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My Pick 2023このパフォーマンス2023(国内編)No. 309

#01 米寿記念演奏会 舘野泉バースデー・コンサート2023』

2023年11月10日(金)東京オペラシティコンサートホール

出演:舘野泉 (pf.)
平石章人(cond.)/新田幹男(tb.)/甲斐雅之(fl.)/ザッカリー・ガイルス(tb.)/
辻本憲(tp.)/野々下興一(tb.)/尹千浩(tp.)/齋藤充(Eupho.)
ヤンネ舘野(vn.)/矢口里菜子(vc.)/小中澤基道(vla.)/ジョナサン・ステファニク(cb.)

曲目:レオシュ・ヤナーチェク『カプリッチョ-挑戦』(左手ピアノと管弦楽のために)
平野一郎『鬼の学校~左手ピアノと弦楽の為の教育的五重奏』
パブロ・エスカンデ『奔放なカプリッチョ』(委嘱作品・世界初演)


「金管7本にピアノ」という特殊な編成、世界初演を含む意欲的なプログラムによる傘寿記念演奏会。「編成」という観点からは、19世紀の作曲家・ヤナーチェクに新たな光が照らされた機会ともいえる。
会場が醸し出す暖かな熱気のなかをステージに登場した舘野泉には、うっすらとヴェールをまとったような、静謐だが明らかなオーラが宿る―「ステージの人」なのだ。クラシック音楽ではじめてファンクラブができた演奏家だという事実を、一暼で納得させられる。

プログラムは、前述のヤナーチェク『カプリッチョ』と同一楽器編成のパブロ・エスカンデによる『奔放なカプリッチョ』の世界初演、その2曲のあいだに平野一郎の『鬼の学校』が挟み込まれるオリジナリティの極み。

冒頭のヤナーチェク、メタリックな金管の響きをぬうように駆け回る舘野のピアノは、フレーズごとの纏まりが弾丸のように弾けては空中に堆積し、「音色」というよりは「光」として五感に認識されてくる。演奏としての瞬間の充実と、楽曲の核が同時に暴かれるスリル。

続いて、現代のピアノ五重奏曲、平野一郎『鬼の学校』。舘野が纏う佇まいについてはすでに述べたが、楽曲全体に付帯する一貫した「オーラ」というものもあるのだ、と思わずにはいられない。鬼たちが登校し解散するまでの一日の時間割を細かに追ったすべての楽章が、ことごとく「予兆」に満ちているのだ。喩えるならばオーケストラが音合わせをしているときに覚える「構えのない響きの高揚感」、それが続く。次に何が起こるのかがわからない、という不穏な期待を聴き手に常時抱かせつづける平野ー郎の手腕には瞠目せずにはおれない。
エキサイティングな楽曲展開を緻密に支えながら「鬼」を演じる各奏者は、まさに身体性の権化。大団円での足の踏み鳴らしトゥッティへ至るまでの流れは、流線型のような自然さだ。「これ見よがし」を封印してこそのアヴァンギャルドの真骨頂といえよう。

そして世界初演となるエスカンデの『奔放なカプリッチョ』。短い導入部を経ての4つのカプリッチョが、それぞれピアノ独奏のカデンツァで区切られる。アルゼンチン出身のエスカンデらしく、途中ミロンガ風の舞曲も顔をだし、ユーフォニアムがノスタルジックに時空を歪める。金管とパーカッシヴな左手ピアノによる強度で、息もつかせぬ疾走感で駆け抜けるが、曲想の多彩さと効果的なメロディの断片が、凝縮された人生絵巻のように圧倒的迫力で迫る―あまねく世界中を演奏行脚した舘野の人生行路と自然とリンクする人も多かったのではないか。

アンコールは梶谷修編曲による「赤とんぼ」―これほど心の景色とその色彩を濃厚に留めた音を、私は知らない。(*文中敬称略)


関連リンク:
https://jazztokyo.org/interviews/post-92989/

伏谷佳代

伏谷佳代 (Kayo Fushiya) 1975年仙台市出身。早稲田大学卒業。欧州に長期居住し(ポルトガル・ドイツ・イタリア)各地の音楽シーンに通暁。欧州ジャズとクラシックを中心にジャンルを超えて新譜・コンサート/ライヴ評(月刊誌/Web媒体)、演奏会プログラムやライナーノーツの執筆・翻訳など多数。

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