#11 照内央晴+柳川芳命+Meg Mazaki
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
2020年12月6日(日) 台東区・なってるハウス
Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (piano)
Homei Yanagawa 柳川芳命 (alto saxophone)
Meg Mazaki (drums)
1. トリオ
2. デュオ 照内+柳川~照内+Meg~Meg+柳川
3. トリオ
柳川とMegとは何年もの間、「Hyper Fuetaico」、「Heal Roughly」、「After It’s Gone」と名付けたデュオユニットでの活動を積み重ねている。照内との手合わせは新鮮に思えたのだが、実は近畿・東海での共演は意外にも少なくない。したがって、今回のギグには初回特有の間合いの模索はみられなかった。だがそれが出逢いの面白さや緊張感を欠く結果になったのかと問われれば、答えは否である。トリオや3パターンのデュオによる演奏を目の当たりにして、自分でも驚くほど多くの発見があり、強烈な印象を受けた。
柳川は前日のCafé 810 Outfit(武蔵境)でのセッションにおいて、異なる相手とのデュオを中心に10回もの演奏をこなしたという。参加した齋藤直子(サックス)は驚きを口にし、赤木飛夫(サックス)は「まるで柔道の乱取りだったよ」と言った。それも納得できる引き出しの多さだ。ときに邦楽器のようでもあり、ときにバップやブルースを血肉化したようでもある。ブロウの音が単純に大きいわけではないし、微かな音量のこともあるにもかかわらず、鼓膜が物理的に動くのは不思議なことだ。この音の存在感は、人前でひとりで吹くという「おかしなこと」に長く向き合ってきたことで得られたものかもしれない。
Megのプレイをはじめて観たとき驚いたことを覚えている。それは高いところから恐怖をものともせず何度も宙にダイヴするようなものであり、フリーフォール自体が音の迫力の源泉のようだ。彼女のドラミングに比べれば、やはり不定形であるとは言え、ジョン・コルトレーンの後期グループなどで活動したラシッド・アリのそれさえも伝統的なものに思えてくる。少し前に痛めた腰もある程度は癒えたようで、しばしば椅子から腰を浮かせ、力と意志をためては音の砲弾を放つ。演奏後、柳川が「付いていくのが大変だ」と笑って呟いていたが、あながち誇張した冗談でもないだろう。
かれらを東京で迎えるかたちの照内は、はじめから鍵盤を強くたたき、その流れの中で踊ろうと試みるようだ。照内のようなクラシックや現代音楽の影響が色濃いピアニストにとって、準備段階をろくに経ることなく激しい即興領域に身を置くことが破綻をもたらしうるのかどうかわからない。それをどの程度回避しようとするのか、どこまで一回性の音の力を高めようとするのか、それらはぎりぎりのバランスで成り立っているものに違いない。そのために、かれが横のふたりをしばしば観察していることは確かである。そして、響きの色にも拘りを持っており、それがあってこそ、高音から低音までのグラデーション、乾いた音から長く減衰する音までのグラデーション、静と動とのグラデーションが豊かなものになっている。それは流麗なものと破壊的なものとのたんなる往還などではない。
三者とも、そのサウンドを「このような」と一言で説明することができない。それがかれらの音楽性の深さと広さを物語っている。
(文中敬称略)