Interview #279 仲田哲也・奈緒子夫妻に訊く(後半):石井彰氏からのメッセージ+パーキンソン応援ライブ(Vol.7)~’Ten-On’からの発信
Text: Ring Okazaki 岡崎凛
今回のTen-Onでの仲田哲也・奈緒子夫妻のインタビュー記事を載せるにあたり、ピアニスト、石井彰氏から、メッセージを頂いているので、紹介したい。インタビュー前半でも触れたように、石井彰氏は「パーキンソン応援ライブ」にレギュラー参加しており、また故・赤松二郎氏とは、学生時代からジャズを通して深くつながる関係だった。そんな石井彰氏に、彼の思いを綴ってもらいたいとお願いしたところ、快諾して頂いた。
Ten-Onの事。仲田哲也さん、奈緒子さんの事。
私が初めてTen-Onで演奏する機会があったのは、5、6年前の事。(確かではないが) 酒井俊(vo)さんと江藤良人(ds)さんとのライブでした。以前あった大阪の実家から近く、地元感も強く、すぐに波長が合う場所だなと直感的に思いました。奈緒子さんが大阪音大の先輩であった事や、東京の秋葉原のHot Music Schoolで教えている生徒が、元奈緒子さんのお弟子さんだったことなどなど、出会うべくして出会ったご縁なのだとわかりました。それからというもの、大阪に行く時は必ずと言っていいほどライブをさせて頂くようになりまし た。自分のスペシャルバンドのツアーで吉田美奈子(vo)さん、息子の石井智大(vn)と共に2days を行ったり、最近では35年来の友人である山田良夫(b)さんとの実験的リユニオンライブをさせてもらう大切な場所であります。大阪のホームグラウンドだと勝手に思っております。
そして、まだまだ驚くべき繋がりが見出されるのでした。仲田哲也さんはパーキンソン病と闘いながら自らスタジオ、スクールを牽引され、ギタリストとしても精力的に活動されています。聞けば、同じパーキンソン病と闘うミュージシャン達が集まって 「パーキンソン病応援ライブ」を年に一度行っていると。私は球脊髄性筋萎縮症という難病で、 パーキンソン病と同じように筋肉が無くなっていき動かすのに苦労する病ですが、この意義ある ライブに同じ難病患者として参加しないかとお誘いを受けました。無論、参加しますと即答しました。そして、そのメンバーを知らされた時、思いもよらない名前があったのです。
赤松二郎。サックス奏者。 私は彼を「赤松先生」と呼びます。私が学んだ大学は大阪音楽大学の作曲科。1980年代の頃です。どちらかと言えば”お堅い”イメージのクラシック音楽の大学でした。自分は元々クラシックの素養は無く、音楽全般の事を学ぶ為に作曲科を選んだバンド少年でした。クラシックの勉強に打ち込むものの、ポピュラー音楽に対する気持ちも捨ててはいなかったのです。学内には男子の数も多くはなく、オーケストラ、とりわけ金管楽器に血気盛んな者が多く、彼らを集めてジャズビッグバンドを教えてくださっていたサックス科の先生がおられました。赤松 二郎先生です。私も初めてジャズなるものに興味を持ち、ビッグバンドに参加しました。大学の近くには「ブルーノート」というジャズ喫茶があり、ジャズに興味を持つ学生の溜まり場になっていました。私も受験生の時から背伸びして出入りし、モダンジャズのレコードとコーヒーと煙草の煙に塗れていました。マスターは菅原乙充さん。元サックスプレイヤーで凄い威圧感のあるマスター。赤松先生も学生の頃からブルーノートに入り浸りだったそうです。赤松先生とはビッグバンドだけでなく、ジャズ喫茶でのセッションも始まりました。ジャズの恩師と言えば、赤松先生とブルーノートのマスターでした。学園祭での野外ステージやホールのステージでの演奏は、それはそれは刺激的で、ジャズ漬けの青春時代を送りました。
大学を卒業してしばらく関西での演奏活動をし、上京することを決意した矢先、赤松先生から連絡があり、大阪音楽大学に日本初のジャズポピュラー科を設立するので力を貸して欲しいとの寝耳に水の話を頂きました。上京すると言っても何か当てがあるわけでもなく、とりあえず行って しまえという能天気な計画でしたので、大学教員という定職に就く事への喜びと、プレーヤーとしてやって行きたいという気持ちの間で相当悩んだ末、上京する事を選び赤松先生からのお話を断りました。彼もまたプレーヤーを志したものの大学に残るという事を選んだ方なので、私の気持ちを理解して下さったのです。そして上京後、再び赤松先生から電話があり、東京から通って教鞭を取ってくれないかというお話。私は涙が出て止まりませんでした。せっかくのお話を断ったに関わらず、東京から通ってくれと…本当に有難い事でした。それが34、5年前の話。今は ジャズ科の特任教授という責務を全うするため、年に10回母校で指導にあたっております。大学で赤松先生とお会いする事は殆どないまま先生は退官されました。
話は戻りますが、Ten-Onでのパーキンソン病ライブに赤松先生の名前を見つけた時、こんな形で再会する事に驚き、喜び、そして悲しみが入り混じった何とも言えない気持ちになりました。Ten-Onで赤松先生と再会し、喜びながらもお互いの身体を心配し、セッションし、アフターでも二人で演奏したのだと記憶している。その時に演奏した「My One and Only Love」。その嬉しい再会セッションが赤松先生のサックスの温かい音を聴いたのが最後になろうとは。2019年7月2日の事でした。
コロナで2020年には開かれなかったパーキンソン病応援ライブは’21年には再開されましたが、 赤松先生は体調不良でその年も翌年も不参加でした。とても心配していた’22年の暮れに赤松先生の訃報が入ったのです。享年75歳。まだまだお若い!! 非常に残念なことでした。
私も還暦を迎え、病歴も10年近くになりました。できる事が減ってきてピアノを弾く事も以前のようなペースで演奏が出来なくなりましたが、病気と共生する事で見えてきた新しい世界や目標が出来ました。赤松先生はじめ仲田哲也さんやパーキンソン病の仲間同様、私も病気に負けず出来る限り音楽をかなで続けたい。そう思っています。
2024年元旦 石井彰
上記のメッセージは、今回のインタビュー記事前半(No.309)で触れたことと重なるので、併せて読んで頂ければと思う。
仲田哲也氏がTen-Onでの「パーキンソン病応援ライブ」をスタートさせ、その後この活動に共鳴したミュージシャンが多く参加するようになった。その1人が石井彰氏である。「パーキンソン病応援ライブ」は、前にも書いたように、パーキンソン病に限らず、難病の治療を受けている音楽家、その家族や支援者に向けたイベントである。
写真は赤松二郎氏とアルゼンチン出身、大阪拠点の歌手、ロベルト・デ・ロサーノ氏との共演時に撮影。現在ロサーノ氏は、闘病を続けながらも元気にステージに立っている。彼はパートナーであるMakoさんとともに「パーキンソン病応援ライブ」の常連出演者である。
–2019年頃、赤松二郎先生は、どんなご様子でしたか?
奈緒子さん:赤松先生はTen-Onへの出演には(数年前までの「ワンコイン・コンサート」、現在の「カメカメライブ」)には積極的でしたが、周囲の音楽仲間からの共演依頼は断っていたようで、同窓会で演奏する程度だったようです。
–それは、赤松先生の体力的な理由もあったのかもしれませんね。
哲也さん:以前のようには吹けなかったですからね。ジャズに関しては、ここ(Ten-On)だけの出演だったようです。
–赤松先生と仲田哲也さんは、仲が良く、意気投合されていたと聞いています。
哲也さん:電話はよくかけていましたね。亡くなる直前にも電話を頂きました。
–先生が亡くなる3日前に、彼から電話があったというお話でしたね?
哲也さん:そうです。先生のお宅を訪ねたこともありましたよ。
奈緒子さん:亡くなる1年前、赤松先生が全然(自宅から)出て来られなくなり、2人で先生のお宅にお伺いしたんです。
哲也さん:サックスが吹けなくなって、体調が思わしくないようでした。その後は時々電話をかけ、「今日は(調子は)どないですか?」と尋ねると「あきまへんわ」という返事が返ってくる、という状態でしたね。
–「どないですか?」~「あきまへんわ」という関西弁のやりとりになると、辛い話がやや呑気な感じになってしまいますね。笑うところではないのに、つい笑ってしまいました。
きっと赤松先生は、最後までTen-Onのことを気にかけておられたのだろうと思います。
哲也さん:やはりサックスを吹きたかったんでしょう。先生が演奏する場所は、もうここ(Ten-On)だけになっていましたからね。
奈緒子さん:赤松先生は仲田(哲也氏)のことをとても大事に思ってくれていました。「パーキンソン病応援ライブ」を続けている仲田さんを、赤松先生は心強く感じておられたのではないでしょうか?
哲也さん:それもあるでしょうけど、自分と同じ病気だったという点も大きいでしょう。私の受けた手術の経過にも気をかけておられました。
奈緒子さん:パーキンソン病になった者どうしでないと、分からないことは多いですからね。
–おっしゃる通りと思います。患者さんどうしでないと分からないことは多いでしょうね。自分は「パーキンソン病応援ライブ」に来る前は、患者さんの姿を見ることなく過ごしてきました。どういう病気であるのか、やっと少し分かってきたように思います。
病気の治療を続けながら音楽活動に打ち込む皆さんの今後を見守りたいです。
パーキンソン応援ライブ(Vol.7)には「赤松二郎farewell party」というサブタイトルが付けられていた。2023年6月12日(木)の夕方に、赤松二郎氏への追悼と感謝をこめたコンサートが開かれ、Ten-Onの会場はほぼ満席。
Ten-On音楽教室の入口には、開催時の写真が張り出されている。ステージ奥の壁の上部に、インタビュー前半で紹介した故・赤松二郎氏が写るパネルが飾られている。
<パーキンソン病応援&赤松二郎追悼ライブについて、「TEN-ON/TETSUYAのブログ」より転載>
http://ten-on-tetsuya.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-f5f8df.html
昨年亡くなった赤松二郎氏へ、出演者から感謝の言葉や思い出話が語られ、パーキンソン病やこれ以外の難病とともに生きるミュージシャン、その仲間とのつながりを大切にするこの催しならではのムードの中で進行。
ブルーノートセッションチーム、ロベルト&Mako、仲田、チョチョ、片山ミキ、大上留利子、石井彰など、この企画ならではのミュージシャン達が次々と登場。
毎回演奏してる「静かに静かに」。
赤松氏の写真は常に仲田の頭の上。
死ぬ瞬間の俯瞰の感じを表現しようとしているこの曲には、この上ないアングル。
赤松氏の魂が見守る演奏です。
〈静かに静かに〉
<関西の音楽拠点としての’Ten-On’>
前半のインタビューの初めに書いたように、大阪市旭区のTen-On音楽教室では、ほぼ毎年開催となる「パーキンソン応援ライブ」の他にも、さまざまなライブイベントが行われている。音楽指導者の2人に関西の地元ミュージシャンが加わって定期的に行われている「カメカメライブ」のほか、ツアーで訪れる関東の音楽家たちの公演も開催されている。
大阪メトロ(地下鉄)谷町線「関目高殿」、京阪電車「関目」に近いこの会場は、関西全体ではあまり周知されていないようだが、東梅田や京橋からそれほど遠い場所ではない。入場料のみでアットホームなコンサートが体験できる会場という点でも貴重な存在である。
仲田哲也・奈緒子さんのインタビューを通して、この場への2人の熱い思いに触れる瞬間が何度かあった。
–自分は特に大きな病気にかかったことはありませんが、以前、精神的に落ち込んだ時期に、心の支えになったのが音楽でした。音楽のおかげで元気になれたという体験があります。
仲田奈緒子さん:この人(仲田哲也さん)が’Ten-On’をこの場に作ったときに、1人でもいいから、ここで(音楽などを)楽しんで帰ってくれたらいいと言っていたんです。
–何とも胸に沁みる言葉ですね。’Ten-On’という名前の由来を教えて頂けますか?
哲也さんと奈緒子さん:「天の音」です。「Ten」には数字の「10」の意味も重なっているんです。「天音」は仏教で使われる言葉でもありますね。
–なるほど、さまざまな意味が込められていますね。さて’Ten-On’には、石井彰さんの他にも、多くの音楽家が演奏ツアーなどで訪れています。
奈緒子さん:本当に素晴らしい方々ここを訪れ、こんな豊かな人生が遅れるなんて予想しなかったぐらいです。
–ピアニスト、板橋文夫さんの〈渡良瀬〉を聴いたとき、お2人のゲスト参加が印象的でした。鍵盤ハーモニカとギターで共演されましたね。素晴らしかったです。
奈緒子さん:板橋さんと演奏しながら、涙が出そうでした。こういう体験をぜひ、ふだんのライヴ活動に生かしていかねば、と感じます。
(哲也さん、奈緒子さんの言葉にうなずく)
‘Ten-On’の直近の予定としては、2月15日(木)に「レオナ・板橋文夫・瀬尾高志 濤踏(TohTou)アルバムリリース記念ライブ」が開催される。(開場18:00/開演19:00)
「レオナ・板橋文夫・瀬尾高志 濤踏…ライブ」は、2024年1月13日の新宿ピットインの公演など、これまでも各地で行われてきたが、新たなツアーが2月10日富士市でスタートし16日(金)神戸まで続く。以下、板橋文夫氏の公式ページ・スケジュール表より転載。
http://bowz.main.jp/itabashi/schedule/schedule.html
レオナ(Tap.全身打楽器),板橋 文夫(pf),瀬尾 高志(b)
2024/2/10(土) 富士市「ケルン」 tel.0545-52-0468
2024/2/11(日) 袋井市 [MAM’SELLE] tel.0538-42-6440
2024/2/12(月/祝) 豊橋 [BUZZLE BUNCH] tel.0532-39-9700
2024/2/14(水) 名古屋 [TOKUZO] tel.052-733-3709
2024/2/15(木) 大阪・関目高殿 [TEN-ON] tel.06-4254-0172
2024/2/16(金) 神戸 [100BANホール] tel.078-331-1725