Jacques Coursil *2  (ディスクユニオンではコーシルと表記)のことを語っている文章を読みました。
わたしは彼のワークショップにパリで参加したことがあり、その時彼から循環呼吸、そして演奏者としての在り方を学びました。中村さんはどのような機会でCoursilを知ることとなったのでしょうか?

中村:マルティニック時代です。カリブ海文学、特にエドゥアール・グリッサンの研究でマルティニックに一年間いました。
クルシルはグリッサンの生前最後の参加となったカルベ賞授賞式の際、グリッサンの詩をコラージュした作品「大いなるカオス」を演奏し、同時にこの詩の朗読をされていました。
https://mangrove-manglier.blogspot.com/

仲野:なんとそのつながりの中に閃光を放つのが、エドゥアール・グリッサンなのですね。彼との出会いは?

中村:学部4年の時、西谷修さんが授業で取り上げてくれました。さかのぼると3年の時、陣野俊史さんの授業でグリッサンに触れています。そこからクレオール文学への興味を持ち始めました。

仲野: 専門であるカリブ海文学、特に翻訳もされているグリッサンのことをお聞かせください

中村: “奴隷”、”植民地”、そういったキーワードからではなく、グリッサンが描く叙事詩的小説の力に魅了されたのです。たとえば、1958年に刊行された『レザルド川』。第二次世界大戦終結直後のマルティニックの若者たちが政治意識に目覚めていく物語です。戦後脱植民地化の流れ、集合としての主体が独立に向けて動きだす躍動。
個がある種の集合体としての未来へ向かう、それを描く作家の力に感化されました。
書かれたものに突き動かされた、というのでしょうか。

もともと平均的な凡庸な人間であると自覚はしていたのですが、高校生の時、一人で観にいった「731部隊」の巡回展の後、いわゆるアイデンティティ・クライシスに陥りました。
高校生活というルーティーンの中で普段出会うことのない衝撃でした。
細菌兵器開発のための人体実験という、人が人として扱われないという事実、そういうことをやった医師たちが、平然と戦後にも社会的地位を保ち、たとえば東大の教授になっているという、理不尽な世界への疑問。自己錯視といいますか。そういう意味では、同世代の雨宮処凛さんの当時の生き方には共感がもてます。雨宮さんの場合は自分の居場所を右翼団体のうちに一時期求めていったわけですが、そうした行動も実感としてわかりつつ、あのバブル終焉後、漠然と勝手に生きて良い、という空気感の中で、自分が生きている理由もわからないまま存在への不安を抱いていました。
しかしそこにグリッサンの小説に強烈なインパクトを得たのです。彼の書いたものに突き動かされたのです。

仲野:これからの展開を教えていただけますか?

中村:これまで20世紀、学校教育の中でメトロポール (フランス本土) に留学することができる人々の文学を研究してきました。セゼール、サンゴールなど植民地の構造の中でいわゆるハイカルチャーとしてのアフリカをルーツにした人々の文学です。いまわたしは、文学とは、アフリカ系の文化のなかの表現だけれども、それは数あるなかの一つだったのではないかと捉え直しています。その意味でこれから注目していくのは、音楽です。音楽こそ、アフリカ系の文化の基層をなしていると考えるからです。目下ある媒体で、音楽をテーマにした連載が始まります。ブラックディアスポラの継続、奴隷制社会のなかでも持続していったと考えられる、植民地以前から続く口承の文化に注目します。

仲野: グリッサンの “écho-monde 共鳴-世界”、あるいは “共与” には世界との関係、俯瞰的にそしてその視点の解像度をあげれば自ずと個体が表出します。中村さんはグリッサンを介して「関係」という貴重なキーワードを発しています。

中村:他者との関係の中にしか自分はない、と考えています。そしてそれは交流=交換でもあるのです。

 

── グリッサンに「過去の予言的ヴィジョン」という表現がある。
ジャズ、クレオール、大西洋、円環、そして関係の中から生まれる共与(これはグリッサンの言葉)。
日本にいる場合限りなくアメリカ経由、イギリス経由のブラックであった、ブラックカルチャー。
関係を介する直接性を、中村さんは音楽、そして書くことで我々にその世界をみせてくれるのだろう。
インタビューの場となったのは、2006年に開館したケ・ブランリー美術館 (Musée du quai Branly)。
いみじくもちょうどレオポール・セダール・サンゴール (独立後のセネガル初代大統領で詩人)の「サンゴールと美術」が行われていた。すると1966年にダカールで開かれた第1回黒人芸術祭(Festival mondial des arts nègres) の機会にセネガルを訪れたデューク・エリントンとジミー・ハミルトンの演奏風景の写真が展示されていた。1963年-64年、アメリカ合衆国の親善大使として東方見聞録的音楽体験を音に残した『極東組曲』を1966年12月に発表したエリントン。
村さんによる細かな説明を聞きながら、エリントンが体験したサハラ以南アフリカン・カルチャーへの憧憬とレスペクト。
一方通行の音楽的感知のベクトルが過去を通じて未来に通じる道筋に光が差したような気がした。

中村さんが綴る、音楽を発生とする文章の醍醐味を、これからわたしたちは真の書物として読み、味わうことになるだろう。

最後に、同じくグリッサンの翻訳者でもある管啓次郎さんとの対談タイトルを引用させていただこう。

Le passé est toujours à venir.「過去は常にこれから到来する」(図書新聞3419号 2019年)。

 

*1 Édouard Glissant エドゥアール・グリッサン
1928年マルティニック生まれ。父親は砂糖プランテーションの会計官・監督官であったが、家は貧しかった。学業優秀で、島の名門シェルシェール高等中学校を卒業して、パリ大学に留学。哲学を専攻するが、学士号を取得した後、作家として立つ道を選んだ。ネグリチュード運動を興したエメ・セゼールの次の世代を狙う立場から、カリブ海人──主としてアフリカから連れてこられた黒人奴隷の子孫たちを念頭に置いている──はすべからくカリブ海にきちんと根を下ろすことから始めなければならないと説いて、西欧崇拝やアフリカ回帰に立脚したアイデンティティーの形成を批判した。作家・思想家としてのグリッサンは、シャモワゾーやコンフィアンといった若い作家たちに甚大な影響を及ぼしている。(みすず書房サイトより)

*2 Jaques Coursil ジャック・クルシル
マルティニック移民の両親を持つフランス生まれのトランペット奏者。60年代に、アンソニー・ブラクストン、サン・ラ、サム・リヴァースとの共演歴を持ち、自身も2作のリーダーアルバムを残すも、音楽活動から離れ大学で一般言語学、数理論理学の博士号を取得。(Disk Unionサイトより)

仲野麻紀

サックス奏者。文筆家。2002年渡仏。パリ市立音楽院ジャズ科修了。フランス在住。演奏活動の傍ら2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を手がけるopenmusic を主宰。さらに、アソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)をフランスで設立、日本文化の紹介に従事。自ら構成、DJを務めるインターネット・ラジオ openradioは200回を超える。ふらんす俳句会友。著書に『旅する音楽』(2016年 せりか書房。第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞)。CDに『Open Radio』(Nadja21)。他多数。最新作は『渋谷毅&仲野麻紀/アマドコロ摘んだ春』(Nadja21)。

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